第344話 青葉昴の物語は再び始まる
物語というのは、いつだって先が分からない。
予測できないページを捲り続け、いつか訪れる終幕に向かって歩き続ける。
その過程はいつだって、予想外のことばかりなのだ。
だから――そう。
『ねぇ昴、汐里高校に戻れる――って言ったらどうする?』
新天地での生活も慣れてきた頃、母さんからある日突然告げられた言葉すらも。
予想外のことだった。
そして。
「よっ、お前ら半年ぶりだな! オレは青葉昴。このスーパーイケメンフェイスを……まさか忘れてねぇよな?」
汐里高校、三年二組。
よく知っている連中をはじめ、そうじゃない顔も入り混じるこの教室のど真ん中で、堂々と自己紹介しているこの状況すらもまた――
予想外だった。
……。
いやマジで。
超、予想外。
× × ×
「じゃあ青葉。お前の席は窓際の一番後ろだ。いい席だろ?」
「お、主人公席じゃないですかー。ついにオレも、あの席に座っちゃう日が来ちゃいましたか」
「とりあえず席に座ってくれ。お前らも青葉に聞きたいことはいろいろあると思うが、ホームルームが終わってからにしろよー」
今日からオレが所属することになった、汐里高校三年二組。
その担任教師である大原先生が、席に移動するように促した。
この人も、相変わらず『漢』って感じでかっけぇなぁ……。
前の学校にも強烈な先生はいたけど、この人も負けてない。
……さて。
オレは教壇から一歩踏み出し、指定された席へと向かう。
驚き。
緊張。
困惑。
好奇心。
さまざま視線を感じながらも、オレは辺りを見回した。
お、やっぱり広田と大浦いるじゃねぇか。それに、二年二組だったほかの連中もちらほらと……。
うーむ……これじゃあ、あまり新クラスって感じはしねぇな。
――それに。
「……」
「……」
「……」
自分の席となる場所に辿り着くと、すぐそばから四つの視線を感じた。
そこに座っていたのは、忘れられない四人の男女。
「青葉くん……だよね?」
優しさを感じる穏やかな声。
半年前より髪が伸び、少し大人びた蓮見晴香。
「……アンタ」
鋭い視線とツンとした声。
こちらも髪が伸びていて、相変わらず美少女な月ノ瀬玲。
「……」
目を向けると、すぐに視線を逸らした……渚留衣。
癖毛ポニーテール眼鏡スタイルという、あの頃のまま変わっていない。
そして。
「昴……お前、なんで……」
声を震わせ、オレを見つめる黒髪の男。
朝陽司。
ったく、コイツら……また同じクラスだったのかよ。
本当に妙な縁で繋がれてやがる。
「よっ、久しぶりだなお前ら。ま、なにを思ってるかは分かるけど……。とりあえず、またよろしくな」
春の陽射しが教室を優しく照らすなか、オレは笑って言った。
こうしてオレは……。
半年前、別れを告げたこの場所に――戻ってきたのだった。
本当に……予想外だよ。
× × ×
場所を移して――屋上。
朝のホームルームが終わるや否や、オレは司に連れ出される形でここにやって来ていた。
まるで、去年の月ノ瀬を思い出すような展開だ。
謎の美少女が突然やってきて。
すでに司と知り合っていると思ったら、そのまま二人でどこかへ行ってしまって……。
時期も場所もセリフ回しも、なんなら風の温度まで――
すべてが、あの春をなぞっている気がした。
「――久しぶり、昴」
風に髪を揺らしながら、司が真っ直ぐにオレを見つめる
久しぶり。
そう言った司の表情には『喜び』の色はない。
「ああ、久しぶりだな……司」
久しぶりに口にするその名前。
それなのに、その存在を全然遠く感じなかったのは……。
それだけ朝陽司という男が、オレの中で大きな存在だという証だった。
彼らのことを忘れたことなんて――オレは一度もない。
「……にしても驚いたぜ。まさかお前ら四人がまた同じクラスになっているとはな。広田や大浦たちもいやがるし」
事前に聞かされていたのは、所属するクラスが三年二組という話だけだった。
誰がクラスメイトなのか……とか、そういった詳しい情報は一切知らなかったわけで。
大原先生に聞いても『それは実際に見てからのお楽しみだ』としか言われなかった。
もしや、とは思ったが……。
まさか、本当にこうなるとはな。
月ノ瀬や蓮見はさらに大人っぽく成長していたし、渚は渚で全然変わってなかったし……。
すぐに教室から連れ出されたから、彼女たちとはまだちゃんと話せてはいないけど。
「そうだな。でも……お前以上に、俺たちは驚いてるよ」
「……だろうな」
肩をすくめて答える。
予想外の再会だったのはお互い様だろう。
「だから……まわりくどい前置きは抜きで聞くぞ」
「ああ」
「――なんでお前は戻ってきたんだ?」
来るだろうと思っていた質問。
だからこそ、ちゃんと答えなきゃいけない質問。
「本当なら、一年以上は戻れない予定だった。でも……母さんが超スーパー社員でさ」
「花さんが?」
「そそ。とんでもねぇスピードで地方支社の地盤を固めて、それを完璧に周りに引き継いだ。その成果を以って、本社に戻れるようになったんだ」
母さんの仕事の速さには、それこそ社員全員が唖然としたらしい。
「で、ある日いきなり聞かれたんだよ。『ねぇ昴、汐里高校に戻れるって言ったらどうする?』ってな」
本当に、とんでもねぇ母親を持ったことだ。
普段はあんなに怠けてるし、適当なことばっかりしてるのに……。
その原動力は間違いなく――
馬鹿息子、だろう。
「そりゃ当然迷ったよ。心の準備なんてできてなかったし、今のオレが戻っていいのか……ってな」
「でも、お前はこうして帰ってきた」
「ああ。これまでずっと自分勝手にやらせてもらった責任を――果たしに来た。ここで母さんの提案を断ることは、あの人からも……それにお前たちからも逃げることになる。そんなことはしたくなかった」
「……そうか」
司は静かに頷いた。
納得できない怒り。
理解できない疑問。
受け入れたくない戸惑い。
さまざまな感情を抱えて――司たちは今日まで過ごしてきたのだろう。
オレは……そんな彼らと、もう一度向き合いたくて。
もう一度、話したくて。
ここに――戻ってきた。
「どの面下げて戻ってきたんだ……って言われたら、その通り過ぎてなにも言えないけどな」
でも司は……こうしてオレの目の前に立っている。
オレと……話してくれている。
「昴。ひとつ、聞いていいか?」
「なんでも聞いてくれ」
「――『まっさらな自分』はどうだった?」
その問いかけに、オレはハッと目を見開いた。
まっさらな自分。
まさか、そんなことまで律儀に覚えているとはな……。
司もいない。
月ノ瀬たちもいない。
誰も『青葉昴』という人間を知らない場所。
オレという存在が、完全に白紙の状態で――オレは半年間過ごしてきた。
自分がなにを成し遂げたいのか。
自分がどこへ辿り着きたいのか。
幸せにしたい人間もそばにいないし、叶えたい願いもない。
なにもかもが『分からない』中で、ただひとつ思ったことがある。
それを司の質問に対する『答え』として届けよう。
オレはニッと笑い、司に向かって言った。
「――面白かったぜ。すごく、な」
新しい場所でも、面白い連中はたくさんいた。
それぞれ悩みだったり、複雑な想いだったり……たくさんのものを抱えていた。
短い間ではあるが、そんなヤツらと話をして……関わって、過ごすようになって――
なんだかんだで……悪くない時間だった。
「なるほど。それはなによりだ」
司はそう言うと、一歩前に進む。
……よし。
それじゃ、責任を果たすことにしよう。
「オレを殴っていいぞ、司」
両手を広げて、無抵抗の姿勢を見せる。
司たちは文句を言う権利がある。
オレを殴る権利がある。
そのすべてを――オレは正面から受け止める覚悟はできている。
受け止めなければ……ならないんだ。
「……分かった」
さらに一歩、オレに近付く。
司は右手をグッと握り、そのまま振り上げた。
――そして。
トンッと。
オレの胸に、その拳を優しく当てた。
「司……?」
「言いたいことは山ほどある。一日じゃ足りないくらい……たくさんある。勝手にいなくなったことや、その後一回も連絡がつかなかったこと。本当に……山ほどあるんだ。でも――今は最初にこれを言わせてくれ」
司が微笑む。
半年ぶりに見た――笑顔だった。
「――おかえり、親友」
その言葉が、胸の奥まで染み込んだ。
たとえなにを言われようとも、受け止める覚悟はしてきた。
それなのに――
あぁ……くそ。
やっぱりオレは……。
こみ上げてくる想いをグッと堪えて、オレは笑う。
「ああ、ただいま――親友」
ずっと、言いたかった言葉を……お前に。
『物語』が動き出したあの季節から一年。
オレは再び――彼らと出会った。