欠けたエピローグ④ 覚悟
「あの馬鹿野郎……」
思わず指先に力が入り、手紙がくしゃりと歪んだ。
――そうか。全部そういうことだったのか。
昴から薄っすらと感じていた焦り。
決して口にはせず、自分の中だけで抱えていた決意。
そのすべてが、ここに書かれていた。
『今更言うことでもねぇが……。これからも、アイツらのことを支えてやってくれ』
『司、楽しかったぜ。ありがとな』
後夜祭の日に昴が言った、あの意味深な言葉の意味も。
今になって……ようやく繋がった。
遅すぎる。
あまりにも遅すぎる『理解』だった。
「――彼は、最後まで晴れやかな顔をしていた」
静寂を割って、星那先輩が呟いた。
その声が、生徒会室に緊張と余韻を同時に落とす。
「自分のこの先になにが待っているのか、キミたちと離れることでなにが見えるのか……。そんな『期待』に満ちた目をしていたよ」
「……勝手なやつですね、本当に」
「ああ、最後まで勝手な男だよ。それでも、その手紙に書いていることすべてが……彼の『本音』なのだろう」
すべてがあいつの本音……。
昴はいつだってそうだった。
黙って抱えて、最後の最後に突然とんでもないものを投げてくる。
誰にも頼らず、誰にも話さず、自分だけ抱えて完結してしまう。
そのくせ……自分以外のことはよく見ているんだ。
こんな、一人一人に向けたメッセージまで残して……。
……ホント、お前はそういうところがずるいんだよ。
「俺たちと離れることで……か」
それが、あいつの出した答え。
「……生徒会長さんは」
ふと、俯いていた志乃が呟いた。
「……生徒会長さんは、昴さんがどこへ行ったのか……知ってるんですか?」
「知っている。彼の母親が勤めている会社は、私の父が経営している会社だ。今回の転校も……その関係で決まったものなのだよ」
なるほど、そうだったのか。
だから星那先輩は、事前に昴の転校を知っていたのか。
唯一事情を知っている相手だからこそ、昴は先輩に手紙を託したのだろう。
……この人も、ずっと秘密を抱えたままここまで過ごしてきたのか。
「――だが、私から彼に連絡を取るつもりはない。ましてや、会いに行くつもりも一切ない」
その言葉は、先輩自身にも向けられた戒めのようだった。
「彼は相応の『覚悟』をもって、この別れを選んだ。ならば、私もまた彼の選択を尊重しなければならない」
きっと、先輩だってつらかったはずだ。
俺たちに昴のことを話したい気持ちもあっただろう。
それなのに、あいつの頼みを聞いて……最後まで胸の中で秘め続けていた。
もしかしたら、俺たち以上に……ずっと悲しい気持ちを抱いていたかもしれない。
いずれやってくる『別れ』を知りながらも、それを決して表に出してはいけなかったのだから。
「……キミたち、SNSのトークグループは確認したか?」
「SNS……ですか?」
会長さんの問いかけに、俺たちは一斉にスマホを取り出した。
クラスのグループ、仲間内のグループ、その他のグループと……すべて確認していく。
すると――
「青葉くん……全部『脱退』してる……。それもさっき……」
蓮見さんが震える声でそう言った。
トーク画面に表示されているのは『青葉昴』の退出を告げる通知。
どのグループからも、数分前にすべて退出していた。
しかも、脱退はすべて十数分前に行っている。
まるで、俺たちがこの手紙を読む時間を計っていたみたいに……。
アカウント自体は残ってはいるけれど、連絡がつくかは分からない。
仮に昴側でアカウントを消していたとしても、こちらから判断する術はない。
でも……この様子だとあいつは――
「非難の言葉ならいくらでも聞こう。それでも……これだけは分かってほしい」
俺たちを見回して、会長さんは真剣な顔で告げる。
「彼は『退く』ためにこの選択をしたのではない。むしろ、前に『進む』ためにキミたちと離れることを選んだのだ」
「ほんっと、アイツは最後まで馬鹿なんだから……」
「進むための選択、かぁ……。青葉くんらしいね……本当に……」
「昴先輩……」
それぞれの口から漏れた言葉が、まるで心の整理をするように消えていく。
俺は手に持っていた手紙に目を落とし、最後の一文をもう一度読んだ。
――出会ってくれて、ありがとう。
たしかにこの言葉は、前に進むことを選んだからこその『ありがとう』なんだろう。
星那先輩や昴の言いたいことは分かる。
だけど。
「たとえ相応の理由があったとしても、俺たちに黙って消えたことは許さない。俺たちをこんな気持ちにさせたことは……許せないよ」
それが、今の俺の正直な気持ちだった。
「だから……次に会ったとき、散々言ってやる。『なにやってんだよお前』……って」
決意とともに、拳を握る。
「これは、今まで自分に向き合わなかった昴が……ようやく本当の意味で『自分の物語』を歩きだしたってことだから」
言葉にすることで、心の中のなにかが少しだけ整理されていく。
怒りも、困惑も……徐々に落ち着きを取り戻していく。
「俺たちと離れることで、あいつが新しい一歩を踏み出せるのなら……。俺は『親友』のその選択を尊重したいって思う。……許すかどうかは、また別だけどね」
「……そうね。手紙であんなことを言われたら……私も負けていられないもの」
「うん。彼の『居場所』で在り続けられるように、くよくよしてちゃダメだよね」
涙が混じった声ながらも、月ノ瀬さんたちは笑って言った。
「中学の頃から、ずっっっっっと勝手なことばかりして、いっっっつもあたしたちを困らせてばかりで……でもっ……それでこそ、昴先輩ですもんね」
瞳に涙を浮かばせている日向も、表情は笑っていた。
日向自身、何年も昴と一緒に過ごしてきたんだ。
ノリが近いこともあってか、よく漫才のようなことをしていたし……。
なんだかんだで、昴のことを大事な先輩として慕っていたのは事実だ。
今回の『別れ』に対して、思うことはたくさんあるに違いない。
「頼んだぜ……なんて言われたら、ますます頑張るしかないじゃないですか。……先輩の頼み、特別にちゃんと聞いてあげます。だから今度……絶対にわがままを聞いてもらうんですから」
……ああ、いくらでもわがままを言ってやれ。
そして全部、あいつに聞いてもらうんだ。
――一方で。
「……いやだよ」
その震えた声は……志乃の声だった。
日向のようには笑えてはいなくて……。
「……志乃」
「……私はそんな簡単に納得できない。だって、だって……もう昴さんいなくなっちゃったんだよ? 声も聞けない、顔を見れない……私っ、そんなのいやだよ兄さんっ……!」
耐えきれずに、志乃が叫ぶ。
「分からないよっ……なんで昴さんは話してくれなかったの……!? なんで引き留めさせてくれなかったの……!? なんでっ……なんで……」
志乃の声が響き渡る。
さっきはなにも言えなかったけど……。
俺は兄なんだ。
志乃の家族なんだ。
俺が家族を支えなくて……どうするんだって話だ。
――そうだよな、昴?
お前はこうなることが分かっていたからこそ、『支えてやってくれ』なんて言ってきたんだろ?
目の前の現実と、受け入れたくない思い……それぞれが志乃の中で激しく揺れ動いていた。