欠けたエピローグ② 困惑
「星那先輩……やっぱりここにいましたか」
生徒会室の扉を開けた俺の言葉に、先輩は静かに頷いた。
「キミたちこそ、よく私に会いにきたな」
「なんとなく……先輩ならなにか知ってるんじゃないかって。そう言う先輩こそ、俺たちが来るって分かってたんですか?」
「そうだ。昴の件を知れば、キミたちは私のところに来ると思っていたよ。だから……ここで待っていた」
「その様子だと……知ってたんですね」
「ああ、そうだ。すべて知っていた」
まるで嘘をつく必要すらないといった表情で、星那先輩は淡々と応える。
その態度が、逆に俺の胸を締めつける。
……けれど、ここで一気に問い詰めても仕方ない。
落ち着いて事実を確認しよう。
「どうして、それを俺たちに――」
そこまで言いかけたところで――
「兄さん!」
「先輩っ!」
焦りを滲ませた声が、後ろから飛び込んでくる。
振り返ると、志乃と日向が生徒会室にやって来ていた。
二人の表情を見るだけで、相当慌ててここに来たのだと分かる。
「やれやれ……揃いも揃ってホームルームを抜け出すとは。悪い子たちだな」
「それは先輩も同じでしょう? 私たちを待っていたんですから」
肩をすくめて言った先輩の言葉に、月ノ瀬さんが答える。
「……それもそうだな。玲の言う通りだ」
俺たちはともかく……生徒会長である星那先輩や、真面目な志乃でさえ、こうしてここに来ているわけで……。
それがどれだけ『異例』なことなのかは……わざわざ言うまでもないだろう。
「ちょっ、あの! 司先輩! あたし、まだ全然付いていけなくて……! 昴先輩が転校したってどういうことなんで――」
日向が俺に詰め寄ろうとした――そのとき。
「ね、ねぇ兄さん!」
日向の言葉を遮り、志乃は一気にこちらまで駆け寄ってくる。
今にも泣き出しそうな声で、瞳は不安で揺れていた。
「す、昴さんが転校したって……ほ、本当なの……!?」
「志乃……」
「ねぇ……本当なの……!? 兄さんっ!」
志乃の瞳に涙が浮かぶ。
こんな悲しい涙は……見たくなかったのに。
否定してほしい。
そんなことないって言ってほしい。
志乃の必死な表情が、そう物語っていた。
俺だって、まだこの現実を受け止められたわけじゃない。頭が追いつかない。
泣いている妹の質問に、俺はどう答えればいいのかが分からず……。
「……ああ、本当だよ」
ただ、真実だと教えることしかできなかった。
「うそっ……」
志乃の声がさらに震える。
「ね、ねぇなんで……!? 昴さん、そんなの一言も言ってなかったよね……!?」
俺の腕を力強く掴む志乃の手は……声と同じように震えていた。
「やだよ……! なんで……なんで……! 私っ、やっと昴さんに……! やだ……! やだ……!」
「ごめん……ごめんな、志乃……」
その声は、生徒会室の静寂を壊して響いた。
志乃だけじゃない。
日向も、月ノ瀬さんも……蓮見さんも――言葉を失っていた。
涙を流す志乃に、なにもしてやれなかった。
みんな、思っていることは同じだったから。
なんで――と。
兄として情けないほど、俺が立ちすくんでいると……志乃の肩にそっと華奢な手が添えられた。
「……志乃さん」
それは、渚さんの手だった。
「渚先輩っ……! 先輩はっ、昴さんから――」
「……」
志乃の問いかけに、渚さんは首を振った。
言葉を交わすこともなく、ただ……静かに。
「――各々、私に聞きたいことはあるだろう。非難はあとでいくらでも聞こう」
その空気を断ち切るように、星那先輩が言った。
いつも通りに装っているが、内心では思うことがたくさんあるはずだ
それなのに、先輩は毅然とした態度で俺たちの前に立っていた。
「……だが、まずはこれを読んでくれ」
そう言って、先輩は胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
「それは……?」
「昴からの手紙だ」
「えっ、手紙……?」
その『手紙』を星那先輩はテーブルの上に置いた。
丁寧に四つ折りにされた、A4サイズのルーズリーフ。
これが、昴からの手紙?
それに……どうして先輩が手紙を?
俺たちの視線が、一斉にテーブルに集まった。
「キミたちが望む『答え』は……すべてここに書いているだろう。だからどうか……読んでほしい」
冗談でこんなことをするとは思えない。
先輩の様子は真剣そのもので……いつものような余裕は見えない。
冗談の類ではないことくらい、誰もが分かった。
本当に、俺たちの望む『答え』がそこに書いてあるのなら――
「……分かりました」
俺は、震える手で手紙を手に取った。
手紙の表面には、たった一言……『お前らへ』と記されていた。
間違いない。
これは昴の字だ。
読んでしまえば―もう、後戻りはできない。
この現実を受け止めなければならない。
この先待っているのは、つらくて悲しい道だろう。
でも。
『これ』が、お前が俺たちに伝えたかった大事なものなのだとしたら――
「……みんな、読むよ。心の準備ができていなかったら、俺だけでも――」
「……なに言ってるのよ。私も読むわ」
「もちろん私も読むよ。ちゃんと……受け入れなきゃ」
「あ、あたしもです……! 怖いですけど……でも、読まなくちゃいけないと思うから……!」
月ノ瀬さん、蓮見さん、日向が次々とそう言って頷いた。
残るは――
「……志乃と渚さんはどうする」
昴を追い求めて、支えたいと願っていた志乃。
昴を理解したくて、共に歩みたいと願っていた渚さん。
特に大きな衝撃を受けたのは、きっとこの二人だろう。
俺が答えを急かすわけにはいかない。
選ぶのは……二人自身だ。
「……先輩」
「……うん」
志乃が渚さんに目を向ける。
目と目が合い――そして、小さく頷き合った。
「私も読むよ、兄さん。昴さんがどうしてこんなことをしたのか……知りたいから」
涙を拭い、志乃は俺を見上げる。
「……わたしも。あの馬鹿の言葉を……聞きたい」
肩を震わせながらも、渚さんは真っ直ぐに俺を見る。
「分かった。二人の覚悟、確かに受け取ったよ」
もう、迷いはない。
俺は深呼吸をして、ゆっくりと手紙を開いた。
この手紙に宿るのは……あいつが最後に託した、俺たちへの想い。
「じゃあ……読むよ」
全員の視線が、手紙に集まる。
静寂の中で――
俺は、青葉昴の最後の言葉を……胸に刻むように読み上げていった。