欠けたエピローグ① 異変
――汐里祭から、二日後。
祭りの熱気もようやく落ち着いて、今日は振替休日明けの登校日だ。
十月もそろそろ終わり。
来月からまた、次の学校行事が待っている。
なんといっても、メインイベントは十二月の修学旅行だ。
……まぁ、その前に期末テストという魔物が待ってるんだけど。
まずはそいつを突破しないといけないわけで……。
赤点を取ったから修学旅行はお預け、なんてことになったらシャレにならない。
今からでも気合い入れて勉強しておかないと……!
「おはよう、みんな」
挨拶をしながら、いつものように二年二組の教室に入る。
見慣れた光景と、朝特有の緩やかな空気が俺を出迎えてくれた。
最近は汐里祭に向けた準備などで朝から忙しい日が多かったから、なんだか久しぶりの空気感だ。
「おはよう、司」
「朝陽くんおはよ~!」
「おはよ……」
すでに教室にいた三人が、それぞれ俺に挨拶を返す。
月ノ瀬さんと蓮見さんは軽く雑談をしていて、渚さんは相変わらず眠そうな目でスマホゲームをしていた。
あぁ、いつもの日常が戻ってきたんだな――と、そんな感じがする。
「あら、もしかして……司?」
ふと、月ノ瀬さんがニヤリと笑みを浮かべた。
「彼女と仲良く登校してきたのかしら?」
「うぇっ……!?」
いきなりの質問に、俺の声が裏返る。
「おぉ! 朝から仲良しだね~!」
「……さすが朝陽君」
「あっ、いや、あいつは朝練が――って、みんなニヤニヤしすぎじゃない!?」
必死で否定する俺を、月ノ瀬さんたちは面白そうに眺める。
これはアレだ。きっとなにを言ってもニヤニヤされるパターンだ。
――すると、月ノ瀬さんが小さく息をついて微笑んだ。
「……この私たちを振ったんだから、仲良くやりなさいよ。ちょっとでも隙を見せたら……あの子の『席』、狙うわよ?」
「言い方はちょっとアレだけど……うん。私も同じ気持ちかな!」
「……うん、もちろんだよ」
――二人の言う通り、結果として俺は彼女たちを振った。
傷つけたくない気持ちは、もちろんあった。
誰かを選ぶことで、みんなの関係が変わってしまうんじゃないか……って不安もあった。
でも、それは俺の事情であって彼女たちにとってはなにも関係ない。
すべて覚悟のうえで俺と向き合ってくれた。想いを伝えてくれた。
ならば俺も、本音で向き合うべきだと思ったんだ。
そして俺は――『彼女』を選んだ。
「……ま、いろいろ頑張って朝陽君。あと……リア充おつ」
眠そうにスマホをタップしながら、渚さんがぼそっと言った。
けれど、口元にはほんの少し……柔らかな笑みが浮かんでいる。
――挨拶したときに思ったけど、渚さんの雰囲気が少し変わった気がする。
穏やかになったというか、柔らかくなったというか……。
汐里祭を通じて、彼女の中にさまざまな変化が生まれたのだろう。
「頑張るよ。ありがとう渚さん」
「ん」
渚さんはちらりとこちらを見て、小さく頷いた。
そんな会話の直後、月ノ瀬さんが視線を渚さんへと向けた。
「――で、そういう留衣はどうなのよ?」
「え」
ぴたり、と渚さんの手が止まる。
おっと、これは流れが変わった……?
「自分の気持ち、アイツに伝えたんでしょ? 違う?」
「そうそう! 私もそれ聞きたかったんだよね!」
「な、なんでそんな目をキラキラさせてるの……?」
「それは俺も聞きたいかもなぁ」
「あ、朝陽君まで……」
後夜祭で昴が突然姿を消したとき、あいつを追うようにして渚さんと志乃もいなくなっていた。
どこへ行ったかはすぐに察しがついた。
きっと、昴のもとへ向かったのだと。
そして、戻ってきたときの満足げな二人の表情を見て分かった。
自分の気持ちを伝えられたのだ――と。
「えっ……と、ひ……ひみつ」
――ぼそっと、か細い声でそう呟いた渚さんは、顔を真っ赤にして俯いた。
「んも~~!! るいるい可愛い~! ぎゅーしてあげるね!」
「ちょ、晴香っ……近っ……」
「……ふふ、本当に可愛いわねアンタ。まぁ、なにがあったのか分からないけど……頑張りなさいね、留衣」
「頑張って、渚さん」
「………………う、うん」
顔を赤くしたまま、渚さんは小さく頷く。
……二人が可愛いと言っている理由がよく分かる。
たしかにこれは可愛い。うん。
「そういえば、肝心の昴はまだ来てないのか?」
「あ、うん。まだ来てないよ。いつもならこのくらいには来てるのにね」
「アイツのことだから、変なものでも食べて腹でも壊したんじゃないかしら」
「ははっ、いくらあいつでもそれは……ありえるな」
「……ありえる」
「そのうち来るだろうし、とりあえず待ってるか」
――だけど、朝のホームルームが始まる時間になっても。
昴は登校してこなかった。
× × ×
「よし、お前らおはよう」
『おはようございまーす』
大原先生が教室に入ってきて、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴り響いた。
それぞれ席に着く中、俺はふと気付いた。
斜め前に座る渚さんが、チラチラと隣の席を見ていることに。
やっぱり……心配だよな。
「汐里祭も終わって、これから心機一転新しい日常を――と言いたいところだが……」
俺たちをぐるりと見回す先生の表情が、いつもと違うように見える。
いつもなら冗談を言って場を和ませようとするのに、そんな様子は微塵もなくて……。
やけに真剣な顔をしていた。
「なによりも先に、まずはお前たちに伝えなくてはならないことがある」
不穏な空気が、教室を満たす。
なんだか俺も……嫌な予感がした。
内容は分からないし、どうしてそう感じたのかも分からない。
直感――としか、言いようがないけれど。
ざわつく胸に手を当てた――その瞬間。
「親御さんの仕事の都合で、青葉は本日を以って――転校することになった」
………………は?
……今、なんて?
同時に、ガタッ! と、音を立てて椅子が動いた音がした。
視線を向けると、渚さんが固まっていた。
言葉が耳に届いても、意味が入ってこない。
理解を、脳が拒絶する。
それほどに――その知らせは、重すぎた。
隣に座る月ノ瀬さんと蓮見さんも、俺と同じような反応を見せていて……。
言葉にできない『動揺』が、教室内を包み込んでいた。
誰一人、言葉を発することができなかった。
「話自体は、もっと前から決まっていた。だが……本人の硬い意思により、お前たちには伏せていた。本当に……すまない」
前から決まっていた……?
「あいつは職員室で、俺に頭を下げてまで頼んできたんだ。どうしても、秘密にしておいてほしい……と。青葉のあんな真剣な表情……俺は初めて見た」
じゃああいつは、俺たちにそれをずっと隠していたのか……?
いつもみたいにヘラヘラ笑って、冗談を言って、大きい嘘を抱え続けて汐里祭に臨んでいたってことか……?
なんだよ……。
なんだよそれ。
お前の『隠し事』ってそれだったのかよ……!
どうして俺はもっと聞き出そうとしなかった。
どうして俺はもっとちゃんと考えなかった。
親友のくせに、俺はなにを――
「……」
――気が付けば、俺は椅子から立ち上がっていた。
「おい朝陽? どうし――」
先生の声も聞かず、俺は教室の扉へ向かう。
そのまま扉を開き、廊下へと出た。
大人しく話を聞いている余裕なんてなかった。
――もしかしたら、あの人なら。
『あの人』なら、なにかあいつの事情を知っているんじゃないか……って。
「司!」
「朝陽くん……!」
目的地に向かって廊下を進んでいると、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには月ノ瀬さん、蓮見さん。
――そして、渚さんが俺を追いかけてきていた。
「三人とも……」
「アンタが行こうとしている場所は分かっているわ。私たちも一緒に行く」
「朝陽くんが教室から出て行かなくても、多分私も……同じ行動したと思うから」
「……渚さんも、一緒に行くのか?」
俺が問いかけると、渚さんはなにも言わずに静かに頷いた。
……言葉を発さないのはきっと、溢れ出しそうな感情を抑えているからだろう。
「じゃあ――」
「待って司、志乃たちには……このことを伝えるの?」
「……ああ、伝えるよ。悲しい事実だとしても、このまま隠せるものじゃないから」
「そうね……。引き止めてごめんなさい。行きましょう」
「行こ!」
歩き出す前に、俺はスマホを取り出して志乃と日向にメッセージを送った。
ホームルーム中だから、気付くかは分からない。
でも、日向ならきっと……。
とにかく今は……行かないと。
ぐちゃぐちゃのまま整理がつかない思考のまま、俺たちは急いで目的地へと向かった。
× × ×
――そして辿り着いたのは、生徒会室。
普通に考えれば、あの人は教室にいるはずだ。
だけど、今は教室ではなく『ここ』にいるという……確信があった。
扉の前に立って、俺は躊躇なくノックをする。
返事を待たずに、そのまま扉を開けると――
「……やはりキミたちか。来ると思っていたよ」
そこには……。
まるで俺たちを待っていたかのように、静かに佇む――星那先輩の姿があった。