第342話 花火の明かりに照らされ、彼女たちは告げる
――時間は少し巻き戻って、今朝。
「お前ら――『後夜祭』、どうするつもりだ?」
汐里祭二日目が始まる前の教室で、俺の質問に月ノ瀬と蓮見は答えた。
「私たちは……司に想いを伝えるつもり」
「うん。日向ちゃんともそれは話してるんだ。誰が選ばれても恨みっこなしって」
なるほど。
やはり物語の結末が決まるのは……後夜祭で間違いないな。
「でも――」
「でもね――」
微妙な間とともに、場にほんの少しの緊張が走った。
その空気を破ったのは、月ノ瀬の穏やかな――けれどどこか寂しげな笑みだった。
「私たちは多分……振られると思うの」
「ぇっ……」
その一言に、渚が息を呑む音が聞こえてきた。
俺はスッと目を細め、話の続きを待つ。
「好きな人の気持ちが誰に向いてるかくらい……女の子なら、なんとなく分かっちゃうじゃん?」
「ええ。司の中ではもう、『答え』は出ていると思うの。……だからと言って、大人しくしているつもりはないわ。結果がどうなろうとも、私たちはこの想いを伝えたい」
「うん。なかったことになんて……絶対にしたくないからね」
「お前ら……」
二人の声は、どこまでも真剣だった。
覚悟を持って、アイツに想いを告げると決めたんだ。
なら、俺が言えることは――ただ一つ。
「……分かった。その想いを、アイツに届けてやってくれ。どんな形で結末を迎えようとも……お前たちが抱いたその『好き』は――本物なんだからな」
――たとえ報われない恋だとしても。
それでも、最後まで想い続けることを選んだ二人の行く末を……俺は見届けよう。
× × ×
――そして、現在。
「……終わった、か」
三人の告白を見届けた俺は、二年二組の教室にやって来て席に座っていた。
祭の喧騒とは真逆の、静寂が支配する場所。
薄暗い教室から、ただぼんやりと窓の外を眺める。
校庭からは、打ち上げ花火を待つ生徒たちのざわめきが届く。
高揚感に包まれた空気とは裏腹に、俺の心は穏やかだった。
みんなが校庭にいる中、教室にいるのかというと……。
なんとなく、一人になりたかったのだ。
彼女たちの覚悟と、司の答え。
あの瞬間、すべてをこの目で見届けた。
「にしても……まさか日向とはな」
苦笑とともに呟く。
どうやら日向を意識するようになったきっかけは、生徒会室で勉強会をしていたあの日らしい。
司が抱えるものを彼女たちに教えた――あの日だ。
アイツは志乃ちゃんと日向と一緒に外に出ていたから、どんなことを言われたのかは分からない。
それでも……日向のことだから、いつも通り真っ直ぐ……そして全力で言葉をぶつけたのだろう。
そしてそれが――アイツの心に強く刻まれたようだ。
「いつも全力の日向だからこそ……かもな」
関わることが多かった月ノ瀬や蓮見ではなく、後輩の日向を選んだ。
意外と言えばそうだが……でも、妙に納得もしている。
「……考えてみりゃ、司が女子を呼び捨てにしている時点で――って話か」
司は基本的に、女子をさん付けで呼んでいる。
後輩であろうが、それは変わらない。
でも、日向に対してだけは――いつの間にか呼び捨てになっていた。
最初は確かに川咲さんと呼んでいたのに……だ。
妹の親友という近しい距離感で接していくうちに、日向に対する壁が自然と無くなっていったのかもな。
「まぁ……とりあえず。これからアイツのことを頼んだぜ、日向」
ここまで日向は、何年も司だけを一途に想ってきた。
いつだってアピールを欠かさない姿を、俺もずっとそばで見てきたんだ。
同じく中学からの先輩として、嬉しく思うよ。
良かったな、日向。
――そして、月ノ瀬と蓮見。
選ばれなかったとはいえ、お前らの想いは決して無駄じゃない。なかったことには絶対にさせない。
お前らの存在は、司にとってかなり大きいものだった。アイツにとってどれだけ救いになっていたか……。
だから……俺から礼を言わせてくれ。
司と出会ってくれて、アイツを好きになってくれて……本当にありがとう。
「……やっと。やっとだ」
静かに目を閉じ、天井を仰ぐ。
やっと、あいつにも心から寄り添いたいと思える人ができた。
一番の心の拠り所であるはずの『家族』から虐げられ、周りを頼ることなくすべて自分で抱えていた。
誰よりも深い傷を抱えながらも、誰よりも他者の傷を癒し続けた。
あぁ……やっと。
アイツはやっと――ここまで来たんだ。
長かった。本当に、長かった。
そう、思ったとき――
「……ん?」
ぽたっと、机の上に小さな雫が落ちた。
それが『自分の涙』だと気付いたのは、もう一滴が頬を伝ってからだった。
ぽた、ぽた……。
「あぁ……くそ……なに泣いてんだよ俺は……」
涙は止まることなく、次々と頬を伝う。
誰かと結ばれることが、人生の終わりではない。
想いが通じ合ったからといって、その先ハッピーエンドになるとは限らない。
それでも。
朝陽司はたしかに……幸せへの一歩を踏み出したんだ。
「ははっ……」
涙とともに、笑みもこぼれる。
これまでの紡いできた『すべて』が、一気にこみ上げてくる。
司との出会い、衝突し……救われたあの日。
司と出会い、色付いていった日常。
それらすべてが――今日という日に繋がっていたんだ。
「よかった、よかったな司っ……」
涙なんて流したのは……いつぶりだろうか。
胸の奥で、なにかがふわっと温かく広がる。
俺の目的は果たした。
これでようやく――この物語を終われる。
俺の理想としていた形で幕を引ける。
――そう、思ったときだった。
「あっ、いましたよ渚先輩……!」
「やっぱり……ここにいると思った」
突然の声に、俺は咄嗟に涙を拭った。
悟られないように深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
扉を開けて現れたのは……志乃ちゃんと渚だった。
「……なんでここにいるんだよ」
俺はいつも通りを装いながら答える。
「だって昴さん、気付いたらいなくなってるんですもん。だから、渚先輩と一緒に探してたんです」
「どうせ教室あたりにいそうって思って来てみたら……案の定いるし」
「男にはな、たまには一人になりたいときってのがあんだよ。暗い教室で佇む俺……かっけぇだろ?」
「う、うーん……?」
「はいはい」
志乃ちゃんは気まずそうに首をかしげ、渚はやれやれとため息をつく。
……教室が暗くて助かった。
涙を流しているところなんて見られたら、なにを言われるか分かったもんじゃないからな。
「で、わざわざ俺を探してどうしたんだ? なにか用か?」
こうして俺を探してやってくるあたり、相応の用があると見える。
勝手にいなくなったことに対するお説教か、はたまた別に用件か……。
いずれにしても、まずは大人しく話を聞くとしよう。逃げられるとも思えないし。
俺が問いかけると、二人は同時に顔を見合わせて、こくりと頷き合う。
「そんなの決まってますよ、昴さん」
「うん、ひとつしかない」
「ほう? その感じだと、お説教……とかではなさそうだな」
「もちろん、そのことについて言いたいことはありますけど……。今はそれ以上に……ね?」
決まってる――とは、果たして。
「昴さん」
「青葉」
二人は俺の名前を呼んで――にこりと微笑んだ。
「一緒に花火を見ましょう」
「花火、一緒に見よ」
――一切の前置きもない、ストレートな要求だった。
「その意味は……あんたなら、わざわざ言わなくても分かるでしょ?」
渚が淡々と問いかける。
異性を後夜祭の花火に誘う――
その行為がどういう意味を持つかなんて、当然すぐに理解できる。
よほどの場合を除いて、一つしかないのだから。
志乃ちゃんの気持ちは、今更言うまでもないし……。
渚の『あの告白』も本気だったのなら……なおさら、理由は明白だった。
「一緒にって……俺ら三人でってことか?」
「はい。だって……昴さんは誰か『一人』を選ぶつもりはないでしょ?」
「だから、今回は三人で見よう……ってこと。それとも、あんたは『誰か』と一緒に見るつもりだった?」
「あいにく俺はお一人様なんでね。そんな相手はいねぇよ」
二人は分かっているはずだ。
俺が誰とも花火を見るつもりがない――ってことくらい。
だからこそ『三人』だと言ったのだろう。
『間もなく、汐里祭の成功を祝う花火を打ち上げまーす! 皆様、ぜひご注目くださーい!』
校内放送のスピーカーから、テンション高めのアナウンスが響いた。
……もうそんな時間か。
「あっ、もうすぐですね!」
「だね」
志乃ちゃんと渚は窓際へと歩み寄る。
薄暗い教室に差し込む後夜祭の明かりが、彼女たちのシルエットを柔らかく照らす。
二人の背中をぼんやり見ていると、渚が不意にこちらを振り向いた。
「ほら、あんたも」
「んぇ?」
「とぼけた声出してないで、早く来て。三人で……って言ったでしょ」
「ほら、昴さん!」
志乃ちゃんも、窓際で俺に手招きをしてくる。
二人の間には、一人分のスペースがぽっかりと空いていた。
まるで、そこが俺の場所だと言わんばかりに……。
「……俺が真ん中かよ」
「もちろんです」
「当然」
「マジか……」
ため息をつきながら、俺は立ち上がって歩みを進める。
そして、その『場所』に静かに足を踏み入れた。
左右の二人が満足そうに小さく頷いて、再び校庭の方へと視線を戻す。
――こうして、俺たちは三人並んで窓の外を見つめた。
『それでは、花火のカウントダウンを始めまーす!』
おぉぉ! と、校庭から歓声が上がる。
『さん!』
この二日間、本当にいろんなことがあった。
予想外の展開ばかりで、正直言って……困惑したことがかなり多かったけど。
『に!』
……それでも、嫌な感情はどこにも残っていなくて。
多分、それは――
楽しかった、なんだろうな。
司たちと一緒に過ごした日々が。
彼女たちと一緒に過ごした日々が。
いつの間にか、俺にとっても大切な日常になっていたんだ。
『いち! いきまーす!』
ドン――ッ!
夜空を切り裂くような音とともに、一発目の花火が盛大に打ち上がる。
色とりどりの光が空を彩り、校庭からは大歓声が沸き上がった。
「おぉ……なかなか綺麗じゃねぇの」
祭のフィナーレにふさわしい、空の花。
これでようやく――汐里祭も終わるんだな。
――そう思った、その瞬間だった。
「……」
「……」
すっ……と。
志乃ちゃんが、俺の右手に触れた。
同時に渚が、俺の左腕にそっと手を添えた。
二人の体温が、肌を通して伝わってきた。
「おい、いきなりなにを……」
「後夜祭のジンクス」
「まさか昴さん、忘れちゃったんですか?」
そう言って笑う彼女たちは、花火の光に照らされて――どこか幻想的だった。
――花火が打ち上がるその瞬間に、触れ合っていた男女は結ばれる。
そんなジンクス。
もちろん分かっている。
忘れているわけがない。
でもまさか、『触れられる側』になるとは……思ってもいなかった。
「青葉」
「昴さん」
二人が、俺の名前を呼ぶ。
そして――
「好き」
「好きです」
……心臓が、一拍遅れた。
たった一言の、けれどあまりにも重いその想いが。
花火の音にもかき消されることなく、真っ直ぐに俺の胸に届いた。
――好き。
司は彼女たちの想いと、自分の想いと向き合って……逃げることなく答えを出したんだ。
ならば俺も──
二人の気持ちに、きちんと向き合わなくちゃいけないよな。
……さて。
ここからは、もう間もなく舞台を降りる『青葉昴』のエピローグを綴るとしよう。