第341話 後夜祭の明かりに照らされ、彼女たちは想いを告げる
――ついに、汐里祭のフィナーレを飾る後夜祭が幕を開けた。
校庭に流れる軽快なBGM。
ライトに照らされたダンスの輪。
即興パフォーマンスに沸く歓声。
それぞれのスタイルで祭りの終わりを楽しむ生徒たちの姿に、会場は熱気と笑顔で満ちていた。
日が暮れたばかりの薄明かりの下、色とりどりの光が揺れる校庭の片隅で――俺は静かに、その光景を見つめていた。
「おーおー……盛り上がってんなぁ……」
自然と漏れた言葉に、誰かが応えてくれるわけでもない。
「……ん?」
――ふと、視線を感じる。
そっと顔を向けると、月ノ瀬がこちらに目配せをしていた。
その空色の瞳に宿るのは、ためらいのない光。
なにかを伝えようとする強い意志。
――決意を秘めた、乙女の瞳だった。
俺は言葉にせず、ただ静かに頷いた。
……頑張れよ。
俺の役目は、もう終わりだ。
「ねぇ、司」
意を決したように、月ノ瀬が司を呼んだ。
「うん? どうしたの?」
「花火が上がる前に、私……ううん、私たちから伝えたいことがあるの。聞いてもらえないかしら?」
「え? う、うん。いいけど……私たちっていうのは……?」
その問いに応えるように、月ノ瀬の左右に立ったのは――蓮見と、日向。
まるで最初から、三人で並ぶと決めていたかのように……彼女たちの瞳には迷いの色はなかった。
――空気が、変わる。
俺は邪魔にならないように彼らから距離を取る。
そんな俺の隣に並んできたのは、志乃ちゃん、渚……そして会長さんの三人だった。
「……会長さんはいいんすか? あそこに加わらなくて」
聞くまでもないと分かりつつ、確認のために投げた質問。
それに対し、会長さんはフッと笑った。
「ああ。私がキミたちに抱いている感情は、彼女たちとは異なるからな。私はただ……彼の『答え』を見届けたい」
「……そうすか」
「うむ」
まぁ……そうだよな。
星那沙夜は『愛』しているのであって、『恋』しているわけではない。
この人にとって一番大切なのは――彼らが幸せになること。あの頃のような姿を取り戻すこと。
付き合う、付き合わない――といったものは、また別の話なのだろう。
「だから留衣、志乃。二人も頑張りたまえ。私にできることがあれば、喜んで力を貸そう」
「え」
「えっ……!?」
突然過ぎる激励に、渚と志乃ちゃんは同時に目を丸くする。
その意味深な言葉の真意を深掘りする気は……今はない。
そんなことよりも、司たちのほうが優先だ。
「司」
俺が呼ぶと、司は小さく肩を震わせた。
お前に言うことは、ひとつだけだ。
「気負うな。お前はお前らしくいろ」
「昴……」
この時間、俺は一切口を出すつもりはない。
答えに迷ったとしても、一切手助けするつもりもない。
これはお前が……お前だけが、向き合わないといけないものだから。
その大きすぎる『荷物』は、お前のものだ。ほかの誰にも背負わせない。
だからまぁ……気合入れろや。
「……うん。分かった。ありがとな、昴」
「おう」
少しだけ目を伏せた司は、すぐに視線を戻して正面に立つ三人を見据えた。
……こんな状況だ。
いくら鈍感な司でも、これから自分の身になにが起きようとしているのかは、ある程度理解できるだろう。
自分のことではないはずなのに、見ている俺も不思議と力が入る。
もしかしたら、この瞬間――
司にとって人生最大の選択を、俺はこの目で見られるのかもしれないのだ。
待ちに待った――『そのとき』を。
「月ノ瀬さん、蓮見さん、日向。――君たちの話、聞かせてくれる?」
その言葉を合図に、三人の表情が引き締まる。
「月ノ瀬。なんなら俺たちは席を外しても――」
「その必要はないわ。そこで……見届けてちょうだい」
「……了解」
なら、いよいよ俺が言うことはもうなにもない。
あとはただ、見届けるだけだ。
――月ノ瀬、蓮見、日向。
お前らの『想い』を見せてもらうぜ。
「司」
「朝陽くん」
「司先輩」
彼女たちは、大切な人の名前を呼んだ。
自分を支えてくれた人。
心を変えてくれた人。
初めて『好き』という感情を教えてくれた人。
たった一人の――愛しい人の名前。
後夜祭の光が彼女たちを優しく照らし――
そして、その唇が動いた。
「「「好きです」」」
三人は揃って、その想いを真っすぐに――まるで、ひとつの旋律のように。
誰にも遠慮せず、自分の気持ちのすべてを乗せて伝えた。
好きです……と。
――考えてみれば。
こうして司が想いを告げられる場面に立ち会うのは、初めてのことかもしれない。
これまでも司に近付こうとした女子はいた。だが、そのほとんどは……俺が遠ざけた。
理由は単純。
司の隣に立つには『足りない』と勝手に判断したから。
司の手を取るには、覚悟も誠意も、そして『本物』の想いもなかったから。
……すべて俺の独断で、本当にただのどうしようもない自己満足だ。
でも――今は。
一番の親友を任せてもいい。
コイツなら司を幸せにしてくれる。
俺が心からそう思える相手が……ここに揃っていた。
「中一のとき、先輩と出会って……助けられて……。あたしはあの日からずっと、先輩だけを見てきました。先輩だけを追いかけてきました。ずっとずっと――大好きでした」
最初に口を開いたのは、川咲日向。
妹の親友であり、中学からの後輩。
明るくて元気で、どこにいても場を賑やかにしてくれる。
笑顔溢れる彼女はきっと、司にとってとても元気付けられる存在だったことだろう。
周囲との温度差に悩み、生まれてしまった亀裂。
大好きだったものさえ手放そうとしていた。
そんな彼女を救ったのが――他でもない、司だった。
そこから始まった縁は、やがて日向を汐里高校へと導いた。
ただ司を想う一心で、苦手な勉強を頑張り……日向はここまで辿り着いたんだ。
「去年、朝陽くんと出会って……あなたの純粋な優しさに触れて、どんどん惹かれていった。いつも誰かのために頑張るあなたの支えになりたい、助けになりたいって、そばにいたいって……ずっと思ってた。今もそれは変わらないよ。……あなたが好きです」
続いたのは、蓮見晴香。
去年からのクラスメイトであり、誰もが認めるマドンナ。
優しさに溢れる彼女はきっと、司にとって大きな支えになる存在だったことだろう。
気配り上手で、明るくて、いつもニコニコしていて……。
完璧そうに見えるが、実は結構抜けているのがまた面白くて……。
みんなでなにかしたり、遊んだりするときは、大抵蓮見が言い出して計画を考えてくれていた。
文字通り――ムードメーカー。
いつも周りを想う蓮見がいたからこそ、彼らはこうして仲良しグループでいられたのだ。
「あの日、アンタとぶつかっていなければ、私はこんなにも幸せな毎日は送れていなかった。こんなふうに笑えていなかった。私の居場所ができるきっかけを……アンタが作ってくれた。そんなアンタが……司が、私は大好きよ」
そして、トリを飾ったのは――月ノ瀬玲。
今年の五月、月ノ瀬は司と運命的な出会いをした。
痛みを抱き、自分を偽り、人と関わることを諦めていた彼女は、司にとって大きな変化をもたらした存在だった。
月ノ瀬が転校してきたからこそ、この物語はこんなにも素晴らしく……素敵なものになった。
いつも自信に溢れ、彼らを支え、引っ張って行ってくれる……まさしく『姉御』のような存在。
月ノ瀬がいなければきっと、司の『変化』はもっと先の出来事だったかもしれないのだ。
「みんな……」
川咲日向。
蓮見晴香。
月ノ瀬玲。
三人の真っすぐな告白が、司の胸に深く届く。
「ありがとう。そんなふうに言ってもらえて……嬉しいよ。本当に嬉しい」
司は胸元に手を置き、静かに微笑んだ。
それは気遣いでも照れ隠しでもない、真に優しい笑顔だった。
「三人が魅力的な人だってことは、もちろん分かってる。日向も、蓮見さんも、月ノ瀬さんも、本当に素敵だから。それこそ……俺なんかにはもったいないくらいに」
救わなければ。
助けなければ。
大きな傷を、痛みを抱えて生きてきた少年は、ようやく自分へと目を向ける。
「俺はずっと、恋愛のこととか全然分からなかった。『好き』とか『恋』とか……正直、俺には無縁の話だって思ってた。でも、昴と一緒にみんなと過ごしてきて……初めて思うことがあったんだ」
今まで、司は誰かを好きになることに戸惑いがあった。
距離を縮めることに対して、無意識のうちに恐れを抱いていた。
そんな司が抱いた――初めての感情。
一人の異性を好きだと思える……純粋な感情。
「『彼女』のこの先をずっと見ていたい、願わくば近くで支えていたいって……思うようになった。これが『恋』なのなら――今ここで、俺の答えを伝えるよ」
――『そんじゃあ……もっとその先を見ていたいとか、一番近くで支えになりたいとか、逆に自分の支えになってるとか、そういうヤツはいるか?』
夏休み、会長さんの別荘で司へ投げた質問。
あれから様々な経験を通して、司の中の感情が少しずつ形作ってきたはずだ。
あのときは聞けなかった『答え』を……今ここで、聞かせてくれ。
「それって、誰ですか?」
「朝陽くんの気持ちを聞かせて?」
「私たちに気を遣う必要なんてないわよ。アンタの本心を言って」
彼女たちは答えを望む。
恋愛においては『手を繋いでみんな仲良くゴール』――なんてことは、まずありえない。
誰も傷つけずに終われる方法なんてない。
それでも、選ばなければならない。
その場所に座れる者は――一人しかいないのだから。
「俺が応えたいのは――」
司は深く息を吸って、静かに目を閉じる。
そして、彼はその名を告げた。
想いを届けたいと、これから先も添い遂げたいと願った相手の名を。
彼が向けた視線の先は――
彼が向けた想いの先は――
『彼女』の名前は。
「日向」
その瞬間。
月ノ瀬は、ほんのわずかに微笑み……。
蓮見は、そっと瞳を閉じた。
まるで――最初からこの結末を知っていたかのように。
そして。
選ばれたその少女は。
「えっ――? うそ……えっ? あた……し……?」
涙をこぼしながらも、満開の笑顔で――そこに立っていた。
こうして。
ひとつの物語が完結を迎えた。