第337話 青葉昴は再びそのセリフを振る
「『ねぇ、あなたは悲しくないの? 両親を失って……今の家族から冷たくされて……悲しくないの?』」
「『どうだろう、そこまで考えたことはないな。ま、ボロ小屋とは言えど……住む場所を与えてもらってるだけ、感謝するべきなのかもな』」
「『そんなの……わたくしは悲しいわ』」
「『なんで君が悲しむんだよ。……というか今は俺のことより、君のことが優先だ。この森を抜けて、君を家に帰す。ここにいても、良いことなんてなにもない』」
――劇は進み、全体の流れとしては順調だ。
俺は台本の骨子だけは守りつつ、基本的にセリフのほとんどを好き勝手に変えていた。
ほかの連中も、なんとか俺に合わせて演技を頑張っている.
……ま、あまりにも台本にないことをしたら、ほかの部分に大きな支障が出てしまうからな。
いくら俺といえど、一度幕が上がった劇そのものを壊すつもりはない。
とはいえ、セリフを変えまくっている俺に付いてくるのは、なかなか大変だろう。せいぜい頑張りたまえ。
一方、渚はというと――
「『……帰りたくない』」
「『え?』」
「『帰る場所なんて……わたくしにはもう、ないわ。みんな……わたくしを裏切った……!』」
台本通りのセリフで、しっかりルナを演じてくれていた。
劇が始まって時間が経ったおかげか、緊張やぎこちなさも抜けているように感じる。
演技や魅せ方で言えば、もちろん月ノ瀬には劣ってしまうが……。
それでも、自分にできる表現を最大限発揮しようとしているのが分かる。
もしもセリフを飛ばしたり、動きを間違えようものなら、強引にアドリブでも入れて修正しようと思っていたけど、その必要はなさそうだな。
よくやってるよ……マジで。
「『……とりあえず、街に行こう。細かい話はそこで聞いてやるから』」
「『……嫌よ』」
「『嫌じゃない。君をなんとかしないと、俺が鳥どもにピーピー文句を言われるんだよ。ほら、行くぞ』」
――変な感じだ。
あんなにも舞台に立つのが嫌だったのに。
あんなにもライトを浴びるのが嫌だったのに。
どうして俺は、こんなにも堂々と演技をしているのだろうか。こんなにも笑っていられるのだろうか。
多分、その理由のひとつは――
「『あ、ちょっと……! ……なんなのよ本当に。変な人』」
俺の目の前で、堂々と演技を見せてくれるコイツの存在が影響しているのだろう。
あの渚と、まさかこんな風に同じ場所に立つことになるとはな……。
……ま、とりあえず言えることは。
やっぱり俺は、こんな場所からはさっさと降りたいってことかね。
× × ×
――場所は変わって、街。
「『おいおい! ここは薄汚いヤツが来る場所じゃねーんだよ! さっさと森に帰りな!』」
「『懲りずにまた来るとはな……。前にも言っただろう? ここにはお前のような卑しい者の居場所はない』」
「『うるせぇなぁ……。今回はお貴族様の道案内で来ただけだっての。大した家柄でもないのに、よくまぁそこまで威張れるもんだな』」
「『なっ……なんだと!? 貴様、僕たちを愚弄する気か!?』」
広田と大浦演じる貴族たちが、サンを嘲っている。
それは二人に限った話ではなく、基本的に街の人々のサンへの態度は冷たいもので……。
森の奥で一人で住んでいる、薄汚い少年。
友人がいないから、動物を相手にして孤独を紛らわしている。
……なんて散々な陰口を言われながらも、サンは気にした素振りも見せず、常に飄々としていた。
それどころか、街で困っている子供や老人を見かけるたびに、手助けしようとするのだ。
たとえ周りの人間から求められていなくても、誰かのために動き続けるサンの背中。
――それが、ルナの心に少しずつ火を灯していく。
「『ね、ねぇ』」
「『なんだよ』」
「『あんなに冷たくされているのに……どうしてそんなに平気そうなの? 嫌じゃないの?』」
「『さぁな。他人がどう思ってるかなんて、気にしても仕方ないだろ。大事なのはそっちじゃなくて、自分がどう思うかじゃないのか?』」
「『自分がどう思うか……』」
「『ああ。……とはいえ、なにも感じてないって言ったら嘘になるけどな』」
大事なのは自分がどう思うか……。
自分で書き上げた台本だからこそ、セリフの一つ一つが自分自身に跳ね返ってきているような気がしてしまう。
「『そんなことより、早く君は家に──』」
「『君じゃないわ』」
「『は?』」
「『ルナよ。わたくしの名前……ルナっていうの』」
渚の微笑みが、舞台の空気を変えた。
先ほどまで隠しごとばかりしていた少女が、初めて名乗った。
それは、ルナが自分の意志でサンと繋がろうとする第一歩だった。
渚が身体を動かすたびに、綺麗な髪がさらさらと揺れる。
「『ふーん……じゃあルナ。街に戻ってこられたんだから、もう俺の案内は必要ないよな?』」
「『嫌よ。もう少しだけ、わたくしに付き合ってくれない?』」
「『付き合ってって……なんでだよ』」
「『わたくし、あなたに興味があるの。もっと話がしてみたい』」
「『……最初会ったときは、あんなに警戒してたのに。よく言うよ』」
無愛想な俺の言葉に、渚は「『そ、それはっ……』」と焦るような表情を浮かべる。
自然な演技、できてるじゃねぇか。
目の前に立っているのは、毎日のように顔を合わせている渚のはずなのに……。
まるで、ほかの女子と会話をしているような錯覚にすら陥る。
表情も声音も雰囲気も、普段とは別人のように思えてしまう。
それほど今の渚は『ルナ』として、確かにこの世界に生きているという証拠なのだろう。
はっ……こっちも負けてらんねぇな。
「『し、仕方ないでしょう? それに大丈夫よ、また変な連中が嫌がらせをしてきても、わたくしが守ってあげるわ』」
「『……そりゃ頼もしいことで。でも、俺の目的はもう終わりだ。そろそろ帰る』」
「『あ、ちょっと……! サン……!』」
こちらに手を伸ばすルナに振り向くことなく、サンは立ち去っていく。
自分が周囲からどう思われているかなんて、当然理解している。
どんなに優しい少年でも、酷い言葉をかけられて平気なわけがない。
これ以上自分がここにいると、ルナまで巻き込んでしまう。
だからこそ、自分の役割はここまでだ。
彼女は、自分が関わっていいような人間ではないのだから。
孤独に慣れた少年は、自分が彼女の人生を壊してしまう前に――
関係を、断ち切ろうとする。
……そのはずだったのに。
× × ×
――そして、翌日。
「『ルナ……? なんでここに……』」
いつも通り一人で過ごしていたサンのもとに、ルナが平気な顔をしてやってきた。
どうやら、小鳥たちに案内されて辿り着いたようだ。
「『言ったでしょ? あなたに興味があるって。それに、あんなお別れなんて寂しいと思わない?』」
――それからルナは、何度もサンの小屋に足を運ぶようになった。
何度も、何度も。
拒まれても……彼女には関係なかった。
サンという少年の人柄を知り、信じ、話し、ルナは心を開いていった。
誰かを信じる心――
失ってしまったその感情を、ルナは少しずつ取り戻していったのだ。
途中、ルナの存在を知った街の大人たちや、サンの母親が小屋にやって彼を糾弾したが……それでも、ルナは必死でサンを守ろうとした。
自分にとってサンは、かけがえのない大切な人なの――と。
彼女の在り方を見て、サンも徐々にルナに気を許すようになり、次第に自分自身のことを話すようになる。
――そして。
いよいよ劇は終盤。
ついに訪れる……あの場面。
何度も自分のもとにやってきては、楽しそうに話をするルナに……サンは問いかけるのだ。
「『君はどうして俺にそこまで構う。俺と一緒にいて、君にいいことなんてないだろ』」
あの日、渚が返せなかったセリフ。
ルナの気持ちが理解できず、途切れ途切れのまま最後まで伝えられなかった言葉。
「『俺と一緒にいれば、君まで厄介な目に遭うんだぞ。それなのに俺に構う理由なんて……君にはないだろ』」
ライトの下、俺は渚を正面から見つめる。
「『それは……』」
「『それは?』」
眼鏡越しではなく、直接渚の目を見るのは……いつ以来だろうか。
もしかしたら、こんなにちゃんと向き合うのは初めてのことかもしれない。
渚はキュッと口元を結び、一度目を伏せた。
……さぁ、渚。
自分の言葉を証明したいんだろう?
自分が抱える想いを理解したいんだろう?
だったら手を伸ばせ、藻掻け。
そして正面から――ぶつけてこい。
届かなかった、その言葉を。
渚は視線を上げて――『彼』に向かって真っすぐ言い放つ。
一切の迷いのない、純粋な想いの光を瞳に宿して。
「『ただあなたと――一緒にいたいから』」
その一言に、場内がざわめいた気がした。
彼女の感情が、この場所にいる全員に届いたのだ。
……やっと言えたじゃねぇか。
ただ、まだだ。まだ足りない。
お前は『その次』も――言えるのか?
「『あなたのことが――』」
渚は目を閉じる。
観客席からはあまり見えないだろうが、正面に立っている俺からはしっかり見えている。
目を閉じたまま、小さく息を吐き――
再び、目を開く。
そしてルナは……。
いや、渚留衣は。
俺が今まで見てきたどの表情よりも優しく、それでいて魅力的なほど晴れやかに――
微笑んだ。
「嫌いだから」
それは――
初めて渚が口にした、台本にないセリフだった。




