第331話 彼らは素直な気持ちを伝える
「最初から……?」
「ああ。最初からだ。俺はお前の台本を見たときから、この日……こうすることを決めていた」
……完全に想定外だった。
まさかあの司が、俺に対してこんな策を打ってくるなんて。
とんでもねぇ『隠し事』を抱えて、バレないように笑って……ここまで普通に接してきたってわけかよ。
よほど大きな違和感があれば、俺だったらすぐに気が付けたはずだ。
それなのに――
最後の最後で、ドでかい爆弾をぶっ放しやがったなコイツ。
「意味が分からないとか、無理があるとか、そういう風に思っただろ? 別に理由なんてなんでもよかったんだよ。『この展開』にさえ持っていければ……どんな無茶苦茶な状況でも良かった」
そう語ったあと、司は一息ついて肩をすくめた。
「……まぁ、猿芝居はここで終わりかな。お前相手に、ここまで気付かれなかっただけで十分だ」
本当に気付くことが出来なかった事実に、こめかみがピクリと動いた。
自分で言った通り、コイツはこの状況にさえ持ち込めれば、なんでも良かったのだろう。
下手な芝居も。
つらつらと並べられた言葉も。
ずるさも、駆け引きも、裏から回るようなこともせず……真正面から向き合う。
それこそが、朝陽司だと思っていた。
――そう、思い込んでいた。
あぁくそ……マジでやられたぜ。
人の得意技を真似しやがって……。
「……いろいろ理由をつけて言ったけどさ。要するに……昴」
「なんだよ」
「劇に出てくれよ」
その一言は、いつものように軽い調子だった。
それでも、その一言に込められた『本気』はしっかりと感じる。
いつも通りだからこそ……余計に伝わってきた。
これがコイツの――望み。
「下手な芝居を打っていたわりには、ずいぶんあっさりじゃねぇか」
「もう全部バレたからな。変に隠しても意味ないだろ?」
「これがお前の策ってんなら……。実行委員がどうのってやつも、どうせ演技なんだろ? なら、俺が要求を呑む必要はねぇな」
「嘘じゃないぞ」
……なに?
「連絡がつかず、人手不足になっているのは本当だ。現に今、実行委員はかなりの忙しさに追われている。嘘だと思うなら……そう思ってくれてもいいけど」
真偽を確認する手段は、俺にはない。
ただ……嘘を言っているようには見えない。
仮に本当だとしたら、こうして話している間にも問題は膨れ上がっている。
本番の時間だって迫っているわけで……。
「昴、これは俺のわがままだ。勝手に思って、勝手に動いて、周りを巻き込んだ……最低なわがままなんだよ」
「わがまま……? お前が……?」
「うん。お前があの場所に立って、スポットライトを浴びる姿を見てみたい。たったそれだけのその想いで、俺はここまで動いた」
その告白に、俺は言葉を失った。
あの司が『わがまま』……だと?
常に他人に気を遣って、他人を優先して、空気を読んで……調整役に徹して。
そんな司が、ただ自分のためだけにここまで――?
今まで軽いノリで話したり、冗談を言い合ったりは散々してきた。
だけど、こんな一方的なわがままを聞いたことがあっただろうか?
いや。
そもそもの話、司が今までわがままなんて言ったことあったか?
自分の気持ちを押し通そうとしてきたことがあったか?
ない。
一度も、ない。
まったくもって記憶にない。
俺が知らない、見たことない司の姿。
でもそれはきっと、コイツの想いが本気だということを示していた。
「お前にとっては迷惑極まりない話だろ?」
「……ああ。よく分かってんじゃねぇか」
自分の目的のためなら、たとえ他人がどう思うが絶対にやり遂げる。
……痛いほど、よく分かる話だ。
これまで自分が行ってきたことを、そのまま跳ね返されたような――そんな錯覚に陥る。
「分かってるよ。分かっているからこそ……俺は今、お前とこうして話している」
司は本当に……俺を舞台の上に引き上げるつもりだ。
月ノ瀬でも、蓮見でも、日向でもなくて……。
よりにもよって、その『わがまま』の対象が――なんで『俺』なんだよ。
なにやってんだよ、と怒りたい。
大事なわがままを俺に使ってんじゃねぇ、と一蹴したい。
それなのに。
一粒の水滴が波紋を広げるように――
胸の奥に、ぽつりと温かさが広がっていった。
ほんの少し前なら、感じなかったはずの感情だった。
「……月ノ瀬、蓮見」
司から視線を逸らし、二人の顔を見る。
月ノ瀬は冷静に、蓮見は心配そうに……俺たちの会話を静かに見守っていた。
「お前らも……最初から全部知っていたのか?」
「ええ、知ってたわよ」
「……うん」
司と同様に、誤魔化すことなく頷いた。
「ごめんなさい、昴。私も……司の気持ちは理解できるから」
「……ごめんね、青葉くん」
「ちっ……気付けなかった俺も俺で馬鹿だな」
考えれば、違和感のヒントは何度もあった。
俺がもっと冷静になれていれば、司たちの計画に気付くことだって出来たかもしれない。
でも俺は……『終わらせる』ことばかりを考えていたせいで、細かいヒントを見落としてしまった。
俺は今日、この物語を終わらせるつもりだった。
ここですべてを出し切り、幕を引くつもりだった。
それらのことに思考を割いていたことで、ほかの部分が甘くなって……。
ピースはそこらじゅうに散らばってたのに、全部『まぁいいか』で流していた。
そしてなによりも――
司がまさか、こんな回りくどい『芝居』を仕掛けてくるなんて……考えもしてなかったんだ。
すべてが後手に回ってしまったがゆえの――現在。
「ということは……だ」
俺はため息をつきながら、教室を見回す。
「お前らも知ってたんだろ? 司がこんなことを――」
「ま、待って青葉」
俺の言葉を止めたのは渚だった。
慌てた様子を見て、俺は小さく首をかしげる。
「渚……?」
そういえば……コイツには聞いてなかったな。
月ノ瀬たちと同じように、すべて知ってたのか?
知っていたうえで、俺と話していたのか?
その疑問に答えるように、渚は――
「……わたし、なにも知らないし聞いてない」
首を振って、そう言った。
顔には困惑の色が浮かんでいる。
「は……?」
「いや、だから……あんたと同じで今初めて知った。だから結構……その、普通に混乱してる」
「……マジかよ」
「……うん。でも……わたしは……別に……」
渚はボソッと呟き、目を伏せた。
……どうなってるんだ?
月ノ瀬たちは知っていて、渚は知らない?
その基準はいったい……。
「――ちょ、ちょっと待て! ストップストップ!」
次に声を上げたのは、まさかの広田だった。
バッと挙手をした広田はへらっと笑う。
「……あのー、オレもなんも知らねーんだけど? ……マジでなんも知らねーんだけど!? 初耳なんだけど!?」
……おい。お前もかよ。
だからこれ、どうなってんだっつの。
見るからに大量のハテナマークを浮かべている広田に対して、隣に座る大浦がピクリと反応した。
「あ、朝陽の話ってなんだよ? お前ら、さっきからなんの話をしてるんだよ?」
「拓斗」
「お、おうトシ! えっと……オレ、どういう状況かさっぱり分かんねーぜ!」
「お前は隠し事が下手すぎるからな。伏せておいたほうが安全だと、俺が判断した」
「うえぇ!? トシィ!?」
広田の驚愕の声が教室中に響く。
――やられた。これは完全に一本取られた。
大浦の言う通り、広田は思っていることがすぐに顔に出るタイプだ。分かりやすく言えば、日向に近い。
仮に事情を知っていたとして、俺が偶然それに関係することに触れたら、あからさまな反応を見せていただろう。
それなら、俺もすぐに気が付けたはずだ。
でもコイツは……なにも知らなかった。
――『にしてもお前ら……妙に気合入ってんな? どうしたんだよ?』
――『え? だって……オレたちの劇、評判いいだろ? それにお客さんだって増えてるんだぜ? 絶対ミスりたくねーし……朝陽や月ノ瀬さんの足を引っ張りたくねーもん。最高の状態で最後を迎えたいだろ?』
思えば昨日、俺が質問を相手は……ほかでもない広田だったじゃねぇか。
じゃあコイツは演技をしたわけでも、嘘をついたわけでもなく……。
本当にただ思ったことを答えたってことか。
純粋な本音だったのかよ……。
「よ、よく分かんねーけどさ。実行委員がピンチだから、青葉が代わりに劇に出るって話でいいんだよな?」
「ああ。そういうことだ拓斗。……まだどうなるのか決まってはないがな」
「な、なるほど……?」
大浦の返事に困惑しながらも、広田は眉をひそめて考える素振りを見せる。
もしも……ここで広田が俺を否定すれば、状況はまた変化――
「うーん……別にいいんじゃね?」
……。
予想以上の軽さだった。
「つーか、誰も文句言うヤツなんていなくね?」
「おい待て広田、どうしてそうなる? 俺だぞ? 司じゃなくて、俺が出ることになるんだぞ?」
「え? だってお前、セリフも動きも全部完璧じゃねーか。朝陽が劇に出れねーってんなら、そこを埋められるのはお前しかいねーだろ?」
か、軽っ……。
なんでコイツ、こんなにあっさりしてるんだよ。
余計な思惑がないと分かっている分、広田の言葉は嫌でも届いてきた。
言葉だけ聞けば……たしかに正論のように聞こえてしまう。
「それに――青葉のマジ演技、ぶっちゃけ超見てみたいんだよなーオレ。……みんなもそう思わね? 見てみたくね?」
頭の後ろで手を組み、広田は軽快に話し続ける。
その言葉に反応したのは、周囲の女子たちだった。
「うんうん」
「それはあたしもそう思う」
「青葉君、実際めっちゃ演技上手かったしね。青葉君が出てくれるって言うなら……正直それも見たいよねー。うん、めっちゃ見たい!」
「だろー!?」
否定意見なんて出ることなく、ワイワイと盛り上がりを見せる。
嫌な顔をしているヤツはいない。
仕方なく便乗しているヤツもいない。
コイツらは、本当に思っていることを口にしているだけだった。
「……青葉」
「なんだよ、大浦」
大浦がじっと俺を見つめる。
いつになく、真剣な表情だった。
「勘違いはしないでくれ。俺たちは、朝陽の計画を手助けするために劇の練習をしていたわけじゃない。お前や朝陽が抱えてる事情なんて、俺たちはひとつも知らないわけだからな」
「……そうかい。てっきり、司のために一生懸命やってるもんだと思ったぜ」
「違う。良い劇を作りたい――ただ、それだけだ」
ハッキリと否定したうえで、大浦は続ける。
「俺も、ほかのみんなも……その気持ちは変わらない。お前が出ようが、朝陽が出ようが……それが叶うなら、俺たちにとっては問題ないということだ。誰か一人のためだけに、俺たちの大事なものを壊させるつもりはない」
「……俺の力で、それを叶えられると思っているのか?」
「思っている。お前は普段からふざけてばかりだが、大事な場面では冷静に周りを見られる。お前が頼りになる人間だと、信頼に足る人間だということは……重々理解している」
その隣で、広田がうんうんと激しく頷いていた。
「学習強化合宿のとき、青葉が俺たちのリーダーになってくれたようにな」
「リーダーってお前……。ほぼほぼ多数決でごり押しただけじゃねぇか」
「おっと……そうだったか? ……要するに、俺たちは考えなしで行動しているわけではないということだ」
ったく……ご立派な連中だことで。
大浦たちが積み重ねてきた努力は、誰かのためなんかじゃない。
自分たちのため。
最高の劇を作るため。
……当たり前の話だ。
司の計画を事前に聞いたところで、すべてを投げ打ってまで司の手助けをする理由なんて……大浦たちにはないのだから。
俺が司のために作り上げた舞台だとしても、コイツらにとっては『自分たち』の世界なのだ。
司がどうとか、俺がどうとか……そんなごたごたは、彼らにとってはどうでもいいわけで。
誰が出るか、ではなく。
なにを作るのか。
なにを残せるのか。
重要なのは――そっちなのだろう。
司に乗っかるわけでも、俺を乗せるわけでもない。
だからこそ……その一言一言が、真っ直ぐ俺に向かって飛んでくる。
俺に望んでいることは……たったひとつ。
それはクラスの一員として、舞台に立つ覚悟と意思。
……やれやれ。
どこまでも素晴らしいクラスで困るよ。本当にな。
湧き上がっていた怒りや困惑といった感情が、気が付けばどこかへ消えようとしていた。