第328話 朝陽司は奮い立たせる
「えっ……つ、月ノ瀬さん? いきなりなに……?」
突然の無茶ぶりに、司が表情を引きつらせた。
あらあら、まぁまぁ……司くんたら、気の毒に……。
――と、言いたいところではあるが……今回に関しては月ノ瀬の意見に便乗したいところではある。
もうじき訪れる本番。
最後の公演。
これからさまざまなプレッシャーと戦うであろう者たちに、誰かが言葉をかけるとすれば……。
それは、同じ舞台に立つ司以上の適任はいないだろう。
「おー! いいじゃん! 朝陽くんならできる!」
「ちょっ、蓮見さんまで……!?」
月ノ瀬の提案に乗っかる蓮見に、司はあたふたし出す。
月ノ瀬と蓮見という二組のツートップ美少女がこうやって盛り上がってしまえば、周囲の空気もガラッと変わるわけで……。
案の定と言うべきか、その火は一気に燃え上がった。
「なんだなんだ? 朝陽がなんか言ってくれるのか?」
「みんなー! 司くんがなにか話してくれるみたいだよ~!」
「さすがは朝陽! 頼りになるな~!」
ガヤガヤと、教室内が喧騒に包まれる。
「え、みんな……!? 俺なにも言ってないけど……!?」
動揺する司を、教室中の盛り上げにより容赦なく包囲する。完全に逃げ道なしってやつだ。
こうなってしまったら、もう後戻りは出来ないだろう。
俺はなんもしてないのに……なんだか面白い展開になってきたぜ。さすがは姉御だ。
司が焦る姿を見て、俺はくくっと笑った。
「いやー大変そうだなぁ司。せいぜい頑張れよ」
「昴、お前……。なんでそんな楽しそうなんだよ」
「楽しそうってか……楽しいからな。いやー、ドンマイドンマイ!」
「他人事だからってお前なぁ……!」
「はっはっは! 他人事だからな!」
ぐぬぬぬ……と睨んでくる司を笑ってあしらう。
「いい感じの言葉をよろしくな、司きゅん」
「……頑張って、朝陽君。ファイト」
「あぁもう……渚さんまで……。……完全に想定外だよ、これ」
盛大にため息をついたあと、観念したような司が席を立つ。
どうやら覚悟を決めたようだ。
司は、人前に出ることが得意だったわけじゃない。どちらかといえば苦手なほうだっただろう。
だけど、誰かのためなら――コイツはそんな苦手をいとも簡単に跳ね除ける。
友達のためなら。
クラスメイトのためなら。
自分の力が役に立つのなら……と。
今だって、クラスにために立ち上がったのだ。
「えっと……みんな」
その第一声に、教室内のざわめきが収まる。
俺たちはその声に、ただ黙って耳を傾けた。
「まずは――ありがとう」
お礼から始まる言葉。
その瞬間、教室内の空気がぐっと引き締まったような気がした。
ありがとう、か。
なるほど。司らしい切り出し方じゃねぇか。
「最初は、ほぼ勢いだけで決まった演劇で……勢いだけで決まった配役で…。正直、不安な気持ちはあったよ。特に、自分自身に対してね」
思わず頷いてしまう。
月ノ瀬が実行委員に立候補して、巻き込まれるように司もやらされるはめになって……。
クラスメイトの提案で出し物が演劇に決まり……。
主役を司に押し付けることは成功したものの、そのカウンターとして俺が脚本担当になってしまった。
改めて思い返せば、本当にノリと勢いだけで決まったようなものだ。
「だけど、いざ練習が始まるとホントに楽しくて……。どんな劇が出来上がるんだろう、どんな劇を観客に届けられるんだろうって……ずっとワクワクしてた」
各々、不安な気持ちだってあったはずだ。
それでもコイツらは、本番に向けてひたすら練習を重ね続けていた。
「そして昨日から始まった本番は、ここまで無事に成功を収めることができてる」
評判も上々。
モチベーションも文句なし。
ここまでは理想的な展開だと言える。
「成功できたのは、俺一人の力じゃない。みんながいたから……みんなと一緒だったから、ここまで来られたんだ。一人でも欠けていたら、また違った結果になってたかもしれない」
ま、それはその通りだな。
俺が脚本を書いたところで、演じるものがいなければなにも始まらない。
演者だけが集まったところで、脚本がなければなにも出来ない。
それに小道具や衣装だって……。
一言で『演劇』と言っても、そこに関わる人間は数多く存在する。
それぞれが、それぞれの役目を果たさない限り作品が完成することはないのだ。
「お客さんが増えて、期待も増えて……そのせいで、プレッシャーや不安も大きくなってる。いつも通りでいようって、心掛けてはいるけど……やっぱり、緊張するよね」
クラスメイトたちは、司の言葉にこくりと頷く。
全員の顔にじわっと浮かぶのは緊張と……そして、誇らしさ。
「でも、それは当たり前だと思う。だってその緊張は、みんなが頑張ってきた証だから。全力で練習してきたからこそ……本気でやってきたからこそ緊張してるんだよ」
やる気がなければ、緊張することはない。
適当でいいなら、不安なんてない。
真剣だからこそ――その分、感じるものが多いのだ。
「だから、大丈夫。俺たちならきっと……最高の劇を作れる。最高の一瞬を届けられる」
言葉に込められた、強い想いと優しさ。
司の言葉は、たしかに俺たちに届いていた。
「みんなで駆け抜けよう――最後まで」
その一言に、教室全体の士気が一気に高まるのを感じた。
まさに、最後の一押しに相応しい言葉だった。
「いいこと言うじゃない、司」
「うんうん!」
「さすが朝陽君」
月ノ瀬、蓮見、渚がそれぞれを言葉をかける。
司もそうだけど、今回は月ノ瀬のファインプレーだな。
あのキラーパスがなければ、こんな展開にならなかった。
とりあえず、ここまでの言葉は完璧だろう。
これなら、本番に向けて一気に気持ちを高められる。
そう――思っていたのだが。
「ラスト一回、全力で行こ――ん?」
最後まで言い切ることなく、言葉は途中で止まってしまった。
司は突然眉をひそめ、ズボンのポケットを触れる。
「司? 急にどうしたんだよ? トイレ?」
「いや……ごめん、なんか電話がかかってきて……」
司はポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。
「電話って……相手は誰なんだ?」
「……星那先輩だ」
「え、会長さん?」
星那先輩――という言葉に、教室の空気がわずかに揺れた。
「とりあえず、電話に出るよ。無視はできないし」
司はそう言うと、教室の端へと移動する。
会長さんから電話って……このタイミングで?
電話自体は別に普通のことだ。
なにも悪いことではない。
それなのに……なんだ?
この、背中を撫でるような妙な違和感は……。
「もしもし。先輩、どうかしたんですか? ……はい、はい。俺はちょうど今から体育館に……」
電話に出ていた司が、会長さんと話している。
最初こそ穏やかそうに話していたものの……。
「――え?」
司の声が一段沈むと同時に、表情も険しくなる。
いったい、なにがあったのか。なにを言われたのか。
どうして司の表情が変化したのか。
その理由は……次の一言で分からされた。
「実行委員と……連絡がつかない――?」
その瞬間、教室内の空気が張り詰める。
先ほどまでの高揚感が、まるで嘘のように――
重たい、沈黙だけが残っていた。
おいおい。どうなってやがる……?