第324話 青葉昴はなにかを思う
「いやー、改めてお疲れちゃんだぜお前ら! マジで良かったわ!」
「わたしもそう思う。客席側からだと、いつも以上に迫力が伝わってきて……えっと……とにかく、すごかった」
「語彙力の消失かよ」
「うるさい」
――終演後、舞台裏。
諸々の撤収作業を済ませたあと、俺たちは主役二人組に声をかけた。
「二人の言う通りだよー! 昨日よりずっとずっとすごかった! 私、途中から泣いちゃってたもん!」
「お前いつも泣いてんな蓮見」
「昔から涙腺弱いからね、晴香」
「も、もう二人とも! 余計なこと言わないで!」
練習のときから本番に至る現在まで、何度泣いているんだコイツは。
感受性が豊かというか、涙腺が弱々というか……。
……まぁ、それも蓮見らしさってやつだな。
赤くなった目元を見れば、言っていることが冗談じゃないことくらい分かる。
「ありがとう、みんな」
照れくさそうに笑いつつ、司が言った。
「予想以上にお客さんが多くて……俺、最後の挨拶のとき圧巻されちゃったよ」
「それ、私も分かるわ。さすがにちょっと震えちゃった」
「震えたってお前……それ、トイレを我慢してただけじゃ?」
――瞬間、周囲の温度が一気に下がった。
あれ、ちょっと。
急に冷房付けたの誰? もう秋よ?
「アンタそういうところよ」
「昴、お前そういうところだぞ」
「青葉くんそういうところだよ」
「あんたそういうところ」
「集中攻撃が俺を襲うッッ!!」
グサグサグサグサ――!
四人の冷たい視線を一身に受けたことで、昴くんに大ダメージ!
「でも、本当に大きなミスもなかったし、今までで一番良かったと思う!」
よよよ……と俺が一人で泣いているなか、蓮見が言った。
「わたしも同感。もしかしたら、体育館満員パターンもありえるかもね」
「満員かぁ……そうなったら嬉しいね。俺たちの頑張りが実ったってことだから」
「ええ、そうね。……その分、プレッシャーも増えるだろうけど」
先ほどの時点で、席はほぼ埋まっていた。
立ち見をしている人だっていたほどだ。
最後の公演である午後の部でどうなっているのかは……俺にも予想できない。
月ノ瀬が言ったように、人が増えればその分プレッシャーも増していく。
二人はともかく、ほかの連中がその『圧』に耐えられるかどうかが鍵になりそうだ。
劇に出ているのは、主役二人だけじゃないからな。
「……っと、ごめんみんな」
そう言って、司がポケットからスマホを取り出した。
「あ、やばっ。そろそろ実行委員の仕事に戻らないと……!」
「あら、もうそんな時間?」
首をかしげた月ノ瀬に、司はスマホの画面を見せた。
こちらからは画面は見えないが、恐らく時間を教えているのだろう。
現在時刻を確認した月ノ瀬は「本当じゃない」と、疲れたように息をついた。
「えっ、もう行っちゃうの? 二人とも忙しいね……」
「元々、二日目の午後からは一気に忙しくなるって説明されてたの。こればかりは仕方ないわね」
あー、そういえば会長さんもそんなことを言ってたな。
――『去年もそうだったが、二日目のほうが忙しくなるからな。司も玲も……ここからが本番だろう』
とか、なんとか……。
司たちの様子を見ている限り、どうやら本当に大変らしい。
「聞いた感じだと、今も結構ギリギリの人員で回してるみたいだしね」
「ほーん……」
いくら実行委員といっても、俺たちとなにも変わらない年頃の高校生のわけで……。
遊びたい気持ちや、楽したい気持ちはあるはずだ。
そういう感情を抑えて、みんなのために……学校のために頑張っているのは素晴らしいと言えるだろう。
――ま、俺にはなんも関係ないけどね。
せいぜい頑張ってくれたまえ!
忙しそうな司たちを見て、俺は腕を組んで高らかに笑った。
「はっはっは! 働け働け! 俺様のために働いてこい!」
「あんたはどの立場なの」
「そりゃあ……俺様?」
「バカなの?」
ひどい。
「なぁ昴」
「え、あ、おう。なんだね?」
「ちゃんと見ててくれたか?」
――『お前が作ってくれた舞台で……全力でサンを演じてくるから』
本番前、司が言ってきたあの言葉のことだろう。
別にいちいち言われなくても……。
俺は、いつだってお前のことは見てきたっての。
「ああ、もちろん。走るシーンで、ちょっと転びそうになってたよなお前」
「うっ……な、なんで気付いてるんだよ……誰にも言われなかったのに……」
「ぬふふ。わしの目は誤魔化せんぞ、司きゅん」
――なんて俺たちが話している横では、もう一組のやり取りが行われていた。
「留衣はどう? ちゃんと見ててくれた?」
「うん。月ノ瀬さんたち、キラキラしてた。夢中になって観てたよ」
「ふふ、そう? それなら頑張ったかいがあったわね……本当に」
「月ノ瀬さんがルナでほんとに良かったと思う」
「褒め過ぎじゃない? ……でも、ありがたく受け取っておくわ」
とまぁ、微笑ましい会話が繰り広げられていた。
渚のヤツ、本当に夢中になってたからな。
……それにしても、この二人もだいぶ仲良くなったものだ。
いや、正確には月ノ瀬が渚のことを気にかけている……といったほうが正しいだろう。
その結果、距離が縮まったのかもしれない。
「とにかく、バッチリ見てたぜ。ここまで来られたのは、主役のお前や月ノ瀬がみんなを引っ張ってきたからだ。誇りに思っておけ」
二人の頑張りがなければ、現在はない。
二人がいなければ――
「うーん……それは違うんじゃないか、昴」
「え? 違うってなんだよ?」
予想外の否定に対し、眉をひそめる。
そんな俺を見て、司はふっと笑って周りを見回した。
俺や月ノ瀬、渚、蓮見――そして、ほかのクラスメイト。
全員を見たあと、再び俺に視線を戻す。
「月ノ瀬さんや蓮見さん、ほかのみんな……それに昴と渚さん。みんなの力があってこそだよ。俺はただ、みんなに支えてもらっただけだ」
「……やれやれ。相変わらずかっこいいこと言いやがんなぁお前は……」
でも、それこそが朝陽司たるゆえん……か。
自分が持っている力、周囲からの支えも……どちらの価値も理解している。
だから責任をもって、舞台の上で『サン』として……自分のすべてを見せてくれたのだ。
そういうところだよ。
俺とお前の……決定的な違いはな。
「昴」
「なんだ?」
「次は――」
司が何かを言いかけて……黙った。
「おい、そこで言葉を止めんなよ。次は……ってなんだよ?」
「……いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「気にしないでってお前なぁ……」
途中まで言って、最後に濁されるのが一番気になるやつなんだよ。
実際、なにを言いかけていたのだろうか。
「じゃあ俺たちは行くよ。またね、みんな」
「またあとで会いましょ」
「あ、おい司……!」
結局、司は最後まで言うことなく月ノ瀬と一緒に早足で立ち去ってしまった。
「ったく……なんなんだよいったい」
「月ノ瀬さんも、ちょっと様子が違った気がした」
「マジ?」
「うん……多分だけど。なにかあったのかな」
二人の背中を見送りながら、渚と言葉を交わす。
月ノ瀬のことはあまり気にしていなかったが、どうやら渚は違和感を抱いたらしい。
「実行委員が忙しすぎて余裕がない……とかかな」
「さぁな。分かんねぇことを気にしても仕方ねぇだろ。とっとと撤退しようぜ」
「そうだね」
いつまでも、ここで雑談しているわけにはいかない。
撤収しようと歩きだしたとき、渚がすぐに足を止めた。
「晴香?」
「あっ、う、うん! なに!?」
「ボーっとしてたから……。なにかあった?」
「う、ううん! 別に大丈夫! ちょっと考えごとしちゃってて!」
「そう……?」
全然見てなかったから分からなかったぜ。
どうやらはすみん、ちょっとボーっとしていたらしい。
たしかに、途中から話に入ってこなかったもんな……。
渚の心配に対し、蓮見は慌てたように首を振った。
「どうせアレだろ? 今日の夕飯のラーメンに、炒飯をつけるか餃子をつけるかで悩んでたんだろ? 蓮見ってそういうところあるよな」
「全然そんなこと考えてないよ!? そういうところってなに!?」
「そもそも、なんで晴香の夕飯がラーメンで決まってるの」
「ほれほれ、お前らふざけてないで早く行け。次のクラスの邪魔になるぞ」
「なんで私が怒られてるの……?」
「……むかつく」
不服な顔をしながら、二人は舞台裏を後にしていく。
――こうして、三度目の公演は無事に成功を遂げた。
一度目、二度目、そして今回。
回を追うごとに完成度も増し、観客の数も膨れ上がっている。
なにもかもが順調に思える――はずなのに。
しかし、なぜだろうか。
胸の奥に、ざらついた違和感が残っていた。
「……ん?」
歩き出そうとしたとき、ポケットに入れていたスマホが震えた。
誰から連絡が来たのだろうか。
スマホを取り出し、受信したメッセージを見てみる。
送信者、そしてその内容に――俺は思わず小さく笑った。
「……相変わらず元気だねぇ」
簡単な返信を行ったあと、俺は舞台裏を後にした。
× × ×
青葉花
『息子くん! こっちの用事が落ち着いたから、午後の演劇観に行くぜ~! がんばれがんばれ~!』
青葉
『おうよ。司くんたちの晴れ舞台を見届けてやってくれ』