第321話 青葉昴は頼れる背中を見送る
――少し、時間は進んで。
「おっし。司、いよいよだな。気合入れてこいよ」
「ああ」
衣装に身を包み、軽く身体をほぐす司の背中を、俺は軽く叩いた。
表情が固くなっている様子はないし、震えなども見えない。
さすがは昨日を乗り越えてきただけあるな。
俺はニッと笑って、親指を立てる。
「安心しろって。セリフを噛んだり間違えたりしても、あとで俺が腹抱えて笑ってやるからさ」
「なにを安心すればいいんだよ……。というか、そこは慰めてくれよ」
「やだよ。なんで俺が野郎を慰めないといけないんだっつの」
なんなら落ち込む司の様子を動画に撮って、そのままクラスに拡散するレベル。
あー、でも……それはそれで好感度が上がりそうだから腹立つな。ぐぬぬ。
司は一度、周囲をぐるっと見回したあと、気持ちを落ち着かせるように息を吐いた。
「昨日よりお客さんも増えてるし……。正直、結構緊張してる」
いくら平気そうに見えるとはいえ、さすがに緊張していないわけがない。
増える観客。
高まる期待。
これだけのプレッシャーの中、特に注目を浴びるのは間違いなく主役である司だろう。
こればかりは……俺にはどうすることもできない。
「大丈夫だっての。お前ならやれるよ。……多分」
「そこは断言してくれよ。無責任だなぁ……」
「はっはっは! 俺様はいつだって無責任男よ!」
俺が一緒に緊張しても仕方ねぇだろ?
それで司が楽になれるのなら、いくらでも一緒に緊張してやるが……。
当然、そんな都合のいい話なんてないわけで。
だったら俺は俺らしく、いつも通りのテンションで……適当に調子良く振る舞っておけばいい。
――今までも、ずっとそうやってきたのだから。
司が息を吐くと、肩からふっと力が抜けたように見えた。
「……でも。お前のそのムカつく顔を見てたら、ちょっと落ち着いてきた」
「イケメンの顔……の間違いだろうが。ま、落ち着いたんならそれでいいけどよ」
ほらな。
これでいいってわけだ。
「司、準備はいい?」
――ふと、後ろから声が聞こえてきた。
振り返ると、衣装に着替えた月ノ瀬が、渚と蓮見を連れて歩いてきていた。
改めて見ると、月ノ瀬の衣装姿……なかなかに破壊力がある。
綺麗なドレスを身に纏い、我らがオシャレリーダー、蓮見によるメイクも加わり――
まさに『絵に描いたような貴族令嬢』って感じに仕上がっている。
SNSなどの書き込みでも見かけたように、よりハイレベルな『美少女』に進化していた。
なんともチートルックスな姉御である。
「あ、うん。月ノ瀬さんは?」
「バッチリよ」
「緊張は……してなさそうだね」
「当たり前じゃない。私を誰だと思ってるのよ」
司の言葉に、月ノ瀬はふふんと自信げに胸を張って――
胸を……張っゲフンゲフン。
そ、そういう意味じゃないから! 言葉のあやだから!
「――昴? アンタ今、失礼なこと考えてない?」
「いいいいいいえ? ななななんのことでしょうか!?」
「月ノ瀬さん。青葉のあの顔、絶対変なこと考えてるよ」
あっ、このコミュ障眼鏡やりやがった。
ボソッと放たれた渚の一言に、月ノ瀬がニコォ――と笑った。
ニコッ、じゃないからね。
ニコォ、だからね。
おかしいな。
なんで月ノ瀬の背後に修羅様が見えているんだ?
「私もそう思ったわ。――昴、あとで覚えてなさい?」
「……いい気味」
「ちょっ、おいこらてめぇ渚! 余計なこと言ってんじゃねぇぞ! お前のせいだからな!」
「昴、なにか言った?」
「言ってないです姉御ぉ!」
せっかく適当にごまかせそうだったのに!
胸を張って……とか言い出したヤツ誰だよ!
お前のせいだからな!?
月ノ瀬は呆れたように肩をすくめつつも、軽く笑って言った。
「まったく……。アンタと話してると、緊張とか不安とか……全部吹き飛ぶわね」
「えへえへえへ! それほどでもある!」
「調子に乗らない」
「はいすみません」
怖い。
怖いよ姉御。
「とにかく、私はこれまでやってきたことを出すだけよ。それ以外に出来ることなんてないもの」
「うん、そうだな。月ノ瀬さんは本当に頼りになるよ」
司の言葉に、俺も心の中で同意する。
実際、月ノ瀬のこういう性格は頼りになる。
いつだって自信に満ちていて、自分の役割をしっかり果たしてくれる。
月ノ瀬のように、先頭に立ってみんなを引っ張れるヤツがいると…チームってのは一気にまとまる。
もちろん、脆い部分や弱点はあるが……そこは周りが補ってやればいい。
そのための『友達』――みたいだからな。せいぜい支え合ってくれたまえ。
「頼んだぜ、姉御」
「頑張って姉御ー!」
「ふぁいと、姉御」
俺に続いて、蓮見と渚もグッと親指を立てる。
脅威の姉御三連鎖が決まったことで、月ノ瀬はげんなりした目を向けてきた。
「アンタたちねぇ……。はぁ……まぁいいわもう」
苦笑しながらも、月ノ瀬は力強く笑った。
「全力でやってくるわ。……最後まで、ね」
月ノ瀬の言葉に俺たちは頷いた。
この様子なら、午前の部も無事に駆け抜けてくれるだろう。
「さて、と。今回も俺は客席側で見てくるわ」
ここに俺がいても、やることはなにもない。
であれば昨日のように離れた場所で観ていたい。
背中を向け、歩き出そうとしたとき――
「あ、待って青葉」
渚が俺を呼び止めた。
俺は振り返り、首をかしげる。
「なんだよ」
いったいなんの用だろうか。
なに勝手にどっか行ってんだよ締めるぞ、とか。
てめぇ勝手な行動ばっかりしてんじゃねぇぞ埋めるぞ、とか。
そんな恐ろしいことを言ってくるのかと警戒していると――
「……」
渚は少しだけ目を伏せたあと……再びこちらを見た。
「わたしも一緒に行っていい?」
「一緒に?」
「うん……。客席側から劇がどう見えるのか、わたしも気になってたから」
なるほど。
たしかに見ておくと参考にはなるだろう。
「いいじゃない。行ってきなさいよ留衣」
「そうだね。あとで感想を教えてよ渚さん」
「うんうん! 一緒に行ってきなよ!」
俺が返事をしようとしたところ、なぜか月ノ瀬たちがまとめて答えていた。
……ま、いいか。
劇を観るだけなのだから、断る理由もない。
「おっけー。お前の好きにしろ」
「分かった。好きにする」
こくりと頷く渚の表情は、どこか安心しているように見えた。
「昴」
司が俺の名前を呼んだ。
「んだよ」
「見ててくれよ」
「見てて……?」
眉をひそめる俺に向かって、司は拳を突き出してきた。
そして、自信に満ちた表情で――続けて言い放つ。
「お前が作ってくれた舞台で……全力でサンを演じてくるから」
……やれやれ。
頼りになる親友だぜ。
「おう。バッチリ見届けてやるよ」
拳を突き合わせて、グータッチ。
「留衣」
今度は月ノ瀬が渚に声をかけていた。
「ん……?」
「アンタも見てなさい。アンタのこれまでの頑張りが無駄じゃないって……私が証明してあげるわ」
「月ノ瀬さん……」
どうして今、その言葉をかけるのかは分からない。
だけど、たしかに感じたのだ。
二人から溢れる、強い『覚悟』を。
――まるで、これが最後の舞台だと言わんばかりに。
「行ってくる」
「行ってくるわね」
その背中に、迷いなんて一切ない。
俺たち三人は、自信を持って彼らを見送った。