第317話 星那沙夜は問う
――その後、俺は時間の許す限り、会長さんと星那さんを連れ回した。
小西の占いにも連れて行きたかったのだが、四組にまさかの長蛇の列が出来上がっていたため泣く泣く断念することにした。
それでも気を取り直して、俺たちは校内を彷徨うように巡った。
足の向くまま気の向くまま、出し物を片っ端から楽しんでいく。まるで、地図もガイドもない旅のように……。
昨日、渚とも行った三年一組のゲームバトルでは……星那さんが超絶無双っぷりを見せてくれた。
渚とガチ勝負をさせたらどうなるか見てみたいと、本気で思ってしまうほど凄まじいゲームスキルで……。
さすがはゲーム関係の仕事もしているだけあるぜ……と改めて思ったものである。
それからも、星那さんの『もう満腹に近いのですが……』という訴えを華麗にスルーしてカフェに行ったり、ホットドッグを食べたり……。
時間や混雑の関係ですべてのクラスを回れたわけではないが……まぁ十分見て回れただろう。
会長さんがやってきたときの『せ、せせ生徒会長さん!?』という生徒たちのリアクション。
そして星那さんを見たときの『な、なにこの美人!? だれぇ!?』という生徒たちのざわめき。
振り返るだけでも、なかなか面白かった。
そんな中で――一番印象的だったのは、間違いなく。
汐里祭の雰囲気や楽しさに困惑しながらも自分なりに遊ぶ星那さんと、その隣で心の底から楽しそうに笑う会長さんの姿だった。
あの時間こそが、きっと会長さんが求めていたものだったのだろう。
もしも、二人が同級生だったら――
そんな光景見られたような時間だった。
そして時間は、あっという間に過ぎていく。
× × ×
――場所を移して、中庭。
校内の熱気から逃れるように、俺たちはひと息つくために外へ出ていた。
中庭をはじめとして外にお店を出しているクラスもあるが、それでも校内よりはまだ落ち着くことは出来る。
汐里祭、午前もいよいよ終盤。
俺は演劇の準備のために、そろそろ体育館に向かわないといけない。
つまり、この二人と過ごす時間は――ここまでだ。
「そんなわけで……いかがでしたかお二人さん。楽しかったですか?」
俺の問いかけに二人は顔を見合わせ、息を合わせたようにこくりと頷いた。
「ああ、楽しかった。皆がどんな出し物をしているのか、自分の目で見られたことも嬉しかったよ」
「私も……なんだか不思議な気持ちになりました。楽しかった……のだと思います」
穏やかな笑みを浮かべる会長さん。わずかに口元を緩める星那さん。
その表情が、すべてを物語っていた。
「そりゃよかった。柄にもなく頑張ったかいがありましたわ」
お前の好きなようにしろや、と流れるように全任せにされて……。
計画性なんて微塵もなく、ただ思うがままに二人を連れ回した。
さすがに文句の一つや二つを言われるだろうなと思っていたが、そんな様子はなくて……。
二人は終始、楽しそうにしていたのだ。
感情の起伏が少ない星那さんはよく分からなかったけど。
――なんて思いながらも、俺はふと星那さんの頭へ視線を向ける。
「……つーか星那さん。それ、いつまでつけてるんですか?」
「それ……?」
「頭の、それですよ」
「あぁ……これですか」
頭を指差すと、星那さんはそっと自分の頭に触れた。
厳密には、頭に着けている『お面』に……だが。
犬のような猫のような……よく分からない動物がニカっと笑っている謎のお面。
それは、三年一組のゲームバトルに参加したときに賞品としてゲットしたものだった。
昨日とは賞品をガラッと変えており、なんでもこのお面は、クラスの女子が考えたオリジナルのデザインらしい。
独創的というか個性的というか……。
美人なお姉様が、謎の生物のお面を頭に着けている姿はなんともシュールだった。
「せっかくいただいたのですから、着けておこうかと。それに可愛らしいデザインなので」
「え、可愛いんすか? それが?」
「……? そうですが?」
両手でお面に触れたまま、無表情でこてんと小首をかしげる。ちょっと可愛いなおい。
お面に関しては可愛いというより、奇妙という言葉のほうが合っていそうだが……。
そこはさすが星那さん。どうやら感性も独特らしい。
「フフ、まるで夏祭りではしゃぐ子供を見ているようだな」
「夏祭り……?」
会長さんがくすりと笑うも、星那さんはよく分かっていない様子。
分かりますよ。
俺も同じようなこと思ってたので。
今の星那さんを見ていると、ちょっと微笑ましい気持ちになってくるからな……。
「椿」
「なんでしょうか?」
会長さんは腕を組み、優しい眼差しを向ける。
「楽しかったな」
「……はい」
たったそれだけ、短いやり取り。
けれどそこに、二人のすべてが詰まっている気がした。
――さて、と。
俺のお役目完了ってことで……そろそろ退散しようかね。
「ほんじゃ、俺はそろそろ行きますわ。お二人も劇を楽しんで行ってくださいね」
そう言って軽く手を振った、ちょうどそのとき――
「待ってくれ昴」
会長さんが俺を呼び止めた。
「ん? なんすか?」
なにやら真剣な顔をしている会長さんに、俺は少しだけ身構える。
この人がこういう顔をしているときは、大抵厄介なことを言ってくるわけで……。
警戒する俺に、彼女は一拍置いて――告げた。
「キミも――変わったものだな」
「……え?」
唐突な言葉に、俺はなにも言い返すことが出来なかった。
変わった――?
眉をしかめる俺に会長さんはゆっくりと言葉を紡いでいく。
「まさか『キミ』が自分以外の誰かを楽しませるために、ここまで考えて動いてくれるとはな。自分にメリットがないというのに……だ」
穏やかな声。
それでいて、鋭く核心を射抜いてくる言葉。
さまざまな感情が渦巻いた赤い瞳が、じっと俺を見つめる。
見ているのはきっと俺の目ではなく、さらに奥……深いところ。
まさぐられるような嫌な感覚に耐えながら、俺は黙って向かい合っていた。
「去年出会った頃のキミだったら――他人の問題に興味や関心を示すことなどなかったはずだ。それも司にはなにも関係ない、私たち個人の問題などな」
「……そうっすかね」
「そうだろう? 少なくとも春頃のキミだったら、私たちの話を聞いたとしても『それがどうした? こっちに関係ある?』なんてスタンスを取っていたのではないか?」
「いやいやいや、なに言ってんすか。俺はそんな薄情な男じゃないっすよぉ」
ヘラヘラと笑い、俺は否定する。
――ま、たしかに会長さんの言う通りかもな。
それこそ俺が月ノ瀬の問題に関わるつもりがなかったように、仮に会長さんや星那さん周りの事情を知ったとしても……今と対応が異なっていただろう。
それでも、俺の中の優先順位はなにも変わっちゃいない。
やるべきことも、考えるべきことも、なにも変わっちゃいない。
会長さんは俺を見る目をスッと細める。
「夏の始まり――キミの身になにがあった? キミがそうなったきっかけは……どこにある?」
……これ、分かってて聞いてやがるな。
自分の言葉ではなく俺の口から、俺の言葉で語らせようとしてる。
「さぁ、なんの話か分かりませんね」
俺は苦笑いしながら肩をすくめて、空を見上げる。
雲ひとつない空が、やけに眩しい。
だけど言葉は、不思議と止まらなかった。
「ただ……まぁ」
夏の始まり……か。
月ノ瀬が転校してきて、司を取り囲む環境が変化した。
司を中心に、この物語が少しずつ動き出した。
そしてそんな中で、俺の周囲でも変化が起きてしまって――
これまで『裏側』を見ていなかったはずの目が、徐々に向けられるようになってしまった。
例えば。
「どこぞの優しい子にちゃんと怒られましたっけね」
――『なんで昴さんは、自分は関わってないって。知らないって。関係ないふりばかりするの?』
彼女は望んだ。
青葉昴を支えたいと。
青葉昴を助けたいと。
「あとは――」
もう一人。
「どこぞのおっかない鬼様に、胸ぐらを掴まれましたね。普段絶対に聞くことがないくらい、声を張られて」
――『わたしたちの中に……あんたはちゃんといるの! 大事な……友達なの!』
彼女は望んだ。
青葉昴を理解りたいと。
青葉昴と出会いたいと。
彼女たちは見るべきではないものへ目を向けてしまった。
舞台を表で彩る登場人物が、その舞台の裏側を覗こうとしてしまった。
嫌悪や憎悪、負の感情を向けられることには慣れていた。むしろそっちのほうが良かったし、心地よかった。
ガキの頃、散々向けられた感情だったから。
だけど。
――『わたしはあんたを救うつもりはないし、変えるつもりもない。ずっと言ってるでしょ? わたしはただあんたを理解りたい。それだけ』
――『どんなに悲しくても、どんなに寂しくても、どんなに悩んでも……やっぱり私は、昴さんのことが好きだよ』
あの桃色の瞳と薄紫の瞳は、ほかの誰でもない……『青葉昴』のことを、真っ直ぐに見ていた。
逸らすまいと。
逃がすまいと。
逃げるな、こっち見ろ――と。
司《アイツ》以外から、あんなにも純粋な眩しい感情を向けられたのは……初めてのことだった。
それが夏の始まりの……些細な、ほんの些細な出来事。