第315話 青葉昴はしれっと促す
――場所を移して、二年三組。
俺たち三人は、さっそく食事の時間を楽しんでいた。
では、いったいなにを食べているのか。
二年三組ということから分かるだろうが――
「ふむ、揚げパンというのは久しぶりに食べたが……なかなかおいしいな」
そう、三組特製の揚げパンである。
まずは腹ごしらえということで、せっかくだから昨日もお世話になった三組を選んだ。
クラス内はほど良く繁盛しており、お客さん同士のガヤガヤとした話し声のおかげで、俺たちの会話は周りに聞こえていなかった。
廊下もそれなりに騒がしいから余計にな。
「甘さもちょうどよく、ボリュームとのバランスも良い。これなら子供や女性も食べやすいだろう」
会長さんがパンを眺めながら、しみじみと呟く。
高級スイーツでも口にしたかのような、上品な評価だが……要するに気に入ったということだろう。
でも、マジでうまいからなこのパン。馬鹿には出来ないぜ。
「私も幼少期に一度食べた以来ですね。……とてもおいしいです。作り方を聞きたいくらいには」
星那さんも、パンを両手で持ってそっと口に運んでいた。
食べ慣れてないのか、少し緊張したように小さく口を開けて、少しずつ頬張っていた。
その様子がなんだか面白くて、俺はくすっと笑みをこぼす。
まぁ少なくとも、お嬢様たちが食べるようなものではないかもな。
とりあえず、二人から好評だったということで――ちゃんと褒めておくとしよう。
誰を褒めるのかって?
ふっふっふ、そんなの決まってるだろ?
その相手は――
「だってよ、いぐっちゃーん! 会長さんがめっちゃうまいって言ってるぜ~!」
三組に所属する彼氏持ちリア充女子、いぐっちゃんこと井口である。
近くのテーブルで接客をしていたところに声をかけると、ビクッと肩を揺らした。
俺を見て、会長さんを見て、それから星那さんを見て――
視線を彷徨わせた末、恥ずかしそうに目を逸らした。
「あ、ありがとうございます……!」
井口は顔を赤くしながらも、ぺこっと頭を下げた。
会長さんの知名度や人気具合は、間違いなく校内でトップクラスだ。憧れている人や、好意を寄せている生徒はたくさんいるだろう。
そんな人が突然自分のクラスに来たら……こんな反応になっても仕方ないのかもしれない。
井口はそそくさと俺のそばに寄ってくると、声をひそめて耳元で話をしてきた。
「ちょ、ちょっと青葉君、いきなり生徒会長さんを連れてくるとか本当にビックリしたんだからね……!?」
そりゃそうだろうな。
「それに、すっごく美人な先輩も一緒に……! ってか、なに? 知り合い……!?」
「はっはっは、それはどうだろうな。引き続き頑張りたまえ」
無責任な応援をして、井口の質問を躱す。
詳しく説明する理由もないし、これが正解だろう。
「もう……」
不服そうな顔をしながら、井口は俺から離れる。
「腹いせに、このことを留衣ちゃんに報告しちゃおうかな……ほーんとビックリした……心の準備もあるから一言声をかけてくれればよかったのに……」
ブツブツと文句を垂れながら、井口は教室の奥へと戻って行った。
……つーか今、物騒な単語が聞こえてきたんだけど? 俺の気のせい? 怖いから気のせいってことでいいよね?
鬼様の恐ろしい圧が頭に過ぎりつつ……俺はパンを一口頬張る。うまい。
もぐもぐと咀嚼をしながら、ふと会長さんたちを見てみると――
「椿、口元に粉がついているぞ。どれ、私が拭いてやろう」
「そんなことで沙夜様のお手を煩わせるなど……」
「いいのだ。ほら、キミがジッとしていろ」
「さ、沙夜様っ――」
そこには、満開の百合がさいていた。
あの……ちょっと目を離した隙に、キラキラ百合空間になってるんですけど?
眩しくて俺みたいな男は浄化されそうなんですけど?
会長さんはふわりと微笑みながら、星那さんの口元を指先でそっと拭いた。
「……ありがとうございます」
「うむ。気にするな」
お互いに自然体で交わされる、親しみと敬意の入り混じった会話。
そんな光景を前にして、俺が言えることは――
「おー……」
たったそれだけだった。
同時に、今のやり取りを見ていて思ったことがあった。
「む? どうした昴」
視線に気付いた会長さんが、不思議そうにこちらを向いた。
二人を見て思ったこと。
同じ制服を着て、話して、触れ合う二人を見て……感じたこと。
それは――
「いや、こうして見ると……二人ってホントに姉妹みたいだなって」
俺はパンを片手にそう答えた。
「「姉妹……?」」
お、揃った。
俺は二人に頷いて話を続ける。
「同じ制服を着てますし、容姿や雰囲気だって似てますからね。……まぁ、従姉妹なので実際に姉妹みたいなもんですけど」
同じ姓を持っていることや、同じ血が流れていることを抜きにしても、二人は本当によく似ていた。
雰囲気はもちろん、ふとしたときの表情や、ちょっとした言動など……。
一言で『従姉妹だから』と纏めてしまうには惜しいほど、本物の姉妹のように仲が良いように見える。
きっとそれは……これまで共に歩んできた二人の絆の証明なのだろう。
とはいえ、だ。
二人は互いを大切に思っている。
きっと心の距離だって近いはずだ。
それなのに……言い表せないなにかが、二人を縛っている気がして――
「もしも二人が同級生で、同じ学校に通ってたとしたら……今みたいな感じだったんじゃないっすか? 仲良し姉妹、あるいは親友……的な?」
「同級生……」
「同じ制服……」
ぽつりと二人が呟く。
たった一言のその呟きには、彼女たちが抱えるさまざまな感情が漏れているように感じた。
――ふむ。もう一押しか。
となれば……最後にひとつだけ、言葉を残してやるとしよう。
どう受け取って、どう動くかは――この人たち次第だ。
それ以上の介入は……俺にとってなんの意味も為さないし、必要もない。
俺は少し間を置いて、軽い口調で二人に向かって告げた。
「そんな『もしも』だったら、今みたいに二人揃っていろいろ拗らせてなかったのかもな。あんたら」
俺は薄っすらと笑みを浮かべる。
もしもの話をしても、なにかが変わるわけではない。
失ったものを取り戻せるわけでもない。
しかし、今この瞬間に至っては――
極限までに複雑で、面倒くさくて、重い感情を抱くこの二人には……少なからず響く言葉だろう。
さぁ、どう出る?
「……フフ」
会長さんが苦笑し、手に持っていたコップを静かに揺らす。
まるでその透明な波が、彼女の感情の揺れを映しているようだった。
「拗らせ、とまで言うか」
「おっと失礼」
「いや、構わない。もっとも……『キミ』がそれを言っても、説得力はないと思うぞ? キミだって、人に言えるほど拗らせていないわけではないだろう?」
「……なんの話っすかねぇ」
頭の後ろで手を組み、わざとらしく返事をする。
「同意です」
「星那さん???」
しれっと追撃してきた星那さんの名前を呼ぶと、何事もなかったかのように目を逸らされた。
ここまでの会話は、表面上だけ見れば冗談交じりの明るいものに思えるが……。
それらの会話の裏に、なにか大事な空気が流れているのを俺は察していた。
それを証明するかのように――
「もしも……か」
そう、会長さんが呟く。
先ほどまでの明るさから一転して……どこか遠くを見るような目をしていた。
――さて。
ここから先は、俺の役目ではない。
一旦フェードアウトするとしますかね。
俺の『軽口』が効いたようでなにより、だ。
「なぁ、椿」
持っていたコップをテーブルに置き、会長さんは星那さんへと顔を向ける。
「なんでしょうか?」
会長さんから感じた真剣さが伝わったのだろう。
星那さんも自然と表情を引き締めていた。
そして会長さんは――星那さんへ問いかける。
「キミは――私のこと、好きか?」
その問いはあまりに唐突で、それでいて……あまりにも直球で。
だけど。
百合の花が――なんて、冷やかせるようなものではなかった。