第314話 星那沙夜はコツを伝授する
大元となる『誰か』がいないと模倣は不可能。
それはたしかに、言われてみれば当然のことだった。
この人は演技をしているわけではない。
星那椿としてなにかを演じているわけではない。
思考も、振る舞いも、言動も、それらすべてが――『その人物』になっているのだから。
難しくも、単純な話。
それでいて――どこか理解が難しいものだった。
「今までキミが見てきたさまざまな椿は、すべて誰かを模倣したもの。決してオリジナルではないのだよ」
「……なるほど」
星那さんの横顔をチラッと確認する。
自分自身の話のはずなのに、まるで他人事のように平然と聞いていた。
自分の目で見たものを、限りなく細かく再現する才能。
しかし、ゼロから『人格』を生むことは出来ない。
自分で作り出すのでなく、既に完成しているものを形にする。
――正に、模倣。
「沙夜様の仰る通りです。演劇においては、その『誰か』は存在しないでしょう? あるのは性格や好みなどの設定だけで、実在するわけではございません」
「そう……ですね。星那さんのは『模倣』であって『演技』ではない、と」
「そういうことです」
これは……なかなか難解な話になってきたな。
「ってことは、例えば今回の演劇で言うと……。ルナは演じられないけど、ルナを演じる月ノ瀬には『成れる』と……?」
「はい。それは可能です」
「ほー……」
あっさりと、星那さんは確信をもって言い切った。
俺にとっては、これだけでも相当ぶっ飛んでる話なのだが……。
星那さんにとっては、それが『日常』なんだろう。
たとえ演技が出来ないとしても、やはり規格外だな……この人。
「『私』という人間のままで、なにかを演じるということが……未だに掴めないのです」
変な冗談を言うことはあるけど……それは演技じゃないもんな。
「自分のまま……か」
なんだか、聞いている俺自身もなんとも言えない気持ちになる言葉だった。
人間は誰しも仮面を被っている。そして時には演技をする生き物だ。
自分に嘘をつき、他人に嘘をつき、好きでもないことを好きだという。
相手に合わせた自分を演じ、自分の居場所を求める。
それはきっと――気付かぬうちに根付いてしまった『呪い』のようなもので……。
その呪いがあるからこそ、集団の中で生きられる。
その呪いがあるからこそ、愛を享受できる。
きっと大半の人間にとって、それはもう呼吸と同じだ。
生きるために、自然と身についてしまった『演技』。
でも――星那さんには、それがないんだ。
演じるとはなにか。
自分とはなにか。
それを彼女は……未だに探し続けているのだろう。
「なんとなく分かりました。演技のアドバイスとかがあれば、参考までに教えてもらおうと思ったんですけど……」
「お力になれず申し訳ございません。そういったお話は……沙夜様に聞くのがよろしいかと」
「あー、それはたしかに? 去年、王子様をバッチリやってましたもんね」
「フフ、懐かしいな」
去年、会長さんたちのクラスがやっていた演劇は今でも忘れていない。
思えばあの演劇があったからこそ、男装喫茶なんて企画が生まれたのかもな。
「では……そんな会長さんに聞きますが、ズバリ演技のコツはあります?」
「む、コツか? 私はプロではないから、たいしたことは言えないぞ」
「分かってますって。それでもいいっすよ」
「そうだな……」
会長さんは少しだけ考えるように目線を逸らし――
そしてゆっくりと俺の目を見て……微笑んだ。
「自分だけではなく、相手もしっかり見ることだ。相手の呼吸やタイミングを意識して、適切な動きを取る。一人芝居ではない以上、そこには相手もいるわけだからな」
「ほんほん……」
「その人物がなにが好きで、なにを思って、なにを抱えて、なにを目標に生きているのか……そういった部分を理解することも、演技を『具現化』するコツではないだろうか」
具現化って……。
でも、妙に説得力がある。
『役』っていうのは、想像上の存在をこの世に『現す』ってことだもんな。
「その世界に生きる『登場人物』という仮面をかぶり、舞台に立つ。『自分』という器を纏いながら、自分ではない『誰か』になる。だからこそ分かるものや、見えるもの……向き合えるものがあると思うぞ」
「なんかすげぇっすね……」
並べられたその言葉に、俺は思わず素直に感心してしまった。
舞台で演じる、自分だけど自分ではない誰か。
そこから分かるものや見えるもの、向き合えるものがある……か。
いやぁ……演技って深いねぇ……。
「ありがとうございます。司たちにちゃんと伝えておきますよ」
「いや、これは彼というよりキミに――っと、なんでもない。ぜひ伝えておいてくれ」
「おん……?」
今、なにを言いかけていた……?
「さすがは沙夜様です。素晴らしいお言葉でした」
「フフ、もっと褒めてくれ椿」
「やはり沙夜様のお言葉はいつも素敵で、聞いていて感銘を受けます」
「フフフ……」
なんだこのやり取りは。
俺はなにを聞かされているんだ。
「――さて、昴」
ここまで聞いたさまざまなことを考えながら歩いていると、会長さんが立ち止まって俺を見た。
「まずは二年生のフロアに辿り着いたわけだが……どうするのだ?」
おぉう……いつの間に。
どうやら話に夢中で気付かなかったらしい。
気付けば視界には、二年生たちの出し物の看板がズラリと並んでいた。
三年生のフロアほどではないが、それなりに混み合っている。
会長さんの問いかけに、俺はドヤァと胸を張る。
「そりゃまぁ決まってるでしょ!」
まず、やることと言ったらひとつ!
「腹ごしらえだぜ!」
――とにかくワシ、腹減ったなり。