第313話 青葉昴はなんとなく聞いてみる
「昴、演劇の調子はどうだ? 午前の部は大丈夫そうか?」
廊下を進んでいる途中、少し前を歩く会長さんから質問が飛んできた。
その質問に、俺は肩をすくめて気の抜けた返事をする。
「まぁ大丈夫なんじゃないすか? 俺は特にやることないですし、アイツらに頑張ってもらうだけです」
司たちがしっかり活躍してくれているから、俺のやることはもうなんもない。
適当に冷やかして、適当にサポートして……それで終わりだ。むしろそれしかやることがない。
あとはまぁ……昨日やってやったみたいに、広田たちの練習に付き合うくらいか。
俺と似たような立場の渚は、最後まで蓮見やほかの連中の補助に励んでいるが……仕事熱心で素晴らしいことである。
「……それはそうだな。私も今日は午前と午後、どちらも観に行くつもりだ。昨日は行けなかったからな」
会長さんは頷き、穏やかに目を細めた。
どうやら、本当に楽しみにしてくれていることが分かる。
「お、マジすか。アイツらも喜びますよ」
会長さんが観に来てくれるとなれば、より一層気合が入るだろう。
「うむ。クラスメイトや知人に声をかけておこう」
「あざす。観客が増えるのは純粋に嬉しいっすからね」
「沙夜様が観に行くのでしたら……私もお供します」
「おぉそうか。それこそ椿は、昨日観に行ったのだろう?」
「はい。そのときに昴様に見つかり――ではなく、見つけていただいて声をかけられました」
「ちょっと星那さん? 見つかったって言おうとしましたよね?」
ま、まぁ別に嘘は言ってないけども。
一方的に俺が星那さんを見つけて、声をかけただけだけども。
「それで、椿の目にはどう映った?」
会長さんが問いかけると、星那さんは少し目を伏せた。
昨日聞いた感じでは、面白いって思ってくれていたようだけど……。
少し間をあけて、星那さんは丁寧に言葉を紡いだ。
「面白かったですよ。司様をはじめ、玲様はほかの皆さまも……とても活き活きしておりました。素敵なものを観させていただきました」
「……ほう。それはますます期待できるな」
星那さんの感想に、会長さんはニヤリと笑う。
ハードルが上がっている気がするが……まぁいいだろう。大変なのは司たちだからな。
それにしても……星那さんが言った『活き活きしていた』という言葉は、妙にしっくりきた。俺も同じ感想だったからだ。
アイツら、誰一人として『やらされている感』がないんだよな……。
出番が少なかったり、悪い役だったり……人によってキャラクター性は異なるのに、それぞれが熱意を持って演じてくれていた。
演技が下手だとか、動きが微妙とか……もちろん思うことはそれぞれあるだろう。
しかし、学生演劇において大事なのは――熱意。
アイツらがこの劇に懸けてくれている想いは、観ている俺にまでしっかり届いていた。
台本を作った身としては……なんだかムズ痒い。
面白い劇とか、みんなが楽しめる劇とか……そんな優しい目的で作ったわけではないのだから。
「昴も劇に出ているのだろう?」
「え?」
考えごとをしている最中、会長さんから飛んできた問いかけに呆けた声が出る。
「たしか……床Cの役だったか?」
「床Cってなに? AとBは誰がやってんの?」
「冗談だ。……屋根Dだろう?」
「ちがうわ! なんですかそのいろいろ危なそうな役は! しかもDに落ちてるし!」
「フフ」
楽しそうに笑う会長さんにため息をこぼす。
なんだよ床とか屋根って。ステージ上にずっと寝転がってるの?
木の役とか、草の役とかは聞いたことあるけど……さすがに床は聞いたことないぞ。
「ったく……。あ、劇と言えばなんですけど……」
演劇の話ということで――
ふと気になったことを思い出して、俺は隣の星那さんへ視線を向けた。
その視線に気が付き、星那さんは小さく首をかしげる。
「星那さんって演技とかはどうなんです? ほら、演劇とかなら『あの才能』を遺憾なく発揮できそうかなぁって」
「あぁ……夏休みにも似たようなことを仰っていましたね」
「あれ、そうでしたっけ」
言われてみれば、会長さんの別荘でそんな話をした気がする。
そのときは明確な答えは返ってこなかったが……。
実際、星那さんをステージに立たせたらすごそうじゃね? 一人で何役もこなせそうだし、演技以上のものを見せてくれそうだし。
もしかすれば、そっちのほうが才能を活かせるのでは?
――しかし、その疑問はすぐに打ち砕かれることになる。
「昴、キミの疑問はごもっともだが……」
会長さんがひと呼吸置いてから、真面目なトーンで俺に告げた。
「椿はな……演技が出来ないのだ」
「……え?」
出来ない――?
上手とか下手とか……そういうのではなく……出来ない?
会長さんの言葉に、俺は思わず眉をひそめる。
「いや。出来ないというより……分からない、と言ったほうが正しいか」
「どういうことです……?」
まったく想像がつかなかった。
あんなに恐ろしいくらい『自分』を切り替えているのに……『出来ない』ってどういうことだ?
それに、分からないって……。
会長さんは一度星那さんへと目を向ける。
「お好きに話してください。隠すことでもありませんから」
「分かった」
会長さんは再び俺を見た。
「それこそ、以前に演技関係の仕事があって……試しに椿に演技をお願いしたことがあるのだが……。とても人に見せられるようなものではなかったな」
「沙夜様以外の方にも止められましたね。私自身……アレは大きな失敗として覚えております」
「マジですか? だって普段からあんなに……」
あんなに器用なまでに模倣を――
ん? 模倣?
……。
「あっ……」
「気付いたか? 分からない、の意味が」
演技が出来ないのではなく――分からない。
星那さんの才能は――本人かと見間違うほどに誰かを模倣すること。
そしてその二つは……決してイコールではない。
会長さんの言っていたことが、なんとなく理解出来た気がする。
「椿は誰かに『成る』ことが出来る。表情や仕草、口調、細かいところまで……その人物に成れる」
現在の先輩モードの星那さん。
ハイテンションモードの星那さん。
掃除のお姉さんモードの星那さん。
そのすべては……演技ではなく、模倣。
そう、どこまでいってもそれは『模倣』なのだ。
「だが、それらは――」
つまり……。
「大元となるその『誰か』がいないと不可能なのだよ。自分の目で見て、接し、理解した……その誰かがな」
そう……なるよな。