第312話 青葉昴は任される
「さて、と……。それぞれ準備はいいか?」
生徒会室前にて。
会長さんが軽やかな口調でそう問いかけると、俺と星那さんは顔を見合わせて、同時にこくりと頷いた。
隣にいる星那さんは、例の制服姿。
髪型も瞳の色もいつもと違っていて、なんというか……本物の『学校の先輩』に見えてくる。
体格も会長さんとほとんど変わらないから、マジで違和感がない。
この人、見た目だけで言えばまだまだ現役女子高生として周りを騙せると思う。
……でも、さすがに普段の星那さんは大人っぽさが溢れ過ぎてるか。
「うむ。では……本格的に汐里祭を回るとしようか。昨日は店で忙しかったから、私も楽しみだよ」
「あ、そうだったんですか。一日中大忙し……的な?」
「店のほかにも、運営業務のサポートなどもあったからな。こうしてゆっくり出来る時間はなかったと言っていい」
「あらまぁ……それはそれは……」
「せっかくの機会だ。ちゃんと楽しんで回りたいものだな」
そう言って微笑む会長さんの顔は、いつものように涼しげなもので……。
だけど、どこかちょっと……子どものようにワクワクしてるようにも見える。
その表情こそ、『今を楽しんでいる』というなによりの証拠だった。
まぁ、男装喫茶のあの繁盛具合を考えると……自由時間の無さも頷ける。
「回る、ということで……。では手始めに、俺様のトリプルアクセルを見せてやりましょうか! 回る、だけに!」
俺は無意味なドヤ顔を見せつけながら、その場でクルクルと回り始めた。 スケートやったことないけど。
まずは軽快なギャグで、二人のハートをガッチリ掴んでいかないとな! お笑いも掴みが大事って言うし!
会長さんがきっと、『そっちの回るじゃないわ!』と盛大にツッコミを入れてくれるに違いない。うん。
――しかし。
「トリプルアクセル……」
クルクル回り続ける俺を見た会長さんは、ツッコミを入れるどころか……興味深そうに顎に手を添えた。
あの。思ってた反応と違うんですけど。
「そういえば、アイススケートも椿に教わったな。あれはまだ、私が小学生くらいのときか……? 懐かしい」
「そうでしたね。ですが、沙夜様はすぐコツを掴まれたので……。私の役目はあっという間に終わりました」
「フフ、そうだったか? 思えば、ああやって椿になにかを教わったり、一緒に遊んだりする機会は……ずいぶん減ったものだな」
「そう、ですね。私が教えられるものなど、もうありませんし……。それに、沙夜様もお忙しいですから」
ちょっとー? ダブル星那ー?
なんで俺をガン無視して、思い出トークに花を咲かせてるの?
ていうか、アイススケートって……。まさにお嬢様トークじゃねぇか。
――なんて俺の思いは届くことなく、二人の話は続く。
「そうだとしても……私は嬉しいよ。キミとまた、こうして一緒に遊べることがな」
「沙夜様……」
あ、ちょっといい雰囲気……素敵……じゃねぇ!
あぶねぇあぶねぇ、和やかムードに流されるところだった……!
我慢の限界を迎えた俺が、二人の会話に割って入ろうとしたとき――
会長さんの視線が、ふとこちらへ向いた。
「昴、なにをしているんだ? ここはスケート場じゃないぞ」
「んなもん知ってますから! 会長さんのツッコミが遅いせいで、トリプルどころか十二回転くらいしてましたからね俺!?」
「あぁ……そうだったのか。それはすまない」
「真顔で謝るのやめてくれます? 俺みたいなタイプには、そういう素の対応が一番心に来るから!」
まぁ……別にいいけどさ。
今の会話からして、会長さんと星那さんがこうして遊ぶのは、本当に久しぶりらしい。
二人の距離感、立場の違い。
お互いを想っていても、踏み出せない領域。
きっと、今の二人に一緒に『遊ぶ』ことや『楽しむ』機会なんて滅多にないのだろう。
なんとも言えない空気感を前に、俺はこれ以上なにも言えなかった。
「それで沙夜様、次の予定は――」
「それはもう決めてある」
「そうなのですか?」
「あ、そうなんすか?」
俺たちが聞き返すと、会長さんは得意げに頷いた。
さてさて、いったいどんな汐里祭プランを……。
期待に胸を弾ませて待っていると、会長さんはこちらを見てニコッと微笑んだ。
……あれ?
「では任せたぞ、昴」
……。
…………。
「はぇ?」
めちゃくちゃ間抜けな声が出てしまった。
おい、今この人……なんて言った?
聞き間違いじゃなければ……任せたぞ、とか言ってなかったか?
戸惑う俺に構うことなく、会長さんはさらに続ける。
「キミの自由に、私と椿を連れ回してくれ」
「は? え、なんで? え?」
「『あんたも一緒に来ること』……と私に言ったのはキミだろう? だから私は、キミに任せたいと思った」
誰だよそんなこと言ったヤツ。
「それでしたら……私も賛成でございます」
「ちょ、星那さん?」
星那さんのフォローにより、俺の立場がより一層危うくなる。
星那さんはそのまま俺を見て、表情を変えないまま小さく首をかしげた。
「汐里祭の楽しさというものを教えてやる――と、昴様は仰いましたよね?」
「うぐっ」
「ほう? そんなことを言ったのか。だったらなおさら期待しないといけないな。なぁ椿?」
「そうですね、沙夜様。期待大……でございます」
「うぐぐっ……!!」
『期待』の眼差しが、俺を射抜く。
二人は完全にその気だし、俺が否定したところであの手この手で返してくるのだろう。
どちらか一人ならまだしも……二人相手はあまりにも分が悪すぎる。勝てると思えない。
「昴」
「昴様」
たじろぐ俺に、さらなる追撃。
二人は少し間をおいて――そして。
「頼んだぞ」
「頼みましたよ」
悲報。
逃げ場、完全消滅。
くそが……まさかこんな展開になるとは……。
ま、そもそも……だ。
会長さんをその気にさせて、彼女の頼みを了承したのは誰だ?
一度断った星那さんの条件を引き受けてまで、こうして同行させたのは誰だ?
無論――俺だ。
深入りするつもりはない、介入するつもりもない。
この人たちの人生に影響を与える。
……が、ここまで中途半端に関わってしまったのなら、必要なことはちゃんとやってやろう。
今回、俺の目的はただひとつ。
この人たちの互いへの感情を、改めさせることだ。
それ以外はどうでもいい。
俺は深く息を吐いて――
「だぁぁぁぁもう! 分かりましたよ! 俺様に付いてきやがれこの野郎!」
やることは、やってやる。
「フフ、それはありがたい」
「感謝いたします」
本当にそう思ってるのか知らんが……。
なんか俺、この人たちにずっと振り回されてないか?
――それよりも、だ。
「ほんじゃま、そうと決まれば早速行動しますよ!」
「む。もう決まったのか?」
「おうよ。もう速攻で決めました!」
「ほう? じゃあ聞こうか。キミの計画を」
「楽しみでございます」
計画だぁ? んなもん、ねぇって。
会長さんが楽しめるもの。
星那さんの過ぎ去ってしまった時間を、少しでも経験させるためのもの。
んなもん――ひとつしかねぇ。
俺は腰に手を当て、ニッと笑う。
そしてそのまま高らかに言い放った。
「計画なんてねぇ! 時間の許す限り全部回ります! 満腹でも飲食系の出し物全部回りますからね! 覚悟しておけ!」
そう言って俺を見る二人の目は――
「それは……大変そうだな。」
「そうですね……大変そうですね」
楽しみや、期待。
さまざまな感情が見える――穏やかなものだった。