第301話 朝陽司はあえて感謝を伝える
さて……と。
いろいろ長かったが……これが『最終日』だし、改めて気合を入れていこう。
まだ終わったわけではない。
まだゴールに辿り着いたわけではない。
たとえ結果がどうなろうとも――
俺は俺に出来ることをただ全力に……。
最後まで、俺のままで走り切るだけだ。
× × ×
「おーおー。昨日より人が入ってるんじゃねぇの、これ?」
二年二組の教室のドアから廊下を覗き、俺は感心したように呟いた。
汐里祭二日目が幕を開けて、現在は午前の自由時間。
昨日にも増して校内は熱気に満ちていて、各クラスの元気の良い呼び込みの声も聞こえてくる。
先ほど見かけた感じ、井口や小西のクラスも人が並んでたし、アイツらも忙しくなりそうだな。
「昴」
「うい? どうしたよ」
スマホを弄っていた司が顔を上げて、俺の名前を呼んだ。
今は実行委員の担当時間ではないようで、司と月ノ瀬は二人とも教室でくつろいでいた。
月ノ瀬、渚、蓮見の三人は女子トークで盛り上がっていて、教室内全体はどこか平和な空気に包まれていた。
あと数時間もすれば、午前の部の公演が待ち構えている。
各々そこに向けてコンディションを整えているようだ。
SNSを見た感じ、俺たちの劇が目当てでやって来る観客も多そうだからな。
司はまだ緊張している様子はなく……落ち着いた様子で俺に質問を投げかけた。
「お前、このあと予定あるのか?」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「別に理由はないよ。ただの雑談だ。……で、どうなんだ?」
「ひみつ♡」
「……………」
「無言で引くのやめろ。せめてリアクションちょうだい!!」
ジトーっと冷たい目を向けてくる司に、思わずツッコミを入れる。
このあとの予定……ね。
まぁ、あるにはあるけど……。
今ここで話しても、ややこしくなりそうな気がする。
となれば、ここは適当に躱すことが無難だろう。
「そういうお前はどうなんだ……よ」
そう聞いた瞬間、俺は言葉を詰まらせた。
なぜか?
それは俺が質問をすると同時に――
司がニコォ……と、それはもう『満面のハッピースマイル』を浮かべたからだ。
あぁ……うん。
一瞬で分かったわ。
この顔を見ただけで、このあとなにがあるのか分かったわ。
「志乃が誘ってくれてさー! 一緒に回ってくる!」
「だと思ったわ」
司くん、ニコニコである。
目をキラキラさせ、言葉遣いも無邪気な少年みたいになっていた。
相変わらずのシスコンっぷりに、俺はくくっと笑う。
「それなら、妹と一緒に楽しい思い出を残してこいよ。お兄ちゃん?」
「誰がお義兄ちゃんだおい。それは許してないぞ!」
「絶対『おにちゃん』の字、違っただろ。めんどくさ。めんどくさいよこの兄」
大好きな妹と一緒に汐里祭デートとか……。
そりゃあ、こんなに上機嫌になるのも頷ける。
志乃ちゃんも志乃ちゃんで、日向たちや俺以外にも、兄と過ごす時間をちゃんと作ろうとしているのだろう。
司はいつも穏やかで優しい男だが、妹が絡むとより一層優しく……それでいて、楽しそうな顔つきになる。
それは兄だけではなく、志乃ちゃんも同様で――
……二人を見ていると、『家族』というものに血の繋がりなんて関係ないのだと思い知らされる。
素晴らしい兄妹だよ、ホントにな。
「じゃ、俺はそろそろ志乃を迎えに行ってくるよ」
司はスマホをポケットにしまい、席を立った。
誰かと連絡を取ってるように見えたが……なるほど、志乃ちゃんか。分からんけど。
「おうよ、楽しんでこい。志乃ちゃんによろしくな」
「うん」
そう言って、司がドアのほうに向かおうとした――そのとき。
「……あ、そうだ昴」
「んだよ」
司はなにかを思い出したかのように表情をハッとさせて、再び俺を見た。
「志乃のやつ、昨日すごく喜んでたよ」
ふっと笑みをこぼして、司は話を続ける。
「お前と過ごした時間のこと、家で楽しそうに話してくれた」
「……んな報告いらねぇって」
「兄としてはちょっと複雑だけどな。でも……志乃が楽しいと思えることが一番だから」
「そうか」
「そうだよ。だから……ありがとな、昴。やっぱりお前が『相手』で本当に良かった」
穏やかに、優しく、真っすぐに。
妹を想い。
そして――親友を想い。
司はいつだって、俺たちのことをよく見ている。
俺の事情を誰よりも理解していながらも……感謝の言葉を惜しまない。躊躇することなく、何度でも口にするのだ。
『ありがとう』――と。
それに対して、俺がどんな反応を見せるかなんて……分かり切っているはずなのに。
俺を対等な存在だと思っているからこそ……。
対等な親友だと思っているからこそ…。
司は俺に対して決して遠慮することはないのだ。
文字通り、『想いは言葉にしないと伝わらない』――ってところか。
「ほれ、さっさと行け。お前が迎えに行かないと、志乃ちゃんが知らない男にナンパされちゃうかもしれねぇぞ?」
「なっ……! それは絶対に許せないぞ! 待ってろ志乃、今お兄ちゃんが行くからな!」
先ほどまでの、穏やかモードはどこに行ったのやら――
司はくわっと目を見開き、勢いよく教室を飛び出して行った。
……妹絡みだととことん情緒が迷子になるな、アイツ。
あんなテンションで来られたら、流石に志乃ちゃん『え、兄さんキモッ』って言っちゃうでしょ。そんな志乃ちゃんヤダ!
……人によってはご褒美なのか? 口が悪くなった志乃ちゃんもアリなのか?
ま……とりあえず。
せいぜい楽しんでこいよ、朝陽兄妹。