第299話 青葉昴は代役を求められる
「……いやいや、待て待て待て。どうしてそうなるんだよ」
広田の唐突な申し出に、俺は思わず眉をひそめる。
隣の渚も、まるで小動物のようにこくこくと頷いている。
「そもそも今までだって、司と月ノ瀬がいなくても回ってただろ」
「それはそうだけどよー。今はこう……本番を意識してっていうか? 気持ちをガチで入れたいっていうか……とにかくバシッと決めたいんだよ! 形だけでもいいから入ってくれよ! な!?」
コイツら……めちゃめちゃ真面目かよ……。
別に、手伝うのが嫌というわけではない。
俺が本番で演じるわけじゃないし、練習なんだから手を貸すこと自体に異論はない。
そう。
本番で演じるわけでない。
本来であれば俺が主役なんて絶対に御免だが、これはあくまで練習だ。
『サン』という少年は司のためだけに作り上げたキャラクターであるため、俺が演じるなんて絶対にあってはいけないのだが……。
ここで変に拒否して、コイツらのモチベーションに悪影響を与えてしまうのは避けたい。
最後まで、演者として物語を演じ切ってもらわなくては困る。
とはいえ……うん。
純粋に面倒くさい。
こちとらもう、一日目が終わったから電源オフ状態なんだわ。
もっとも、渚の場合はまた違った理由で困っていそうだけども……。
たとえ練習だとしても、コイツは演技とかそういうのは苦手だからな。
俺が遊びでセリフを振ったときも、全然言えてなかったし。
「青葉、俺たちは演技をしてくれって言ってるわけじゃない。ただセリフを読んで、軽く動いてくれればそれでいい」
熱血広田野郎に続いて、大浦が落ち着いた様子で援護してくる。
その背後では、他の演者たちも『お願いっ!』という感じの目を俺たちに送ってきた。
えぇぇ……なんか面倒なことになってきたなぁ……。
「わ、わたし、演技とかそういうの下手だし……逆に足引っ張っちゃうから……。み、みんなだけでやったほうがいいと思う……」
渚はいつものように控えめに、しかし慌てながらそう言った。
――が、広田たちは引かない。
「分かってる分かってる! マジで雰囲気だけでいいから! てか、オレだって演技上手くねーし!」
「ああ。それはそうだな」
「おいこらトシ。と、とにかく……立ち位置の確認と、雰囲気だけでも掴みたいんだよ! 森に迷い込んだルナを見つけるシーンだけでいいからさ!」
そう言って、広田は改めて両手を合わせた。
「だってよ、渚」
俺が言うと、渚はこちらを見たあと視線を落とした。
――森に迷い込んだルナを見つけるシーン。
それはある日、いつも通り動物たちと話していたサンが、ルナと初めて出会うシーン。
主人公とヒロインの出会いを描く、物語の中でもそこそこ重要なシーンだ。
たしかに、形だけでもサンとルナがいたほうが動きやすく、練習にはなるだろう。
広田たちの要求は理にかなっているし、それだけ真剣に取り組んでいるという証拠だ。
でも……そうだとしても、なんか妙に気合が入り過ぎてないか?
「どうすんのお前」
俺の問いかけに、渚は小さく息をのんだ。
この場にいる誰もが、渚の性格を知っている。
だからこそ、これ以上強く迫ってくることはないだろう。
たとえここで断ったとしても、責められたりは――
「……分かった」
おっと――?
聞こえてきた返事は、ノーではなくて……。
「分かった。わたしでいいのなら……手伝う」
「マジか。やるじゃんるいるい」
「るいるい言うな」
ニヤリと笑う俺に、渚は顔をムッとさせる。
もう少し渋るかと思っていたが……。
まさか、こんなにあっさり了承するとはな。
「えっ! 渚さんマジで!? いいのか!?」
「うん。セリフを読んで、軽く動くだけでいいんだよね? それでみんなの役に立てるなら……がんばる」
へぇ……。
『みんなの役に立てるな』――か。
渚の返事に対し、広田はガッツポーズを掲げた。
「よっしゃ! これで練習の質が上がるぞー! ありがとな渚さん!」
「ありがとう渚さん。突然無理を言って申し訳ない」
「ううん。大丈夫。あ……微妙でも文句は言わないでね。それだけはよろしく」
「おーよ! それはもちろん!」
広田と大浦は満足げに頷き、演者組の輪に戻っていく。
返事といい、今のやり取りといい……俺は思わず感心してしまっていた。
性格が災いしてクラスメイトと少し距離を置いていた彼女が、こうして皆の輪に入っている。
しかも、自分から彼らを手伝おうとしている。
親友の蓮見がそばにいなくても。
友人の司や月ノ瀬がいなくても。
そして――俺がいなくても。
渚留衣はもう、立派な二年四組の一員だった。
「……で、あんたはどうするの。広田君たちを手伝うの?」
質問とともに、渚は俺を見上げた。
「俺? 俺はもう帰――」
「は?」
「ってもやることないし、手伝ってやろうかな~! 俺っていいヤツだな! はっはっは!」
こわ。
「……ま、ほどほどにやるわ。どうせワンシーンだけだし。セリフを言って、それで終わりだ」
「……そうだね」
軽く言葉を交わし、練習中の教室の中央に設けられた簡易ステージへと向かう。
机と椅子をうまく使っただけの、本当に簡易なステージ。
照明もなければ、セットも無い。
なにもない、形だけの空っぽな『舞台』。
しかし、それがなんだか……逆にしっくりきた。
「おらお前ら! やるぞ! 俺様の演技に酔いしれるんだな!」
「酔いしれるとか……それ現実で言うやつ初めて見たんだけど」
渚の呆れ声は華麗にスルー。
「あ、そうだ。青葉と渚さん。台本とかって――」
「いらん。覚えてる」
「流石は担当だな! 渚さんは?」
「覚えてる……けど、一応見ながらやらせて。間違えたくないし」
「じゃあオレのを貸すよ。ほい」
「ありがとう」
俺は台本を書いた側の人間だ。
考えて考えて……何度も手直しして……。そして何度も読み返した。
覚えた、というよりに自然と脳に焼きついた……と言ったほうが正しいだろう。
演者でもない渚が台本を覚えていたのは、普通に驚いたけども。
「んで、森にルナが迷い込むシーンだよな? つーか、そこって広田と大浦出番ねぇだろ。お前たちでサンとルナやれば良かったじゃねぇか」
「ばっかお前。なにが悲しくて、男同士で大事なシーンをやらねーといけないんだよ。俺とトシ、どっちがルナをやれと?」
「そりゃあ……大浦だろ」
「嫌だわ! こんなガタイのルナ嫌すぎるわ! 柔道が得意で寡黙で大柄なルナとか嫌過ぎるわ!!」
「……おい拓斗。そこまで言わなくていいだろ」
たしかに。
それは俺もなんか嫌だわ。
筋肉ムキムキのルナはちょっと解釈違いなのでNG。
「そもそもオレたちは自分の役だけで精一杯だっつの。それ以外なんてむりむり」
「ったく……手間のかかるヤツらだぜ。やるならさっさとやろうぜ」
これ以上雑談をしていたら、帰りが遅くなってしまう。
俺の声かけに合わせて、サンの友達である動物を演じる演者たちがそれぞれポジションにつく。
出番のない広田と大浦、そして待機の渚は舞台という名の教室の隅に寄った。
さーてと、やったりますかぁ。