第297話 青葉昴は再び聞かれる
汐里祭一日目が終わり――
祭りの喧騒が嘘だったみたいに、校内からはすっかり人が消えていた。
生徒たちはそれぞれ片付けなど、明日に向けた諸々の雑務をこなしている真っ最中。
ついさっきまであんなに人でごった返していたのに、今はちょっと寂しく感じるくらい静かだった。
――とはいえ、まだ一日目が終わっただけ。
例年通りなら、明日の二日目のほうがもっと忙しく、そして盛り上がるはずだ。相応に来客数も多くなる。
そんなこと考えつつ、夕方の薄暗い廊下を歩いて、俺は二年二組の教室の扉を開けた。
うちのクラスの出し物は演劇。
だから後片付けと言っても、大した作業はない。
一部を除き、持ち運びの手間がかかる小道具などは、すべて体育館に置きっぱなしだ。
本来なら、はいお疲れーってさっさと帰ってもいいはずなのだが――
「『ねぇサン! 大変! 女の子が森に迷い込んじゃったみたい!』」
「『困ってるみたいだし……助けてもあげてもいいんじゃない?』」
「『僕たちの言葉は彼女に通じないだろうし……』」
……って、おいおい。帰るどころか普通に残ってるじゃねぇか。
教室には半分以上のクラスメイトが残っていて、劇の練習をしていた。
広田や大浦、あと地味に貢献度の高い演劇部女子まで揃っていて……。
今日の出来を振り返りつつ、がっつり芝居のブラッシュアップを行っている。
その光景を見て、俺は思わず呟く。
「すげぇな……真面目かよ……」
いや、これは予想外だったわ。マジでビビった。
今日の公演は特に大きなミスもなく、評判も上々だったのに……。
それでもまだ練習すんのかよ。根性すげぇな。
そして、そんな彼らを見守っている人物が――
「ん、いいと思う。もともと良かったと思うけど……それよりもっと良くなってる。すごい。ちょっと気になったのは――」
脚本&演出補佐、その他便利役こと我らが鬼様、渚だった。
司や月ノ瀬、それに蓮見の姿は見当たらない。
司たちは実行委員の打ち合わせだろう。
じゃあ蓮見はどこに行ったんだ? 帰ったのか?
と思ったが……蓮見だけではなく、衣装組の連中が揃って見当たらない。
……まぁ、いいか。深く考えるだけ無駄だ。
とりあえず俺は渚のところまで歩いて行って、軽く手を振った。
「よっ、お疲れ様ちゃんるいるい」
「るいるい言うな。……おつかれ」
いつもの軽口。もはや恒例行事である。
俺はそのまま渚の隣に並び、練習に励むクラスメイトたちを眺めた。
「……で、なんでコイツらはまだ残ってんの? 明日もあるんだから、さっさと帰ればいいのに」
「わたしもそう思ったんだけど……。みんながやりたいって」
「ふーん……?」
「なんか、すごく気合が入ってて……。もっともっと良くしたいんだって」
だから真面目かよ。
その熱意はどっから来てんだ。
「それでわたしも……少しでも力になりたくて。残ってるってわけ」
「なるほど」
というか渚……司たちがいないのに、こうしてクラスメイトたちと一緒に居残っていたのか。
いや別に、クラスメイトなんだからなにもおかしくはないのだが……。
あの渚がこうして皆を見守る立場になって、積極的に協力しているということが驚きだった。
意見を求められて、答える。
こうしよう、ああしようと提案する。
アイツらと違って、クラスの中心ってわけでもなかったのに……今ではすっかり頼られる立場だった。
……ホント、最近のコイツには驚かされてばかりだ。
「つーか蓮見は? 帰ったのか?」
「ううん。衣装組の人たちと体育館に行った。明日に向けて、大事な確認と作業がしたいんだって」
「大事な確認?」
蓮見をはじめとした衣装組の連中がいないのには、どうやら理由があったらしい。
俺が言葉を投げ返すと、渚は首を振った。
「詳しくは知らない」
「そうか」
「そう」
ま、分からないことをいちいち気にしても仕方ない。
司たちが実行委員として頑張っているように、蓮見は蓮見の役割があるわけで……。
細かく詮索したところで意味はないだろう。
よく分からんが頑張れ蓮見ちゃん。引き続き頼んだぜ。
一方特にやることもない、暇人状態の俺はただボーっと練習風景を眺める。
すると――
「……どうだったの」
ふいに、隣の渚が淡々と声をかけてきた。
「なにが」
目を合わせることなく、自然と返す。
この距離感も、今となってはすっかり『いつものこと』だった。
「あんた、志乃さんと回ってきたんでしょ」
「あぁ、その話か」
「その話。志乃さん、楽しんでた?」
「そりゃもう、超楽しんでたよ。天使のような笑顔を何回も見せてくれたぜ」
「それは良かった」
テンポ良く言葉を交わしながら、渚は安心したように言った。
志乃ちゃんと回った時間のなかで、あの子の可愛い姿や表情を何度も見ることが出来た。
もう……ね、癒されたよね。癒されまくったよね。
志乃ちゃんの笑顔にはヒーリング作用があるって、古事記にも書かれていますから。これ常識ナリ。
「……あんたは」
短く、それでも真っ直ぐに投げかけられた言葉。
「ん?」
「あんたは……楽しかった?」
ここもリズム良く――とはいかず、俺は言葉を止めてしまった。
俺が話すことを止めても、目の前で繰り広げられる演劇は進んでいく。
楽しかった……か。
――『あんたは楽しかった?』
それをお前から聞かれるのは……これで二度目だな。
俺は息を吐き、前を向いたまま再び口を開く。
「楽しかったよ。……それなりにな」
嘘ではない。
俺なりに、ちゃんと楽しむことが出来た。
そう思えたのは……志乃ちゃんの存在が大きいのだろう。
「……そう。それは……良かった」
――先ほどと同じ言葉。
だけど、少しだけ……ほんの少しだけ、声の温度が違った気がした。
普段から抑揚が少なく、感情が分かりづらい口調の渚ではあるが……。
なんとなく、そんな気がしたのだ。
それにどんな意味があるのかは……分からない。深堀りするつもりもない。
過度に踏み込まず。
適度な立ち位置で。
それでいで……無駄に気を遣うことはない。
それが、青葉昴と渚留衣の距離感だった。