第284話 青葉昴は言ってやりたい
「……」
俺は腕を組み……考える。
まず大前提として、これは星那沙夜の願いから生まれた一方的な申し出であって、星那椿の意思ではない。あの人が望んでいることではない。
先ほど自分で言っていた通り、ただの『個人』の頼みなのだ。
余計なお世話。
いらんお節介。
そう言い切ってしまえば……話はそこまでだろう。
だけど俺は……その『大きなお世話』をこの目で何度も見てきた。何度もこの身で経験してきた。
たとえ相手がどうしようもないヤツでも――
その相手を想い、信じ、そのうえで……寄り添おうとする。
そいつの前に立ち、真正面から向き合おうとする者がいる。
そいつの隣に立ち、支えようとする者がいる。
究極のお節介野郎たち。
そんな馬鹿どもを……俺はよく知っている。
「……てか、ビックリっすよ俺は」
「なにがだ?」
「そんな大事なことを俺に頼むことが、です」
俺の一言に会長さんはスッと目を細める。
考えれば考えるほど思う。
どうして……と。
なぜならば──
「あんたは言ったよな? 俺を『壊したい』って。今の俺のことが気に入らないんだろ?」
幼少期に出会った『青葉昴』。
彼女が求めているのは……あのクソガキであって、俺ではない。
「そんな相手に……自分の家族が関わる大事なことを頼んでいいのかよ。任せていいのかよ」
「なんだ……その程度のことか」
「んだと?」
拍子抜けしたように、会長さんは表情を崩した。
「たしかに私はキミを壊したいと思っている。キミの覆うその殻を、道を……壊したいと思っている」
「おーこわ。だったらなおさら──」
「だが、それと今回の件はなんの関係もない」
被せるように否定して。
関係ない……?
「知っているだろう? 私は利用できるものはなんでも利用する。人も、物も……私はすべてを利用する」
「そうですね。あんたはそういう人だ」
「椿の件においては『今の』キミを頼りたい。今のキミを利用したい。それだけの話だ」
「おい。利用って言っちゃったよこの人。頼みとか言ってたくせに」
「おっと……ついうっかり言ってしまった」
わざとらしい……。
「しかし、キミはそっちのほうが好みだろう? 最初からこう言っておけば良かったかな?」
「……ったく」
うんざりと俺はため息をつく。
自分の家族のために俺を利用したい。
オレではなく、俺を。
実にシンプルで分かりやすい。
しょうもない建前を並べられるより、よほど良い。俺好みだ。
──だからと言って『じゃあOK!』となるわけではないが。
頭に過ぎるのは、司たちの演劇を見て眩しそうにしていた姿。
そして。
──『お気遣い、ありがとうございます』
立ち去る間際に見た、どこか寂しげなあの背中。
「たとえ本人たちが好きでやっているとしても、自分の在り方に納得しているとしても……私には知ったことではない。『私』は納得していない」
「……強引っすね」
「ああ。私は物分かりがいい優しい女などではない。自分をそんな女だと思ったこともない。どこまでも強欲で、どこまでも強情に……それでこそ私だ」
「それ……誇れるようなことですか?」
「私は私に誇れる自分になる。キミたちと出会ったとき……そう決めたからな」
――『私は、キミから強さを教えてもらった。揺るぎない自分という強さを』
――『そして、司からは弱さを教えてもらった。自分の弱さを受け入れる心を』
――『キミから強さを、司からは弱さを。二人がいたからこそ……私は星那紗夜でいられた。どんなに辛くても、自分の足で歩き続けることができた』
強さと弱さ。
それは表裏一体の自己。
俺たちと出会ってしまったことで、彼女は嘘偽りのない自分自身を手に入れることが出来た。
なぁ、司くんよ。
俺たちが知らない間に、とんでもねぇヤツを生み出してるぞ……。
彼女の意思は固く、曲がることはない。
だからこそ──
これ以上、こちらも大人しく聞いているつもりはない。
「強いご決意、とてもご立派ですね。……でもな会長さん、あんた大事なことを一個忘れてねぇか?」
「大事なこと……?」
眉をひそめる会長さんに、俺は話を続ける。
「いいか? 星那椿って人はあんたのことがなによりも大切なんだよ。超ザックリ言っちゃえば、あんたのことが大好きなんだよ」
守るべき相手。
守るべき家族。
尽くすべき相手。
己を見つけ、掬い上げてくれた恩人。
己の太陽。
己の光。
星那さんが会長さんに向けている感情は、簡単には理解出来ないほど深く……。
どこまでも歪み、どこまでも真っ直ぐで……それでいて、どこまでも純粋なものなのだ。
人の想いに絶対はない。
日々揺らぎ、変化し、ぶつかり合い、形を変えていく。
だからこそ、人間関係というものはいつまで経っても難解で、面倒くさくて……苦悩が絶えないのだろう。
そんな中でただ一つ、分かることは……。
あの人にとって星那紗夜という存在は、『ただの従姉妹』で片付けていいようなものじゃねぇってことだ。
「そもそもさ、あんたは星那さんになんて言ったんですか? まさか……『私のことは気にせずキミはキミで楽しむといい』みたいなことを言ってませんよね?」
「む……どうして分かったのだ……?」
「……マジでそう言ったのかよ」
流石の俺でも、これはため息案件である。
「あんたさぁ……頭はめっちゃいいくせに、そういうところが分からねぇよなぁ。この不器用め」
「キミにだけは絶対に言われたくない言葉だな。今の言葉、そっくりそのままキミに返そう」
「ぐぐぐ……今は俺の話じゃないでしょうが!」
たしかに、普段から渚や志乃ちゃんからも似たようなことを言われている気がする。
だから……だろうか。
この話題について話せば話すほど、自分の中のなにかが締め付けられるような感覚になる。
会長さんの気持ちは理解出来る。
星那さんの気持ちも理解出来る。
理解出来てしまうからこそ、言葉に出来ないイラつきを感じているのだと思う。
まるで……自分自身と会話をしているようで……。
司や渚、志乃ちゃん。
月ノ瀬や蓮見、日向。
アイツらも……こんな感情を抱いていたのだろうか。
「……はぁ、めんどくせぇな。マジでめんどくさい」
頭をガシガシと掻き、深くため息をつく。
「俺があんたやあの人のために、そこまでやってやる理由はないが……」
会長さんだけならともかく、星那さんまで関わってきたら司にぶん投げるわけにもいかない。
アイツは星那さんの事情を知らない。
変に押し付けたところで、ただ迷惑をかけるだけだ。
それにアイツには……今は目の前のことに集中してほしい。
……面倒事は俺のほうで対応するべき、か。
それに俺自身……この人たちには大きな借りがある。
俺が抱える『秘密』を漏らさずに守ってくれているという……大きな借りが。
悪く言えば……それは『弱み』にもなるのだが。
「……分かった。あんたの頼み、聞いてやるよ」
「……! 本当か――!?」
「ただし、条件がある」
パァっと表情を明るくさせた会長さんを制する。
話はまだ、終わっていない。
「条件……?」
「ええ。簡単な条件っすよ」
俺は人差し指を立て、不適な笑みを浮かべる。
それに対し、会長さんの眉がピクリと反応を見せた。
借りはあるが……素直に頼みを聞くなんて御免だ。俺はそんな単純な男じゃない。
それに、ただ黙って利用されるつもりはない。
俺と会長さんはお友達なんかじゃない。
互いの目的のために、互いを利用し合う。
俺は俺の目的のためにこの人を利用する。
そして……その逆もまた然り。
中途半端に関わってくるくらいなら、とことん巻き込んでやるよ。
だから俺がこの人に出す『条件』は──
「あんたも一緒に来ること。これが頼みを聞く条件だ」
ほら。簡単な条件だろう?
「……ほう?」
一瞬だけ、会長さんの瞳が揺れた。
すぐにいつもの余裕を取り戻したが、その微細な変化を俺は見逃さなかった。
どうやらこの条件は予想外だったようだな。
「あの星那さんが、あんたを差し置いて一人で楽しむわけないだろ。んなこと、あんたが一番分かってんじゃねぇのかよ」
そんなの出来るわけがない。
そもそも考えるわけがない。
なぜならばその理由も意味も、必要もないから。
──『あいつだって、きっとそう望んでるはずだ。志乃じゃなくて……お前が楽しめ。そして一緒に楽しんで来いよ』
どこまでも、そういう生き物なんだよ。
どこまでも……な。
「さてはアレか? 最近星那さんがちょっと変わってきたからって、なんか思うところがあんかよ? まさかとは思うが……負い目的な? ははっ、んなわけねぇか」
会長さんがそんなことを考えるとは思えないけども。
まぁ……仮に、だ。
仮にこの人が言っている『星那さんの変化』が事実だとして……。
それが、多少なりとも俺と関わってしまったことが原因で。
今までその大事な家族と過ごしてきた身として、どこか思うことがあるとしたら……。
いくら化け物じみた魔王みたいな人間だとしても、やはり星那紗夜にはちゃんと『心』があるようだ。
家族を想う……一人の少女の温かな心が。
――『あんたって……ちゃんと人間やってたんだね』
あのとき、あいつに言われた一言。
その意味が……分かってしまったような気がした。




