第283話 星那沙夜は頼みたい
「まぁ待て。まずは私の話を聞いてほしい」
俺の即答が予想通りだったのか、会長さんは特に動揺や困惑する素振りを見せない。
会長さんのお願いっていう時点で、厄介な予感はしていたけど……。
――『明日、椿と一緒に汐里祭を回ってくれないだろうか』
まさかこう来るとはな……。
星那さんと一緒に回ってくれ?
え、なんで? なんで俺が……?
現状この頼みを聞く必要性は感じないし、俺にとってなんの意味もない。
疑問しか浮かばないが、まずは話だけでも聞いてみるか……?
なにか深い事情があるかもだし……あんの……?
ホントに深い事情ある……?
だる……。
「えぇ……。とりあえず続きをどうぞ」
待て、と言われたからには仕方ない。
ここで無視して帰ったら、あとで呪われそうだし。
この人のことだから、ガチでそういうことしてきそうだし。
顔をしかめたまま、俺は続きを促す。
会長さんは「うむ」と頷き、話を再開した。
「まずこうして我々が話している間にも、椿はきっと私の近くにいるのだろう」
「それは……たしかにいそうっすね」
教室内には流石にいないが、廊下の人混みには紛れていそうだ。
星那さんが校内にいる理由なんて、会長さんの存在以外にありえない。
基本的には、なにかあったときにすぐ対処できる範囲内にはいるのだと思う。
……忍者かなにかかな?
『椿はいるか!』って呼んだら、どこからともなく姿を現しそう。シュタッ! って飛んできそう。
下手したらスタッフの振りをして、どこかに紛れてそうで怖いんだよなぁ……。
「私を思って……という気持ちはもちろんありがたい。しかしせっかくのお祭りなのだ。私は彼女にも楽しんでほしいと思っている」
「ふーん? 別に、あの人が好きでやってるからいいんじゃないっすか? どうしてそこまで……」
日向みたいに、食べ物を両手に持ってはしゃぐ星那さんなんて想像できない。
……それはそれでちょっと見てみたいけど。
「以前にも言っただろう? 彼女にはほかでもない、星那椿のために生きて欲しい……と」
星那椿のため……か。
――『彼女にはいつか……星那沙夜のためではなく、星那椿のために生きて欲しいと……。一人の人間として過ごして欲しいと思っている』
月初め、会長さんはたしかにそう言っていた。
自分がどれだけあの人を大切に思っているのかを話してくれた。
会長さんは基本的に星那さんの気持ちを尊重している。
そのうえで、『ただの背景』や『星那沙夜の影』として生きている現状に複雑な思いを抱いているのだろう。
俺自身、その生き方自体は間違っているとは思わない。会長さんだって少なからずそう思っている部分もあるはずだ。
『背景』だろうが『影』だろうが――『装置』だろうが。
すべて自分で決めて、自分がやりたくてやっていることだ。
自分が選び、自分の足で歩んでいる確かな道なのだ。
彼女や……『俺』にとって、それらは苦でもなんでもない。
誰もが呼吸をするのと同じように。
自分たちからしたら……すべて『当たり前』のことなのだから。
「つーか、俺に頼む必要あります? 会長さんが自分で言えばいいじゃないですか。汐里祭を楽しんじゃいなよ椿っち~って」
「椿っち……はともかく、もちろん私からも言った。それで……すぐに断られたよ」
「あらま……」
『お気持ちは嬉しいです。ですが、私にそんな時間は必要ありません』……とな」
あー……うん。その会話の様子、簡単に想像できるな。
ほかの人間ならともかく、会長さんにそれを言われたら、あの人はそう言って断るに決まってるか……そりゃそうか……。
「なるほどねぇ……。だったら、仮に俺が声をかけたとしても結果は同じなんじゃ?」
声をかけたところで……『もしかしてナンパですか。未成年はちょっと……。出直してください』とか言われて一蹴されそう。
想像の中でも振られちゃったよ。
何回振られるんだよ俺。
なんて戯言はさておき、この件に俺が関わる意味はあるのか……?
「さぁ……それはどうだろうな。同じかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だが――」
会長さんは首を振り、胸元に手を当てる。
「消えていたはずの光。見失っていたはずの自分。椿のなかで芽生えている『それ』を……私は見逃したくはない。絶対にだ」
消えていたはずの光。
見失っていたはずの自分。
椿さんは俺に言った。
私のようになってはいけません――と。
「知っているか昴。最近の椿はな、笑うことが増えたんだ。自分では気付いていないが……少しずつ変わっているんだ。無くしてしまったものを……取り戻しつつあるんだ」
自分のことのように……会長さんは嬉しそうに微笑む。
当たり前だが、俺は出会う以前の星那椿という人間のことはなにも知らない。
話で聞いただけで、実際に見たことはない。話したことはない。
これまで彼女と過ごし、彼女をずっと見てきた会長さんがそう言うのなら――
もしかしたら本当のことなのかもしれない。
俺には……その虚実を確かめる術はない。
「キミなら……椿の感情に触れることができるかもしれない」
「……え」
「それにキミ自身……星那椿という人間に対して思う部分があるのではないか? キミだからこそ感じる……なにかを」
返事は……出来ない。
なにも言わない俺に、会長さんはフッと微笑みを向ける。
それは寂しさや、悲しさ。
あるいは……自嘲か。
これまで全然見たことがない感情が含まれた表情だった。
「……そりゃ、俺を買いかぶり過ぎってもんですよ」
「私はそう思わない。一人の人間として、私は正当な評価をしているつもりだ。ほかでもない、キミ自身を」
「別に俺じゃなくても――」
「いや、キミがいい。私がそう望んでいる」
「……」
この人は、俺になにを期待している?
俺になにを望んでいる?
俺には大した力なんてない。
他人を動かすことなんて出来ないし、そんなことをするつもりもない。
俺ごときが誰かを変える。
俺ごときが誰かに影響を与える。
そんなもの……あるはずがない。あっていいはずがない。
――『いや、キミがいい』
あぁ……不快だ。
期待されることは嫌いだ。
感謝されることはもっと嫌いだ。
そんな真っ直ぐな目で……俺を見るんじゃねぇよ。
なんなんだよ……この人の目は。
俺は短く息を吐き、顔を背ける。
それに対し、会長さんは俯き…テーブルに乗せた自分の手を見た。
その手は……グッと握られていた。
「私はどうも……彼女とは近く、それでいて……遠いようだからな」
呟くように告げられたその言葉を聞いて、俺は反射的に小さく舌打ちをしてしまう。
近いけど……遠い。
誰よりも近いがゆえに、誰よりも遠い場所にいる。
一見、意味不明な言葉のように思えるが……俺には分かった。分かって……しまった。
まるでどこかの『二人』を見ているような……そんな気がしたんだ。
「どうか頼めないだろうか。これはただの……純粋に『私個人』の頼みだ」
少し前までの砕けた雰囲気ではない。
真剣な顔で、真剣な声で、真剣な想いで……会長さんは改めて俺に頼んだ。
ここまで真剣な会長さんを、俺はほとんど見たことがない。
きっと、それだけあの人のことを大切な家族だと思っている。
自分の人生において欠かせない相手だと思っている。
だからこそ……こんなに真剣なのだろう。