第260話 彼は終幕へと足を踏み入れる
十月下旬。
いよいよ汐里祭の当日。
ここですべてが決まり。
すべてが始まり。
ここで――終わる。
× × ×
「よーっし! 髪型オッケー、身だしなみオッケー! 今日も俺はイケメンなり!」
自室の鏡の前に立ち、服装や髪型を整えたあとドヤ顔を浮かべる。
ふっ、相変わらず俺様は今日もかっこいいぜ……。
ブレザーのネクタイを締め、改めて準備完了。
鏡に映るのは……慣れ親しんだ制服を着た俺自身だ。
「あとちょっとだけ、よろしく頼むな」
胸元を軽く叩いてそう言い残し、俺は自室から出た。
「母さん、俺は行ってくるぞよ~」
リビングで朝のニュース番組を見ながら、ノートパソコンで作業をしている母さんに声をかける。
今日は休み……というわけではなく、普通に仕事らしい。
俺に声をかけられたことで、母さんが「おっ?」と声をあげてこちらを見た。
「行ってらっしゃい昴。楽しんで来て、そして頑張ってくるんだぜー!」
「おうよ。母さんも仕事頑張ってくれい」
「うむうむ。今日は仕事だけど……明日は昴たちの演劇、観に行くからね! ママはそれを楽しみに今日を乗り切ります!」
「観に行くっつっても俺は出ないけどな。司たちを応援してやってくれ」
グッとサムズアップしてくる母さんに首を振る。
汐里祭は一般開放されているため、生徒やその保護者、はたまたご近所さんや他校の生徒たちなど……自由に出入りができる。
司や蓮見の両親なども来るようだし、普段は顔を合わせないような人たちと校内で会える日でもあった。
なかには汐里祭がきっかけで、他校の異性と交流を持ち……そこから付き合う……なんて話もある。度し難い。許せない。破廉恥だわ!
……ま、ようするに。
なんか人がいっぱい来るーってだけ分かっていればそれでよし!
「え~やだやだ~! ママはステージで歌って踊る息子くんが観たい~!」
「おい。息子を勝手にミュージカル俳優にするんじゃねぇ」
目をキラキラさせて期待の眼差しを向けてくる母さんを一蹴する。
歌ったりもしないし、踊ったりもしません。
まず生まれてこの方、ダンスなんてやったことないわ。
歌も……あまり歌った覚えないわ。
まぁたしかに? 俺ほどのイケメンフェイスだったら? そらもう舞台映えするだろうけど。ぐへへ。
「じゃあ、こう……通行人Aみたいな感じで友情出演したり!?」
「しません」
「家のレンガBみたいな感じで出演したり!?」
「しません……ってなんだよレンガBって。Aもいんのかよ」
全身をレンガ色に塗って、家という設定でずっと立ってるってこと?
だったらまだ木Aのほうがよくない?
「ぐぬぬぬ……そんな文句ばっかり言ってると、ママがステージに乱入しちゃうからね!?」
「文句言ってるのそっちなんだよなぁ。おかしいなぁ」
文句を言われているのはこっちなのに、なぜ勝手にプンプン怒っているのだろうかこの人は。
そもそも俺は演劇に出演する予定もなければ、したいとも思わない。
あそこは、俺のような人間が立つような場所ではないのだ。
「昴」
ふと、母さんの表情からおふざけオーラが消えた。
優しい声、優しい表情で俺の名前を呼ぶ。
テンションの差に俺は咄嗟に「え、な、なに」と身構えた。
母さんは数秒程度俺をジッと見つめたあと――再び口を開く。
「ちゃんと頑張って、ちゃんと楽しんで、ちゃんと笑って、ちゃんと思い出に残してくるんだよ」
どうして母さんがこんなことを言ってきたのかは……分かっている。
頑張って、楽しんで、笑って、思い出に残す――
当たり前のことのように思えて、実際には俺にとってとても難しい言葉だった。
それを理解しているうえで言っているのだろう。
「ママは今回は昴の『答え』を尊重する。だからせめて……心の底からやりたいようにやって、全力で遊んできなさい」
「やりたいようにやれって……俺が暴れ散らかすかもしれないぞ?」
「うん、それでもいいよ。後悔するよりよっぽどマシでしょ? 後悔がどれだけつらい気持ちなのかは……私も、昴もよーく分かってるでしょ?」
俺の言葉に、母さんは迷わず頷く。
「そう……だな」
あのとき、ああすれば良かった。
このとき、こうしておけば良かった。
人生において、きっと後悔という気持ちは何度も抱くことになるだろう。
こと青葉昴と青葉花という二人の人間は……大きな後悔を抱いている。
それは父親と、夫と――
『青葉隼』という存在と、もっと記憶にも記録にも残るくらい一緒にいたかったということ。
逃れられない後悔。
避けられない後悔。
もっと父さんと話しておけば良かった。
もっと父さんからいろいろ教わっておけば良かった。
何度も思ったか……分からない。
それはきっと、母さんも同じで……。
いくら笑顔でお別れ出来たとしても、思うことは多々あっただろう。
もっと家族の時間を作ればよかった――とか。
もっとたくさんお話したかった――とか。
当時、仕事で忙しく家族との時間を取れなかった母さんだからこそ、思うことはあるはずだ。
でも――それでも前に進まなければならない。
失ったものは取り戻せない。
過ぎ去った時間は戻らない。
だったら最後まで……。
俺は俺らしく――
いつも通り自分勝手に。
いつも通りヘラヘラして。
いつも適当に。
『青葉昴』という一人の人間として。
『俺』としての役目を……果たすだけだ。
後悔を――しないために。
「おう。自由にやってくるぜ。いつも通りにな」
「うん。……あ、ただし窓ガラス割ったりとか、暴力事件を起こしたりとか、変な問題を起こして保護者召喚! とかはやめてね? 『いつかやると思ってました!』しかママ言えないからね?」
「フォローする気ゼロ!!! せめて親として、ちょっとくらい原因とか気にして欲しい!」
いくら俺がいろいろな意味で有名だとしても、さすがにそんな問題までは起こしませんよ。ねぇ?
「それは冗談だけど……。昴、後ろ向いて」
「んぇ?」
「ほらほら」
「なんだよ……」
母さんから言われた通り、とりあえず俺は背を向ける。
なんだろう? と思いながらボーっと立っていると――
ドンッ!
と、俺の背中が勢いよく叩かれた。
「うわっ……ちょ……!」
俺は思わず前方によろめく。
痛い……わけではないが、流石に驚いた。
「おいこら青葉花。いきなりなにすん――」
文句を言ってやろうと振り向いた瞬間。
俺は……言葉を失った。
なぜならば、先ほどまでニコニコしたり微笑んだりしていた母さんの瞳に――
「……」
『涙』が少しだけ……滲んでいたのだ。
「昴」
もう一度、俺の名前を呼んで。
「誰がなんて言おうとも、昴は最高の息子だからね。青葉花と青葉隼の一番の宝物で、大好きな存在で、代わりなんてない……立派な一人の男の子だよ」
僅かに声は震えているが……母さんはずっと笑顔を浮かべていた。
本当にこの人は……よく笑う。
「だから! 最後まで……突っ走ってきなさい! あんた自身の足でね!」
先ほど背中を叩いたのは、それを伝えるための発破も兼ねてのことだったのだろう。
「行ってらっしゃい――昴」
穏やかに微笑み、母さんは言い残す。
俺という人間をこの世でもっとも理解しているのは、間違いなくこの人だ。
俺がなにを考え、俺がなにを抱え、俺がどうしたいのかなんて……言葉にせずとも伝わってしまっているのだろう。
親という生き物は……母親という生き物は、いつだって自分が思っている以上によく『見て』いる。
そのうえで、俺が選んだ答えを……尊重してくれた。
まったく……恐ろしいものだ……。
俺は一度息を吐いたあと……母さんを見る。
ここまで言ってもらったんだ。
あとはもう……ゴールを目指すだけだ。
「ああ、行ってくるぜ」
俺は自然と笑みをこぼし、頷いた。
俺も……まぁ、そうだな。
あんたや父さんの息子で良かったって思ってるよ。
こんな出来の悪い捻くれた俺を、いつも見守ってくれてるんだからさ。
「あっ、それと司くんや……志乃ちゃんとるいるいちゃんにもよろしくね?
ニヤニヤ」
「……台無しじゃねぇかコラ」
最後の最後まで締まらないあたりも……誰かさんにそっくりだ。
ほんじゃま……母さん。
それと……父さん。
俺、行ってくるわ。
× × ×
家を出て歩き――汐里高校の校門に辿り着く。
門には『汐里祭!』と書かれたアーチが設置されており、毎日のように通っている場所のはずなのに……いつもとは違う感じがした。
それは汐里祭が開催されるからなのか、それとも……俺の個人的な気持ちのせいなのかは……分からないけど。
あと数時間後には、一般開放が開始される。
それまで俺たち生徒は……最後の準備に取り掛かる。
「……うっし! 行こう」
気合を入れて、一歩踏み出す。
さぁ、ようやくここまで来た。
この物語の結末を飾る『二日間』を始めよう。
終幕まで、どうかお楽しみくださいませ――ってな。
 




