第252話 青葉昴は選択のチャンスを与える
「え、嫌だけど?」
俺の一言に、場の空気が凍った。
「ぇ……」と森君は声にならない声を漏らし、揺れた瞳で俺を見る。
「ってのはうっそー! じゃあ大人しく、君の口から小西先輩に真実を話してあげてよ。君がやろうとした行いすべてをさ」
「……」
「それを話したらきっと、君と小西先輩は元の関係には戻れない。お世話になった先輩を裏切ることになる」
「それでも……これは、俺が始めたことですから。だから……話します。小西先輩、聞いてください」
「和樹……」
森君は小西へと向き直り、これまでのことをゆっくりと話し始めた。
女子から人気が出て調子に乗ってしまったこと。
同学年の朝陽志乃のことが気になり、手始めにその友人である川咲日向を利用しようとしたこと。
しかし失敗に終わり、蓮見晴香と月ノ瀬玲に説教されてしまったこと。
その腹いせにほかの女子たちを利用して仕返しをしようと思ったとき、青葉昴に止めに入られたこと……などなど。
嘘偽りを混ぜることなく、森君はすべてを話した。
真実だと決定付けることとしては、やはりこの場に居合わせてしまった志乃ちゃんの存在が大きい。
本人を目の前にして『朝陽さん興味を持った。仲良くなりたかった』なんて告白するのは、もはや公開処刑に近い。
志乃ちゃんからすれば、『一番の親友である日向を利用した男』という認識となり、森君は二度と志乃ちゃんに近付くことが出来なくなるだろう。
小西としても、信じる以外の選択肢は存在しなかった。
俺に言わされている……と考えるには、あまりにも無慈悲過ぎる。
森君がすべて話し終わったとき――
小西は力が抜けたように、床にへたり込んだ。
ずいぶん呆気のない、幕引きとなった。
× × ×
「――以上です。本当にすみません、小西先輩。全部俺の……俺のせいなんです」
「嘘……じゃああたしは……。あたしが今まで……応援してた和樹って……」
「……はい。嘘をついていました。」
「え……」
この様子だと、小西は森君の裏の顔までは知らなかったようだ。
本当に、ただバスケを一生懸命やっている好青年だって認識だったのだろう。
中学からずっと応援してきた後輩が、実はこんなヤツでした……なんて、悲しいオチだねぇ。
「そ、そんな話聞いたことなかったわよ……!? 女遊びとか、そういうのとは無縁だって……!」
「……」
「……ごめんなさい」
「っ……!」
小西が森君へ向ける感情が、恋なのか友情なのか、はたまたそれ以外の感情なのか……それは俺には分からない。興味もない。
だが……いずれにしても他人を想う気持ちというのは、時には盲目となる。
森君は小西から視線を外し、こちらへと向いた。
すべてを話してスッキリしたのか、その瞳からはもう迷いは感じなかった。
「……青葉先輩」
「なにかね」
へたり込む小西をチラッと見て、森君は話を続ける。
「俺、中学の頃はこんなんじゃなくて……もっと地味で、太ってて、女子とろくに話も出来ない……そんな男だったんです。幼馴染の子とも、当時はそんなに仲も良くなくて」
「へぇ」
「バスケ部でも補欠で、練習にも付いていけなくて……。でも、バスケは好きだったから毎日隠れて練習していました。そのとき声をかけてくれたのが……当時女バスに入ってた小西先輩だったんです」
ふーん。
中学から高校に上がるまでに、随分と自分を変える努力をしたのだろう。
地味さもなければ、太っている要素もない。
女子と話が出来ないどころか、今ではモテモテになっている。
きっとその努力の裏には、小西の存在があったということか。
「練習方法とか、体重を落とすコツとか……いろいろ教えてくれました。本当に先輩にはお世話になったんです」
文字通り、お世話になった先輩――か。
「でも、先輩は中三の頃に足を故障して……バスケが出来なくなって……。だから俺、先輩の分まで頑張るって。めっちゃ頑張るって……約束、したのに……俺……」
「はっ、調子に乗ったか? 昔と違って、なんでも出来るようになった自分に……自惚れたか?」
「……はい。みんなが俺を褒めてくれる、みんなが俺を求めてくれる、中心人物でいられる。……そんな風に、思ってしまいました」
それでも小西は、変わらず森君を応援し続けた。
バスケが出来なくなり、直接関われなくなったとしても、頑張る後輩を陰から見守り続けた。
――俺が偵察を兼ねて男子バスケ部の様子を見に行ったとき、同じように部活の様子を見守るように眺めている生徒がいた。
それこそが、小西だった。
まるで我が子を見るかのように温かい目で……森君の様子を見ていた。
あれはきっと、そういった感情から生まれたものなのだろう。
――だからなんだ? それは免罪符にならねぇぞ。
って、話ではあるが……。
俺はため息をつき――ひとつ、話をしてみることにする。
「なぁ、森君」
「なんですか」
「人間ってのは馬鹿でさ。自分には能力がある、他人より優れているものがあるって自覚すると、それを誇示せずにはいられなくなるんだ。自分の力を周囲に見せびらかしたくなるんだ」
癪だが、お前の気持ちはよく分かる。
優れているって、気持ちいいよな。
出来るって、気持ちいいよな。
ましてやお前の場合は、これまで他人に誇れるものが無かったのだから尚更だ。
『変化』ってのはいいことばかりではない。
それは、誰かを傷つける武器にもなりえる。
「俺のほうが上、俺のほうが優れている、そしてそれを周囲も認めている。お前はすげぇよ、お前はかっけぇよ、俺なんかより上だよ……って持て囃してくれる。だから余計に気持ちよくなっちまう」
いつの日か、『どこかの馬鹿』がそうだったように……。
褒められて、悪い気がする人間なんていない。
認められて、嬉しくない人間なんていない。
誰だって、底辺より頂点のほうが良いに決まっている。
すごい。
かっこいい。
憧れる。
羨ましい。
偉い。
それらの言葉をかけられることで、人は『自分はこうすればいいのか』と学んでいく。他者に認められることを学んでいく。
しかし、どうして認められたいのか。どうして褒められたいのか。
自分はなにがしたいのか。どうしたいのか。
大事な目的を見失ったとき――
人は、自分の力を誇示するだけのただの愚か者へと成り下がる。
「その過程で誰かを傷つけたとしても、誰かを陥れたとしても、全然気が付けねぇんだ。だって、そいつらは自分より下だから。自分より下の人間がどう思おうが、自分が優れているという事実はなにも変わらない。だからなにも感じない。感じられない」
「昴さん……」
「青葉……」
「お前に必要だったことはただ一つ、近くで自分を止めてくれる人間だ。例え嫌われたとしても、例え否定されるとしても、お前のことをただ想って止めてくれる……そんな存在だった」
調子に乗ることなんて、よくある話だ。
それも俺たちのような年頃なら、尚更。
「――なぁ、小西?」
俺は小西のもとまで向かい、しゃがみ込む。
力のない目が、俺を見上げた。
「お前だって分かってたんじゃねぇの? 森君の良くない変化が。分かってたうえで、目を逸らしてたんじゃねぇのかよ」
「あ、あたしは……」
「信じることは結構だ。相手を想い、優先することは結構だ。だけどな、そいつは『妄信』していいってわけじゃねぇ。嫌なもの、見たくねぇもの、信じたくねぇもの、それらを含めて向き合うってのが……本当の『信頼』なんだよ」
ダメなものはダメだと伝える。
嫌いなものは嫌いだと伝える。
いけないものはいけないことだと伝える。
そんな当たり前のことが、いつしか出来なくなっていく。
相手に嫌われるかもしれない。
自分の勘違いかもしれない。
そこに目を瞑れさえすれば、気にならないかもしれない。
そんなことが積み重なって、本当に言いたいことが言えなくなっていく。
『言うべき』ことから目を背けるようになっていく。
なぜならば――楽だから。
「一方で……どこかの馬鹿どもは言いやがる。お前のそこが嫌いだって、お前のそこがどうしようもないところだって、許さないって、ありえないって、散々なことをハッキリと正面から言ってきやがる」
俺が『オレ』のままでいられなくなったのは――アイツが俺を正面から止めてくれたから。
アイツと出会わなければ……俺は、あのまま誰振り構わず傷つける男になっていただろう。
「でもな、そのうえでアイツらは言ってくるんだよ」
嫌いだと。
面倒くさいと。
どうしようもないと。
最低だと。
俺に伝えるために、偽ることなく彼らは言葉を伝えてくる。
「友達。親友。大事な人だ――ってな。馬鹿だろ? 本当に馬鹿でお人好しなヤツらなんだよ」
息を飲む音が聞こえた。
渚と……志乃ちゃんのものだ。
「現実を見ろ小西。お前がやったことを、やろうとしたことを見ろ。考えても、考えても、俺に復讐がしたいってんなら――何度だって相手になってやる。何度だってお前に殴るチャンスを与えてやる」
もとより俺は、いつも周囲から疎まれていた。周囲から嫌われ、気を遣われていた。
好意なんてものより――そっちのほうがよっぽど楽だ。大歓迎だ。
「……だが、また渚や志乃ちゃん、アイツに関わる大事な連中に手を出そうものなら。悪意を持って近付こうものなら――」
小西には小西の意地がある。
森君を守りたかったという、大切な想いがある。
ただそんなことは……俺にはどうでもいい。
「今度は……ラブレターじゃ済まないかもな?」
小西はなにかを言おうとしているが……すぐに言葉は出てこない。頭のなかで、いろいろな考えを巡らせているのだろう。
「変わっていく和樹から……目を背け続けたのは……あたし……」
さぁ、選べ。これが最後だ。
お前は……どうする?




