第248.5話 渚留衣は図ったように遭遇してしまう【前編】
「――でよーここの司の台詞、俺的にはやっぱり短くしたほうがいいと思うんだわ。なんかちょっと冗長じゃね?」
「そう言われれば……たしかにそうかもね。演出の関係もあって、観てる側が退屈に感じる可能性ありそう」
「だよなぁ。るいるい的にはなんかいい案あるかね?」
「るいるい言うな。……パッと思いついたのでいいなら――」
放課後の教室で、わたしと青葉は机を挟んで演劇の台詞や演出周りについて話していた。
台本を見るだけでは感じなかった違和感が、実際に朝陽君たちの動きを見ているといろいろ浮き彫りになってくる。
もう少し短くしたほうがいいとか。
反対にここはもう少し時間を取ったほうがいいとか。
演劇という初めての経験を前に、四苦八苦しながらもなんとかコツコツ準備を進められている……とは思う。
予想以上に話し合いの熱が入り長引いてしまった結果、気が付けばわたしたち以外に残っているクラスメイトは残り僅かだった。
そのクラスメイトたちも、一区切り終えて帰り支度をしている。
朝陽君と月ノ瀬さんは実行委員の活動だし。
晴香は衣装組のみんなと参考のために洋服を見に行ったし。
汐里祭の準備期間でなければ、今頃家に帰ってゲームをしている時間帯なのに……。
「――ていう感じにする、とか? どうだろう……これなら魅力を落とさないでいけるかなって思うんだけど」
「あー、いいんじゃね? だとすると……」
わたしの提案を受けて、青葉は机の上に置いている台本に目を落とした。
……。
――楽しい。
あ、いや、青葉とこうして話していることが……じゃなくて。別にそういう意味じゃなくて。
みんなと話をして、意見を交換しながら一つのものを作り上げていくことが……なんていうか、楽しかった。
まだまだ始まったばかりで、順調と言えるのかは分からないけど……。
それでも、わたしは楽しかった。
癪だけど……青葉が書いた脚本は面白くて。
初めてあいつの脚本を見たとき、素直に『面白い。これ観たい。やってみたい』って思ってしまった。
それを実際に演じる朝陽君や月ノ瀬さんも、すごく真面目に取り組んでいて。演技力も凄くて。
晴香も、いつも楽しそうに衣装のことを話していて。
最近はもう『こういうデザインどうかな!?』とか、そういう話ばかりしている。
一方的に任命された『青葉の補助役』という立場から始まったこの演劇だけど……。
立場上いろいろな部分を考えて、いろいろなグループと話して、ゆっくりと、そして確実に形作っていく。
本来であればコミュ障のわたしには絶対に向いてない役割のはずなのに、どことなく充実感を得ていた。
――だからこそ。余計に。
「うーむ……難しい判断だぜ……この台詞をカットして……」
ブツブツ呟いている青葉に目を向ける。
まつ毛、なが……。
肌が綺麗なのも腹立つ……。
ホントにこの男は、外見のパーツがとても優れている。そこは認めざるを得ない。
……その分、中身が大問題なのだけど。
――『あいつはね、あたしの大事な後輩に酷いことをしたのよ』
――『そんなあいつに、中学からの大事な後輩が傷つけられた。そんなの……許せるわけないでしょ』
先日、小西さんに言われた言葉が頭を過る。
あの日からわたしは、青葉に対してどう接すればいいのか、踏み込むべきなのかどうかなど、一種の迷いを抱えていた。
――『貴方にとって青葉君っていうお友達は、そんなに大事な人なの?』
――『だって貴方、彼のことを悪く言われて怒っていたのでしょう?』
そして、あの不思議な先輩から言われたことも。
まず前提として、青葉は小西さんに恨まれている。
理由は……小西さんの後輩? になにか酷いことをしたから。
それが事実かどうかは、わたしには分からない。
青葉昴という男は、必要があればきっと……そういうことは平気でやる。
反対に言えば、必要がなければ……絶対にやらない。
こいつは、意味もなく他人を傷つける男ではない。
むしゃくしゃしたら、とか。
イライラしたから、とか。
そんな単純な理由で他人に危害を与える男ではない。
流石にわたしもそれは理解している。
理解している……けど。
もしも、小西さんがわたし以外にもしつこく話を聞こうと近付いていたら。
もしも、わたしが青葉と話していることで、より小西さんの疑惑を助長させて……青葉自身になにか悪いことが起きてしまったら。
もしも、わたしのせいで……もっと迷惑をかけてしまうとしたら。
そして、わたしはどうして青葉のことを悪く言われてあんなに怒りを感じた? 友達が悪く言われたから?
でも、あのときの感情は……それとはまた違う……。
それに、どうしてあの先輩の質問にすぐに答えられなかった?
どうしてわたしは青葉との距離感に戸惑っている? いつも通りに話せばいいのに。全部話せばいいのに。
――なんて、数多くの『もしも』や『どうして』が渦巻き、わたしは青葉に対して上手く接することができなかった。
そして、恐らくわたしのそんな変化を……。
こいつはきっと――気付いている。
気付いているうえで、なにも言って来ないのだろう。
異常に他人のことを見ていて。
異常に自分のことを見ない。
他人の傷は一瞬で気が付くのに、自分の傷は指摘されるまで絶対に気が付かない。
それどころか、気付いたとしても無視をする。
傷そのものを無かったものにする。
そんな……男だから。
「へい、るいるい? いくら俺がかっこいいからってそんなに見んなよ。お前、ひょっとして惚れた? 俺様に惚れちゃった?」
うわ、うざ。
どうやら無意識のうちに、ずっと見てしまっていたらしい。
台本から顔を上げていた青葉は、いつものようにニヤリとムカつく表情を浮かべた。
……きっとこの顔も、作ったものなんだろう。
『朝陽君の親友』でいるために作り上げた――ある種の仮面。
ヘラヘラしてて、ふざけてばかりで、適当で、うるさくて……あとうるさい。
そんな……青葉昴。
――『え、入ってるわけないだろ?』
――『おう。まず司だろ? 月ノ瀬に蓮見、んでお前。ほら、みんな』
学習強化合宿に見た、こいつの本当の顔は……今でも忘れられない。
忘れては、いけない。
「……あんたさ」
「なんだよ」
「最近、妙なことしてない?」
ふとこぼれてしまった、質問。
「妙なことってなんだよ。踊り場でダンスするとか、いかに廊下をかっこよく颯爽に歩けるかとか、そういうことはしてっけどよ」
「……馬鹿なの?」
「ふっ、真の天才ってのは理解されないもんだからな。俺様の魅力に学校中の女子が虜になるのも時間の問題――」
「そういう話じゃない」
「……」
青葉の言葉を遮る。
いつもそうだ。
こいつは質問をしても、まともに答えてくれない。
こちらの意図など容易に分かるはずのに、適当なことを言ってごまかそうとしてくる。
学校中の女子が虜になる?
――あんたはそんなこと、まったく興味ないでしょ。学校中の女子どころか、わたしたちにすら一切興味ないくせに。
「じゃあどういう意味だよ。その質問だけじゃ理解できねぇな」
青葉の雰囲気が変わる。
先ほどまでのヘラヘラとした様子が無くなった。
「なにか危ないことをしていないか……って聞いてるの」
「危ないこと?」
「……例えば、同級生や後輩と諍い的なものを起こしてないか……とか」
「へぇ? 例えにしては随分具体的じゃねぇの」
どうしてわたしは聞いてしまったんだろう。
知らないところでこいつがなにをしていようが、わたしには関係ないのに。勝手にすればいいのに。
下手に首を突っ込んで……どうするつもりなの?
「……ま、あながち間違いではないかもな」
「え?」
「だから、諍いが云々って話。間違いではねぇなって」
青葉はこくりと頷いて、素直に認めた。
つまり小西さんや、その後輩さんとの間になにかあったのは事実……ということ?
「なにお前、心配してくれてんの? つーかよく知ってんな、それ」
「心配……なんて。別に」
そう、こいつの心配なんてしていない。
ただ……わたしは。
わたしは――
「あ、やべっ! もうこんな時間かよ!」
青葉はスマホで時間を確認すると同時に、焦ったように突然声を上げた。
「なにかあるの」
「そーなんよ! 今日スーパーで特売セールがあってさぁ! 食材を買っておかなければ……!」
「なにそれ。主婦じゃん」
「主婦みてぇなもんだからな! ドヤァ!」
あの冷たい雰囲気はどこに行ったのか、青葉はいつものようにおふざけモードに入ってドヤ顔を見せてきた。
あぁ……もう。
誰よりも『演技』が上手いのって、間違いなくこいつでしょ。
月ノ瀬さんよりも。
朝陽君よりも。
ダントツで……こいつが一番だと思う。
切り替わる瞬間が――なんとも恐ろしい。
どこまでが本当なのか。
どこまでが嘘なのか。
普段の会話のなかで、こいつはなにを考えて、なにを思って言葉を発しているのか。
それが――全然見えない。
「そんじゃま、俺様は先に帰るぜ! 渚ちゃんはさっきの台詞周りについて、なにかいい案がないか考えておいてくれよな!」
「はぁ……分かった。わたしはもう少しやってから帰る。ソシャゲのスタミナ消費もしたいし」
「よろよろ~ん。特売セールが俺を待ってるぜぇ!」
「うるさ……。はいはい、頑張って」
家庭環境により、料理をはじめとした家事関係は青葉の役目だということは知っている。
きっと特別セールというものは重要なことなんだと思う。
お母さんも……よくそういうことについて話しているし。今日は野菜が安かったーとか、卵がセールしてたーとか。
青葉は台本を鞄の中にしまって、意気揚々と立ち上がった。
「渚」
「なに」
わたしを見下ろすように、青葉はこちらを見る。
その深い青い瞳は……冷たい光を帯びていた。
「――お前は余計なことを考える必要ねぇよ」
「え?」
「そして、もう少しだけ頑張れ」
「は? なに言ってるの?」
「んじゃっ! じゃあの~! ルンルン~!」
最後はニカッと、無駄に明るい笑顔で。
「あんた、待っ――」
思わず立ち上がって手を伸ばすも――青葉は手を振りながら軽やかに教室から去っていく。
余計なことを考える必要はない……?
それに頑張れってなに……?
伸ばした手を、ギュッと握る。
わたしにとっては、余計なことなんかじゃ――
「……っ」
不意に感じた怒りに、わたしは顔をしかめる。
同時に、なんとなく分かった気がした。
どうして……こんなにモヤモヤしているのかが。
――ていうか。
笑ったり、真顔になったり。
明るくなったり、冷たくなったり。
あいつの表情筋どうなってるの……? 表情豊かってどころじゃないでしょアレ。
「はぁ……とりあえず、スタミナ消費しよ。もったいない」
× × ×
「思ったより時間かかっちゃった……」
すべての作業を切り上げて、わたしは下校のために昇降口へ向かっていた。
校内に残っている生徒は少なく、それこそ部活中の生徒以外はほぼほぼ帰宅しているような時間帯だった。
台詞周りの調整については何個か案は出せた。明日青葉に伝えよう。
スタミナ消費もできたし、あとは帰って『豪拳』のオンラインマッチに潜るだけ。最近は調子もいいし、最高ランク帯でも連勝できてる。
――歩幅を広げ、早足で昇降口に辿り着いたときだった。
「……?」
わたしたち二組の下駄箱の前に、一人の女子生徒が立っていた。
その人は、なにやら恨めしそうな顔をしていて、手にはビニール袋を持っている。中になにが入っているのかは分からない。
――というか。あの人って……。
「小西さん……?」
「はっ……!?」
わたしが名前を呼ぶと、その女子生徒……小西さんはビクッと肩を震わせた。
わたしのほうを見て「あなたは……」と呟く。
どうして小西さんが二組の下駄箱の前に立っているの?
――あれ。待って。
小西さんが立っている、位置。
それは青葉の下駄箱の前だった。
あいつはもう、とっくに帰っているはず。
「な、なに……してるの……?」
さっきの顔。
手に持っている袋。
なんだか……嫌な予感がする。




