第242話 渚留衣はしっかり覚えている
――さて、ここで俺たちが今回行う演劇『The Sunlit Path』について軽く話しておこうと思う。
内容は至ってシンプルで……。
過酷な環境で育ち、愛を知らずに育った心優しい少年『サン』がさまざまな出会いを通して、人の温もりを知っていく物語だ。
舞台はとある小国。
幼い頃に自分を唯一大切にしてくれた父親を失い、残った家族である母親からは愛を一切注がれることなく育った主人公のサン。
彼は家から離れた場所にある狭く、そして寒い小屋の中に追いやられ、一人で毎日を過ごしていた。
一方母親は息子であるサンのことなどお構いなしに、自分だけは何不自由のない生活を満喫していた。
しかしサンは決して母親や環境を恨むことなく真っすぐに、そして生まれつきの純粋な優しさを失うことなく育っていった。
また、サンは小動物たちと心を通わせることができ、彼の優しさに惹かれてやって来たさまざま生き物たちと交流を深めていた。
そんなある日、小屋の近くに自分と同じくらいの年頃の少女『ルナ』が迷い込む。
ルナは大切な人たちに裏切られ、人を信じる心を失ってしまった少女だ。
彼女との出会いが、サンが小屋の外の世界に旅立つきっかけを作ることになる……。
どんなに辛くても、どんなに過酷でも、決して優しい心を失わない少年――サン。
人を恨み、人を恐れ、いつしか自分を偽るようになっていた少女――ルナ。
そんな二人が織り成す、陽の当たる温かい道を目指す物語。
――とまぁ、超ざっくり言えばこんな感じだ。
主人公のサンを朝陽司が。
ヒロインのルナを月ノ瀬玲が。
その他、動物役やサンを取り巻く人物をほかのクラスメイトが。
広田と大浦はそのなかに含まれる、サンをいじめる貴族AとBってところだ。
そんなわけで、計十人くらいの演者と共に、今回の演劇を作り上げることになる。
『サン』。
『ルナ』。
あからさま過ぎる名前ではあるが、それ以上に相応しい名前が思いつかなかった。
いずれにしても、司と月ノ瀬をイメージして作り上げた役だからアイツらにはピッタリだ。きっと良い感じに演じてくれるはずだろう。
俺が司に残す、最後の物語。
そして、この物語の最終章。
これだけはなんとしても……成功させなければ。
× × ×
「へいへーい、ちょっといいかい渚ちゃーん」
蓮見に応援してもらったことで広田と大浦がやる気を出して頑張っている最中、俺は司たちと一緒にいる渚を呼んだ。
俺の声に反応した渚はこちらを向き、うわっ……と顔をしかめる。
一瞬どうしようか悩む仕草を見せたあと、仕方なさそうに歩き出した。
「……なに」
返事こわ。
「なんでちょっと嫌そうなんだよお前」
「別に普通だけど」
俺がジト目を向けると渚はふいっと目を逸らした。
るいるいが冷たくてあたし悲しい!
……あ、それはいつものことだったわ。なにもおかしくないわ。たしかに普通のことだったわ。
でも、なんだろうなぁ……。
この気を遣われてる感というか、迷ってる感というか……。
どちらにしても、いつも自分の思っていることをズバズバ言ってくる渚らしくない様子だった。
ま、なんでもいいけど。
「それで、なに」
「ただ呼んだだけ☆ ――っておい待て待て! 無言で立ち去ろうとするな! ジョーク! 昴ジョークよ!」
「あんたさ……いちいちおふざけを挟まないと気が済まないわけ? 馬鹿なの?」
「おうよ!!!」
「うるさ……」
これ以上ふざけると、本当に帰りそうだからこの辺にしておいて……と。
「司たちの様子はどうよ。いい感じ?」
司たちを見て問いかけると、渚も同じように視線を彼らに向けた。
視線の先では、演劇部女子指導のもと、主役二人組による読み合わせが行われている。
二人ともとても真剣な表情で、それだけ真面目に取り組んでいるのだと理解できた。
俺が考えた台詞を実際に口にしているところを見ると、なんとも気恥ずかしい気持ちになってくるが……そこはグッと堪える。
なんかね……むずむずするのよ。分かって。伝われ。
「わたしは演技関係のことはさっぱり分からないけど……」
「心配すんな。俺もさっぱりだ」
「二人ともすごく上手……だと思う。特に月ノ瀬さんなんて、全然違和感なくて……
ビックリした」
「なるほど。流石は我らが姉御だぜ」
俺から見てもそれは同意見だった。
渚ほどしっかり近くで見ていたわけではないが、遠目からチラチラと様子を見させてもらっていた。
司も月ノ瀬も素人の割にはかなり上手と言ってもいいレベルで、少なくとも広田や大浦よりは何倍も優れていた。
特に目立っていたのは……やはり月ノ瀬の存在感で。
アイツに関しては、本当に素人ですか? と疑ってしまいたくなるほど自然な演技を披露していたのだ。
まさに俺が脳内で作り上げた『ルナ』そのもので……。
もしかしたら、転校当初に少しの間『演じていた』経験がなにかしら役に立っているかもしれない。
つまりなにが言いたいのかというと……。
姉御バンザイ! 姉御バンザイ!
「こうして見てると、本格的に『始まった』って感じがする」
司たちや蓮見たち、ほかのクラスメイトたちをグルっと見回して渚は言った。
「だな。せっかくだからいいものを作ろうぜ?」
「そうだね」
「演出とか小道具とか、なにか思ったことがあったらいつでも言ってくれ。俺だけじゃ無理そうだし」
「分かった。そもそもあんたは脚本書いただけでも十分仕事したでしょ。だからわたしも出来る範囲で頑張る」
「お、優しいじゃんるいるい」
「るいるい言うな」
大抵のことは俺一人で済ませられるが、いかんせん今回は難しいところが多すぎる。なにせ、ほぼほぼ俺自身も初体験なのだから。
いいものを作るためには、俺だけでは心許ない。
となれば、渚をはじめとして周囲を上手く利用する必要がある。
失敗は絶対に許されないのだ。
「おいおい青葉、せっかくオレたちが気合入れてやってたのに渚さんとイチャイチャしてんじゃねーぞ!」
広田の言葉により、俺たちの視線がそちらへと向いた。
馬鹿なヤツめ……。
俺がツッコミを入れてやってもいいのだが、どうせこの場合は俺よりも早く――
「――広田君、なにか言った? 上手く聞き取れなくて。もう一回言ってくれる?」
鬼様が反応するよな。うん。
「あ、いや、え、いや……ななな、なんでもないです!」
「なんでもないようには見えなかったけど?」
「マジで! ガチで! なんでも! ないです!」
「はぁ……」
広田、撃沈。
イチャイチャとかしょうもないこと言ったら、こうなることは目に見えていたのに……。
まだ言葉だけで済んで良かったな。俺だったらシャーペンで刺されてたぞ。冗談抜きで。
ため息をついた渚は、広田が持っている台本を横目で見た。
「というか広田君、台詞間違えてたよ」
「え? うそっ!」
「ホント。ちゃんと台本読んだほうがいいよ。結構大事なシーンなんだし」
渚に指摘を受けた広田は、台本をジッと見つめたあと「マジじゃん!」と声をあげた。
どうしようもない広田野郎は置いておいて……。
俺は渚の指摘に対して素直に感心していた。
「おぉ……」
「なに」
「いや、すげぇなって。よく間違ってるって分かったな」
そもそも渚はずっと俺と話していたから、広田と大浦の台詞なんてちゃんと聞いていなかったはずだ。
それなのに『間違ってる』と言い切れるとは……。
「当然でしょ。全部覚えてるし」
さも当然かの如く、渚は呆れた様子で言った。
その言葉を俺は聞き逃さない。
「え? お前台本覚えてんの? 全部?」
「覚えてるけど。何回読んだと思ってるの」
「……」
すげぇ……という感想が真っ先に出てきてしまった。
実際に話を書いた俺が覚えているならまだしも、まさか演者組でもない渚が全部覚えているとは……。
予想していなかった一言に、俺は言葉を失ってしまった。
覚えてる、なんてさらっと言うけど簡単なことではない。短い演劇というわけではないし、時間をかけて読み込まないと出来ない芸当だ。
それに……。
何回読んだと思ってるの――か。
「なに変な顔してるのあんた」
「……はっはっは! サンキューなるいるい!」
「は?」
「だって、それだけ真剣にこの作品と向き合ってくれたってことだろ?」
「……っ。……う、うるさ」
図星だと言わんばかりに渚は顔を背ける。
脚本の土台を作り上げたのは俺。
最初から最後まで書き上げたのも俺。
しかし、俺一人で完璧なものを作り上げたのかと問われれば……ノーだ。
渚のアドバイスがなければ、細部まで詰めることができなかった。
きっとコイツは、そういったアドバイスや疑問を考える過程で何度も繰り返し読んだのだろう。
それこそ……すべて覚えてしまうほどに。
否定しないということは――そういうことなのだろう。
なにも言わない俺をチラッと見て、渚はすぐに目を逸らした。
「…………うるさ」
「いやなにも言ってねぇけど?」
無言なのにうるさいとはこれ如何に。
まったく、うちの鬼様は素直じゃないなぁ。
俺から顔を背けている渚の横顔が、僅かに赤くなっているのは――
多分、気のせいじゃないのだろう。
……。
やっぱり、このまま放っておくわけにはいかない……か。
「……なぁトシ。やっぱり青葉と渚さんって仲良いよな?」
「……やめろ拓斗。次は言葉だけじゃ済まないかもしれん」
コソコソ話してる野郎共は放っておいて……と。
「ほんじゃま、あとは任せるわるいるい」
「えっ? 任せるって……あんたどこか行くの?」
「おう。ちょっくら可愛い後輩に会いに行ってくるぜ」
「可愛い後輩……?」
軽く手を振りながら、俺は教室から出て行った。




