第230話 青葉昴は謎の先輩に忠告される
うーむ……。
現在俺には、ちょっとした悩みがあった。
いや、悩みって言えるほど大層なもんじゃないけど。ちょっと『ん?』って思うレベル。
んで、それがなにかというと……ズバリ。
――我らが鬼様こと、るいるいの様子が今朝からちょっとおかしい。
その『変化』は特に俺に対して顕著で……。
安直に言ってしまえば、避けられてるんじゃね? っていう疑惑が浮上している。
「次って移動教室だったよね! みんな行こ~!」
「あ、うん。行く」
「おっと? この俺様を忘れてもらっちゃあ困るぜ? 移動教室といえばオ・レ☆」
「ごめん青葉くんどういうこと?」
「素のテンションで聞かれると、凄まじく恥ずかしくなるからやめてくだちゃい」
本日の最後の授業は、移動教室である。
パパっと準備を済ませた蓮見が立ち上がり、一緒に行くように促してくる。
しょうもない小ボケをすると、大抵渚が『は? つまんな』みたいなことを言ってくるのだが……。
渚は俺を一瞬チラッと見たあと、すぐに蓮見へと視線を戻す。
「あ……えっと、行こ」
「うん……? そうだね!」
はい。
――てな具合で……本当に微々たる程度ではあるが、俺に対する態度が普段と少しだけ違っていた。
渚が俺に冷たかったり、素っ気なかったり、あと無視したりするのはいつものことだから、傍から見ればいつも通りかもしれない。
しかし……実際に相対している俺は、確かに疑念を抱いていた。
ここ最近……という話ではなく、むしろ今朝からの話だ。
昨日まで普通だったのに、今朝から様子が変わっていたのだ。
そういえば渚、今日はギリギリの登校だったよな……? それになんだか思い悩んでいるようにも見てたし。
もしかして、そのあたりになにか原因でもあるのだろうか。
好きなソシャゲがサ終かなんかしたの? それともガチャ爆死した?
「ほら司、昴。アンタたちも行くわよ」
「そうだね。昴、大丈夫か?」
「ん? あー悪い、先に行ってていいぞ。俺はおトイレちゃんを済ませてから行くぜ」
「おっけー。なら先に行ってるぞ」
「おう」と、教室から出ていく司たちを見送ったあと俺も席を立つ。
「様子の変化……ねぇ」
渚が俺に対してなにを思おうが、そのあたりは別にどうでもいい。たいして興味はない。
ただ……気がかりな点がいくつかあるのだ。
まず一つ目は、俺に対してどこか気を遣っているように感じること。実に渚留衣らしくない。
そして二つ目が、俺に関係する『なにかしら』を抱えているように見えること。
多分アイツは『悩み』を抱えていて、それをどう対処すればいいのか困っている。
その証拠として、日中に俺たちが話しかけても上の空になっていることが何度かあった。
いったいアイツがなにを考えているのかは知らないが――
『前兆』となったのは……やはり一昨日の月曜日。
あのときから、俺に対する態度がいつもと違っていた。
――『四組の小西さんって知ってる?』
可能性があるとすれば……当然この件か。
俺がその女子の恨みを買っているかもしれないということ。
こちとら心当たりはないんだが……。
それはあくまでも『小西に対して』ということであり、別のことから関連して小西に影響した……ということは大いに考えられる。
もしかして――また渚と小西の間でなにかしらの接触があったのか?
「ふむぅぅ」
俺が原因でアイツらのこの日常を邪魔するのは絶対に御免だ。
ここはとりあえず――
「トイレに行こっと」
それが一番大事です。
× × ×
――そんなわけで。
「ふぃー、スッキリスッキリ~。これで心置きなく授業に行けるぜ」
トイレを済ました俺は、移動教室のために廊下を歩いていた。あまりダラダラすると遅刻してしまうため、ちょっとだけ早足で。
歩きながら……俺は改めて渚の件について考える。
現状、特別なにか行動する予定はない。
例えば今から四組に乗り込んで『おいコラ小西ぃ! うちの鬼様になにしとんじゃぁお前ェ!』と喧嘩を売るのも一つの手ではあるが……。
それはリスクが高いから一旦無し。
細かい部分は置いておいて今の状況だけで言えば、小西は別に『なにもしていない』わけで……。
渚に手を出したとか。
変な噂を周りに吹聴したとか。
そういったことをしていない以上、俺から一方的に乗り込んでも不利になるだけだ。
それこそ周囲からの評価が『二年のやべー男』が『もっとやべー男』になるだけである。……あれ、たいして変わらないな?
とはいえ――だ。
よく分からねぇ女子に周りをウロチョロされるのも、それはそれで面倒だ。
なにかした『きっかけ』さえあれば、いつものように押さえつけることができるのだが……。
相手側がボロを出した確実なタイミングで、確実に押さえる。これが一番の理想だ。
でないと……司たちにまで迷惑をかけることになる。
だから俺が現段階で出せる答えは――
渚を泳がせる。
アイツはいわば餌だ。
小西とやらが渚に目を付けていることは事実で、俺の知らないところでまた接触するかもしれない。
ただの『会話』を超える『なにか』がある――そのときまで。
悪いが……餌になってもらうぜ、るいるい。
ったく……月ノ瀬や蓮見じゃなくて渚を巻き込んでくるとはなぁ。アイツらだったらまだしも、渚ってのがまた厄介だ。
もちろん完全放置だと問題が起きたときに大変だから、俺なりにアイツのことは見て――
「……ん?」
ふと、前方に目を向ける。
視界に映ったとある光景を見て、俺は眉をひそめた。
ずっと考えごとをしていたせいで、全然気が付かなかったが――
廊下の反対側から歩いて来ていたであろう一人の女子生徒が、いつの間にか俺のすぐ近くまでやって来ていた。
ここは廊下だから、生徒とすれ違うなんて日常茶飯事である。今更疑問に思うことはなにもない。
しかし、俺はその生徒の姿を見て「おぉ……」と声が漏れてしまった。
なぜかというと――
とんでもなく……『美人』の雰囲気を漂わせていたからだ。
身長は高く、一歩歩くごとに長い黒髪が揺れている。前髪が長いせいで、ちゃんと顔は見えない。
後輩で見た覚えはないし、同級生でもこんなヤツいなかったよな……?
となると、恐らく先輩ということになるわけで……。
くそ……! もっと早く気が付いていれば、この美人さんをじっくり見られたのに……!
後悔したところでどうしようもない。
気付いた頃にはもう、俺とすれ違う寸前だった。
まぁ同じ学校の生徒なんだし、この先も会う機会は――
「留衣ちゃんのこと、気にしてあげたほうがいいもね」
――え?
横を通り過ぎていく先輩らしき人物から発せられた、一言。
その言葉に、俺は思わず立ち止まって後ろを振り向いてしまった。
視線の先には、先輩の後ろ姿。
そのまま遠くなっていく背中を、俺はただ茫然と見ていた。
「留衣ちゃん……?」
間違いなくあの人は『留衣ちゃん』と口にしていた。
それに独り言ではなく、アレは俺に向けた言葉だ。
そうじゃなければ、わざわざすれ違いざまに言う理由がない。
つまり――留衣ちゃんは、渚留衣のことを指している。
だけど、どうして俺にそんなこと……?
それに……何故だろう。
見たことないし、知らない先輩のはずなのに――
俺は彼女の後ろ姿を……なんとなく『知って』いた。
パッと頭に思い浮かんできたのは、いつも無表情でスーツ姿の……あの女性の顔。
理由は分からない。
『そう』だという確信もない。
顔はちゃんと見えなかったし、横顔を一瞬見ただけだ。
髪色や瞳の色も違うし、雰囲気だって全然違う。
情報だけで判断すれば絶対に別人だ。
しかし。
根拠のない俺の直感が、そう物語っていた。
もしかして『あの先輩』は――いや。
『あの人』は――