第2話 朝陽司は主人公である
「ふふっ」
転校生、月ノ瀬玲はふわりと美しく微笑む。
その女神のような微笑みは、年頃の男子高校生を悩殺するのには十分すぎる威力を誇っていた。
クラスの男子たちの鼻の下が伸びるなか、俺はダラダラと流れる冷や汗を止めようと必死だった。
俺だってなにも知らなかったら『うひょー! 美少女転校生来たー!』ってなってたわ!
一緒にうひょー! ってしたかったわ!
「マジかぁ……」
両肘を机に立て、ガックリとうなだれる。
現在、このクラスで司に対して最も強い好意を抱いているのは蓮見であることは間違いないだろう。
蓮見、渚、司、そして俺の四人は去年も同じクラスだった。
そのときから蓮見は、司に一定の好意を抱いていたことは当然理解している。
別に本人から言われたわけじゃないけど。見れば分かるし。
まぁ言ってしまえば、俺の中では朝陽司のラブコメ高校編でのメインヒロインポジションは現状蓮見晴香だったのだ。
しかし、たった今その立場を大きく揺るがしかねない事件が起きてしまっている。
――ラブコメには、とあるジンクスが存在する。
物語開始時点から主人公のことが好きなヒロインは、その後突然登場したヒロインによって主人公を奪われる。
ゆえに、報われる可能性はかなり低い。(一部例外アリ)
これは、少女漫画でもよく見かける展開でもある。
今目の前で起きているコレは、まさにそうなってしまいかねない出来事なのだ。
この状況は……蓮見にとってはかなりの向かい風かも知れない。
い、いやでも! そんなテンプレラブコメ展開なんて起きないかも知れないし! ね!
まだいけるぞメインヒロイン!(仮)
「げっ」
俺たちのこの呆然とした気持ちなど一切知らぬ男、司。
その司に向けられたであろう微笑みに対して、なぜか嫌そうな声をあげていた。
「なんだ? お前たち知り合いか?」
我らが担任、大原先生はニヤニヤと二人を交互に見る。楽しそうだなぁあの人。
その言葉に司は慌てた様子で否定しようとしていた。
「あ、えっと先生、その子とは今朝――」
「彼には今朝、少しお世話になったんです。……ね?」
が、しかし。
司の言葉を遮り、月ノ瀬が再び優しげに微笑んだ。
もう二年二組は世紀末状態である。
あぁ……登校中にぶつかったのって、本当にこの女子だったんだな……。
疑念から確信へと変わる瞬間。
ラブコメ主人公、朝陽司は今日も絶好調である。
『きゃー! なんか漫画みたいだねー!』
『おまっ! 朝陽! てめぇ裏切ったな!?』
突然のラブコメ展開に湧き立つクラスメイト一同。
俺はやれやれとため息をついて、渦中の人物である司へと身体を向けた。
「す、昴! 聞いてくれって! ホントにそんなんじゃなくて!」
司がなにか言おうとしていた。
仕方ない……ここは幼馴染として助け舟を出してやるか。
ニッコリと、俺は笑う。
「司……」
「昴!」
「うるせぇ知るかッ! このラブコメ野郎がッ! ケッ!」
「昴!?」
吐き捨てるように言葉をぶん投げ、俺は前を向く。
ふぅ……いい仕事したぜ。
額に浮かぶ汗をぬぐう。
「……あぁぁぁ羨ましいぃ」
ポロっと口から飛び出した言葉。
「出てる出てる。本音出てる」
呆れた様子の渚に対して俺はカッと目を見開く。
届け! 俺の想い!
「お前っ! 男は誰だってこの状況に憧れるもんなんだよ! 分かるか! 溢れ出るこの敗北感」
「知らないし。……たしかにわたしもびっくりだけどさ」
「我が幼馴染ながらこんなうらやまけしらかん状況……大変遺憾である」
「遺憾って……。だってあんたってほら、親友ポジなんでしょ? 親友ポジにそんなイベントあると思う?」
「ないッッ!」
「素直でよろしい」
言い返す言葉がなにもありませんでした!
グギギギと俺は敗北感に耐える。
「――ま、それはわたしもか」
「おん?」
「なんでもない」
渚の呟きは教室内の喧噪へと溶け込み俺に届くことはなかった。
「じゃーそうだな、月ノ瀬。お前の席は朝陽の左隣だ。ちょうど人数の関係でそこが空いてるしな」
「はい、分かりました」
窓際の一番後ろ。主人公席と言われるその席へと歩き出す月ノ瀬。
俺の横を通り過ぎる瞬間、ふわっと漂ういい香りが鼻腔をくすぐる。
えーヤダ……なんでこんないい匂いするのよこの子。あたし惚れちゃうわ。
突然生えたオカマ人格を抑え込み、俺は平静を保つ。
じゃないと一瞬でだらしない顔になってしまうからだ。
男って単純ね。
「いやお前、なんでそんな――」
「よろしくお願いしますね。えっと……朝陽さん?」
「いやだからなんで――」
「よろしく、お願いします。ふふっ」
後ろで交わされるそんなやり取り。
正直、蓮見のSAN値が心配ではあるが……。
俺は一つ、思ったことがある。
さっきもそうだったが、司は月ノ瀬についてなにかを伝えようとしていた。
それに対して月ノ瀬は、狙ったかのように言葉を遮っている。
ひょっとすれば……だが。
二人の間でしか知らない、なにかがあるのか?
………。
はぁ!? なにその二人だけの秘密パターン! ヒロインじゃん! 主人公とヒロインじゃん!
二人のことを考えれば考えるほど、もう一人の青葉昴がこう告げるのだ。
『Your loss』(ネイティブ)
「よーしお前ら。そんなわけで今日から月ノ瀬が一緒だ。あまり質問攻めして迷惑をかけるなよー?」
大原先生がパンパンと手を叩き、皆の注目を集めた。
とはいえ、クラスメイトたちは月ノ瀬のこともそうだが、司との関係性が気になって仕方がないだろう。俺もそうだし!
各々がワクワクとドキドキ、そして約一名の女子はガクガクブルブルしながら朝のホームルームは終わりを告げた。
× × ×
「いや……さすがにわたしもビックリしたよ」
「俺もだわ。主人公っぷりは見慣れているとはいえ、あのレベルはなかなかないからな。……ちなみに蓮見、生きてる?」
「ううん、どっか別の世界に飛んでる。呼んでもまったく反応ないし」
「……にしても、アレだな」
「うん、アレだね」
「いきなり呼び出されるとは……正にラブコメだな」
「うん、ラブコメだね」
朝のホームルーム終了後、俺と渚はなんとも言えない気持ちを抱えて会話をしていた。
なぜそんな気持ちになっているのか……。
それはつい先ほどの話。
――『あの……朝陽さん。二人でお話したいところがあるので……お時間いいですか?』
――『ああ、いいよ。俺もちょっと話したかったし。案内するよ』
――『ありがとうございます。行きましょう』
――そして皆の注目を浴び、教室を出て行く二人。そして聞こえてくる廊下からのどよめき。
………。
なんなん? 俺たちはなにを見せられたの?
「――はっ!」
ようやく蓮見がこっちの世界に戻ってきたようだ。
俺たちは「おかえり」と蓮見に声をかけた。
「晴香、大丈夫?」
「あはは……ごめんねるいるい。ちょっと綺麗な女の子が転校生としてやってきて、しかも朝陽くんの知り合いだったって夢を見ちゃってて――」
ずいぶん具体的な夢だなおい。
「晴香、それ現実」
「そうだよねぇ! 現実だよね! うわーん!」
蓮見は席を立ち、渚に抱き着く。
泣きたい気持ちは……まぁよく理解できる。
めっちゃ可愛い女子がやってきて、それが好きな人となにかありそうな関係だったのだ。
気が気ではないだろう。
「……ぐすん。あれ、その朝陽君たちは?」
「二人で密会しに行ったぞ」
「えぇっ!?」
サラっと追い打ちをかける俺の言葉。
驚愕したそのまま俺に歩み寄り――。
「青葉くん」
ガッと力強く俺の肩を掴んだ。
……あれ? なんか君、力強くない? 俺の肩から鳴ってはいけない音聞こえてるけど?
あー……なんか嫌な予感するなぁ。
蓮見は俺の肩を掴んだまま。
「どういうことおおお!?」
激しく俺をグラグラと揺らした。
「おわっ! ちょ! 蓮見さん!? 痛っ! ちょ、痛っ! アガガガガガ」
脳が揺らされる! 助けて! 助けて渚さん!
「なんで二人きりでどっか行っちゃったのおお!!」
グラグラグラグラ。アガガガガガ。
揺れる視界の中微かに入ってきた渚は、楽しそうに俺を見ていた――。
そして朝陽と月ノ瀬が帰ってきたのは、ちょうどチャイムが鳴った頃だった。