第213話 川咲日向はその発言を絶対に許さない
『へぇ……』
昨日の放課後、日向から渡されたあの手紙を読んだときに思ったのだ。
俺が何度も渡されてきた手紙のように。
俺が何度も読んできた手紙のように。
あぁこれは……心がこもっていないただの紙クズだと。
どうやらその直感は、間違っていなかったようだ。
× × ×
「あたし……みたいな子? あれ、ひょっとしてあたし馬鹿にされてる?」
「あぁいやごめん。馬鹿にしてるわけじゃなくて、あまりにも川咲さんが面白いことを言うからビックリしちゃって。俺が君みたいな女子に告白って……ははっ」
「……んん?」
「ほら、俺ってモテるでしょ? だから勘違いしちゃう子も多くて……期待させちゃったなら申し訳ない!」
どうやら森君は本当にそう思っているようだ。
自分が言っていた通り、日向を馬鹿にするつもりや悪意などは無いのだろう。
自信満々な微笑みが、彼の気持ちを表していた。一方で、流石の日向も困惑しているように見える。
アレだな。森和樹はナチュラルに他人を下に見ているタイプだな。
なまじっか顔が良いせいでモテたり、それに加えて運動の才能があったりするせいで余計に天狗になっている。
一年生の中心メンバーということも拍車をかけていそうだ。
今の短い会話の中で、それらの存分に感じられた。
これはなかなかな男が来たもんだなぁ……。
「おい、昴」
「気持ちは分かるがまだ抑えてくれ」
瞳で訴えてくる司をなんとか制する。
司にとって日向は中学からの大切な後輩であり、妹の親友だ。
そんな後輩を遠回しに『魅力無し』と言われている現状に、怒りを感じているようだ。
俺が君みたいな子――ね。
本当に、そこに一切の悪気はないんだろうなぁ。
「君を呼んだのは、朝陽さんを紹介してもらいたかったからだよ。ほら、二人って仲いいんでしょ? だから川咲さんに頼みたくて」
「はぁ……なーんだ、そういうことか。志乃は可愛いもん。こういう変な男が近付いてきちゃうのも仕方ないよねー」
「変な男って……えっと、俺のこと?」
日向の雰囲気が変わった。
先ほど纏っていた緊張感は一気に無くなり、いつもの様子へと戻る。
頭の後ろで手を組み、うんざりしたようにため息をついた。
「ちなみに聞くけど、志乃のこと好きなのー?」
「最初に見たときから気になっちゃって……さ。あんなに可愛くて、優しそうで……俺にピッタリだと思うんだよ。話したらきっと俺を気に入ってくれるはず! 川咲さんもそう思わない?」
「……へー。で、なんで自分から志乃に話しかけないの?」
「それは……ほら。がっついてる男みたいでかっこ悪いっていうか……」
「諦めなよ」
「え?」
突き放すような、日向の一言。
それはいつもの明るく能天気な声音ではなく、たしかな『嫌悪感』が宿っていた。
俺たちですら滅多に聞いたことのない、冷たい声音だった。
「あのさー。俺にピッタリーとか、がっついてる男みたいでーとか、そもそも志乃を下に見てる時点であたしにはお断り! というか志乃をアクセサリーかなにかだと勘違いしてない? 絶対紹介とかしないから!」
「な、なんでさ。下になんて見てないってば」
「自覚無しなら余計にお断り! 親友として、あんたみたいな男を志乃に近付けさせるわけにはいかないから!」
親友として……か。
日向の言葉を聞いて、中学時代の経験が頭をよぎる。
お前のその気持ち、めっちゃ分かるぜ。
「……おー。言い切ったなアイツ」
ぼかすようなことをせず、しっかり断言してくれたことには好感を抱ける。
……ちなみに。
司が今にでも飛び出しそうだから、俺が必死に腕を掴んで抑えているのは秘密。油断したら普通に振りほどかれそうです。
誰よりも大事な妹を、あんな薄っぺらい言葉で表現されているのだ。ましてや、日向の言う通り下に見ているかのように。
司からすれば、とても許せるようなものじゃない。
「それにね、志乃にはもっと相応しい人がいるの! あんたなんてお呼びじゃないから!」
「それって、朝陽さんに好きな人がいるってこと? 大丈夫。きっと俺のほうが魅力的だって分かってくれるさ」
おい。あの少年はなにを言ってるんだ。チヤホヤされ過ぎるってのも問題だな。
思えば、森君について話を聞いて回っていたとき……女子はともかく、男子は微妙な反応を見せることが多かった。
モテているから気に入らない、というのも当然あると思う。しかし、そもそもの性格に難があるのかもしれない。
森君の何気ない一言に日向は「は?」と、まるで某鬼様のように冷たい返事をした。
「あんたさ、なにも知らないでしょ。あの人のことをなにも知らないくせに、俺のほうが~とか言わないでくれる?」
あの人――
「たしかに? あの人はバカだし、いじわるだし、残念だし、ムカつくことも多いし、本音を話してくれないし、なに考えてるか全然分かんない意味不明な人だけど!」
……。
「……ははっ。言われてるぞ、昴先輩?」
その声を同時に、ずっと掴んでいた司の腕から力が抜けた。
つい先ほどまで怒り顔だったはずだが、いつの間にか呆れたように笑っていた。
名前こそ出ていないが、『誰』のことについて話しているのかは明白だった。
志乃ちゃんの好きな人――という話になれば、候補はもう一人しかいない。こんなことを考えるのも、いまだに抵抗感はあるけども。
「……うるせぇ」
ったく……あのツインテールめ。散々言ってくれやがって。一つも否定できないのが癪だけど!
バカだのなんだの、その通り過ぎてなにも言い返せない。
でもこのまま認めてやるのもちょっと嫌だから、とりあえずあとで頭ぐりぐりの刑だな。
「それでもね」
日向の話は、まだ終わっていない。
アイツはいったい、どんな表情をしているのだろう。
なにを思って、愚かな先輩の話をしているのだろう。
それは、分からない。
「いつだって困ったら助けてくれる。悩んでたらすぐに察して話を聞いてくれる。いっつも文句を言いながらも……結局はあたしたちを見捨てない。どこまでもバカで、どこまでも不器用な人」
……俺が近くにいるって分かってるよな?
いや、アイツのことだから熱くなって忘れてる可能性も十分にある。
「少なくとも、あんたなんかよりずっと……ずっっっと魅力的な人だから! 勘違いしないで!」
確かな意思を宿し、ビシッと森君を指差して。
川咲日向は嘘をつかない。嘘をつけるほど器用な人間ではない。
ゆえに、いつだって彼女の言葉は本音そのものだ。もちろん、今も。
だからこそ――どうしようもなく、眩しいのだ。
「それにね、志乃には誰よりも素敵なお兄さんがいるんだから! そんな軽い気持ちで近付いても無駄だよ。絶対に無駄! 最強のお兄さんだから」
そうだな。素敵な素敵なお兄様がいらっしゃる。
志乃ちゃんと仲良くなる絶対条件として、司という強大なお兄様を乗り越えなければいけない。その壁に認めてもらわなければならない。男子だったら特にな。
そこにすら至れない人間は、志乃ちゃんに近付くことなど不可能だろう。
よく分かってんじゃねぇか日向。
「お、お兄さん……って、二年の朝陽先輩でしょ? 話には聞いたことあるよ。女子から人気だって」
「そうだね。その朝陽先輩だよ。あと女子からじゃなくて男子からもだから。あの人みんなから好かれてるから」
「俺も見たことあるけど、別にかっこよくなかったよ? 能力も平凡みたいだし、なにがそんな人気なのか全然分からないんだよなぁ」
―――あ、ヤバいあぶねぇ。うっかり俺が飛び出すところだった。
堪えろ、俺。
ここでお前が冷静さを欠いたら、なんの意味もなくなるだろうが。
俺は静かに息を吐き、取り繕うようにニヤリと笑った。
「……だってよ? 司先輩?」
「いや、まぁ……うん。事実だけどさ。人から言われると傷つくな……。それも知らない後輩から……」
たしかに言葉だけ見れば事実だろうさ。
けどな、お前の魅力はそんな浅い部分なんかじゃない。
容姿や勉強、運動なんてどうだっていい。
そんなものは、いくらでも偽れる小さなものだ。
そんなものよりもっと重要で、もっと深いところ。
人間においてもっとも大切なもの。
それを朝陽司は持ってるんだよ。
だからコイツに惹かれて、コイツに付いていく。
湧き上がってきた怒りを抑えるように、グッと拳を握りしめた。
「……」
俺は森君の近くにいないから、まだ抑えられる。まだ踏みとどまれる。
――しかし。
目の前で相対している日向は。
司に対して、何年も想いを寄せている日向は。
大好きな先輩をそんな風に言われて――黙っていられるヤツではない。
「それに引き換え……ほら! 俺なんてバスケ部のエース候補だし、顔もいいし、きっと朝陽先輩より何倍も良い男だって! きっとその先輩も認めて――」
「ねぇ、今なんて言った?」
怒りを宿した言葉。
「え? だから、俺を見ればきっと先輩も認めてくれるって。自分と俺と比べてきっと――」
「うるさいっっ!!」
「うぉっ……!」
体育館裏に響く声。
日向は大きな声で森君の言葉を遮り――一気に距離を詰めていた。
そして、自分よりずっと身長の高い男子の胸倉を両手で力強く掴んでいた。
「日向っ……!」
「司、行くな」
「でも昴……!」
「いいから。頼む」
司の腕を強く掴み、行かせないように制する。
今はまだ耐えてくれ。そして聞いてくれ。
あいつの想いを。
お前に対する想いを。
ここでちゃんと、聞いてくれ。
いつもだったらお前に行かせていた。迷いなくここで行かせていた。
だけど、今回はダメなんだ。今回だけはダメなんだ。
お前がここで飛び出したら――すべてが水の泡になるから。すべての意味を失ってしまうから。
今回ばかりは、お前の出番はない。
気持ちが伝わったのか、司は顔をしかめてなんとか踏みとどまった。
「お、おい川咲さん……! いきなりなにするんだよ……!」
「あんたはさ、自分のことを後回しにして人助けができる? 周りから煙たがられて、一人ぼっちに追い込まれた人を助けられる? 例えそれで自分が悪く思われるとしても、あんたは責任もって最後まで助ける意思はある?」
日向は、中学時代同級生から敬遠されていた。
自分はただ好きなことに対して一生懸命に取り組んでいるだけなのに、その『一生懸命』を周囲が受け付けなかった。
それでも日向は好きだったから。
バスケが好きだったから。
その一心で無我夢中に練習し続けて――そして、より一層悪化してしまった周囲との温度差に心が折れそうになった。
そこで手を差し伸べたのが、彼女の心を救ったのが、司だった。
また司が知らないところでラブコメしてるよ――なんて当時は思っていたけど。
まさか同じ高校に入るために必死で勉強して、気が付けばこんなに一緒にいる相手になるとはなぁ。
あのときはまったく予想していなかったよ。
それだけ本気で司を想っていたという証明だ。
「いつも笑って大丈夫だよって言ってくれる。つらいものを抱えているのに、それを見せないでいつもあたしを安心させてくれる。あの人がいなかったら、あたしはきっと自分に負けてた。あの人がいなかったら、あたしは今ここに立ってない」
そうだ、それでいい日向。
これはお前のイベントだ。
お前が起こした大事なイベントなんだ。
ただ自分の思うままに、感情をぶつけろ。
安心していい。
「日向……」
お前の想いは、ちゃんと司に届いてるぞ。
分かってるよな、司。
今の言葉は全部――お前に向けたものだぞ。お前だけに向けられたメッセージだぞ。
絶対に聞き逃すなよ。
「これ以上、あたしの大好きな先輩を……。ううん、先輩たちを悪く言うのは――絶対に許さないから」
「さ、さっきからなんなんだよ……! せっかく俺が声をかけてあげたのに……いいよもう、ほかの子を頼るから」
「頼る……? あたし言ったよね? 志乃には近付けさせないって」
「もしかして朝陽さんにこのことを言うつもりか? そんなことをすれば僕の周りにいる子たちが黙って――」
森君は日向の手を振り払い、Yシャツを正す。
どうやら未だに認めたくないようだ。
日向も日向で今の様子だと、冷静な判断がつかなくて思いもよらない行動をとってしまう可能性もある。
それだけ日向にとって、司という存在は大切なものだから。宝物だから。
だったら――
タイミング的に、そろそろか。
「あれ? 日向ちゃん?」
「あら、日向じゃない。奇遇ね」
俺たちとは反対側……つまり森君の背中越しから聞こえてきた女子二人の声。
彼女たちの姿を見て、日向は「えっ」と声を上げた。
司も驚いたように表情をハッとさせている。
今この状況において、もっとも心強い助っ人。
俺が用意していた――最強の『保険』。
さーて、舞台は整えた。
あとは最後の一押しを頼んだぜ。
「せ、先輩たち……なんでここに……」
蓮見。月ノ瀬。
これはお前たちの専用イベントだ。
存分に暴れてくれ。