第205話 青葉昴は再会を終える
「え、転校?」
俺からの質問に、有木は眉をひそめた。
「ああ、転校だ。たいした理由はないんだが……どうだったんだろうってな。お前の性格的に苦労したんじゃないのか?」
そう、別にたいした理由はない。ただ俺が個人的に気になっただけ。
有木は小学四年生の頃、都内から地方へと転校して行った。云わば転校経験者であるため、質問する相手としては最適なのである。
同じ都内ならまだしも、地方ということは友人や知り合いもいないわけで……。
文字通り、一から交友関係を築いていくしかない。
友達作りが得意なヤツなら苦ではないだろう。しかし、有木はそういったタイプではないのだ。
「えっと……うん、もちろん最初は大変だったよ」
「そりゃそうだよなぁ。寂しくて泣かなかったか?」
「ちょ、ちょっと寂しかったけど泣いてはないからね……!?」
ニヤついて言うと、有木は顔を赤くして否定する。
「悪い悪い。で、実際はどうだったんだ?」
「……正直に言うとね、転校してすぐ友達はできなかった。というか、中学校に上がるまで一人で過ごすことが多かったかな」
転校というのはまったく知らない異なるグループに所属するようなものだ。
当然自分以外の人間はみんな知り合い、あるいは友人同士。すでに一定の交友関係が出来上がっている。
誰と誰が友達でー、とか。
誰が誰を好きでー、とか。
そういった『グループ』の中に、まっさらな状態で飛び込んで行くのだから誰だって大変だろう。緊張だってするだろう。
苦労しただろうなぁ、と他人事ながらに感じた。
しかし、話の内容とは裏腹に有木の表情はそこまで暗いものではなかった。
「でも、中学生になってからは友達も少しだけ出来たんだ」
「お、そうなんか」
どうやら有木ちゃんもいろいろ頑張っていたらしい。
「だから、こっちに戻ってくるってなったときは……。それはそれでまた心細さは感じちゃったかな」
「その連中とはまだ連絡取ってんのか?」
「うん、今でも連絡をくれるんだ。……一時期は返信すら出来なかったけど」
「……。そりゃ仕方ねぇだろ。連絡できる精神状態じゃなかっただろうしな」
とはいえ、有木にも友人と呼べる人間がいたようでなによりだ。
新しい環境に飛び込んで、新しい関係を築いて。
そんな、数多くの『新しい』に触れて……。
有木なりに考えて行動した結果、手に入れたもの。
例え過ちによって崩れかけたとしても、現在も友好な関係を保てているのなら、それはそれで良いことだろう。
もっとも、それ以上のことにはそこまで興味は沸かないが。
「過ごす環境が変われば、そこにいる人や考え方も全然違う。だから振り返ってみれば、転校も嫌じゃなかった……かな」
なるほど。表情が暗くなかった理由はそういうことか。
案外ポジティブに捉えているようで、返答としては意外と言えば意外だった。
「怖かったし、緊張したし、不安なこともいっぱいだったけどね」
「ほーん……」
「でも、それ以上に気持ちの切り替えというか、リセットにもなった部分もあるから……」
切り替え……リセット……。
「そんな感じかなぁ。昴くん、どうして急に転校の話なんて?」
「……ふふふ。それは俺様が有木ちゃんのことを知りたくって☆ キラリン☆」
「ぜ、絶対嘘ってことだけは分かる……!」
ちっ……! 昴くんキラキラスマイルでも騙せなかったか……!
「言っただろ? たいした理由はないって。ただの雑談だ」
現段階で必要なことは聞けた。これ以上有木と話す理由はない。
有意義な話を聞かせてくれた有木ちゃんに感謝するとしよう。
お前にしか、この話はできなかったからな。
ほかの連中だったらきっと変に勘繰られる。それがなにより面倒だった。
「話は終わり! ほれ、電車が来ちゃうからそろそろ行けよ」
「あっ、そうだね……! 今日はありがとう、昴くん」
「それはこっちの台詞だっての。助かったぜ」
「うん……!」
有木はスマホで現在時刻を確認すると、慌てたように「うわっ」と声をあげた。
反応的に電車の時間が迫っているのだろう。
「じゃあ、またね……!」とこちらに小さく手を振り、有木は背を向けて歩き出す。
「おう」と軽く返事をし、俺はその背中が見えなくなるまでボーっと立っていた。
――途中、有木が立ち止まってこちらに振り向く。
なんだ? と思っていると、こちらに向かって胸の前で小さく手を振ってきた。
その仕草に、若干のラブコメヒロイン味を感じたのは秘密である。
容姿もそうだけど、話すときの表情や雰囲気……。諸々合わせて、本当にこの一ヶ月でアイツは変わったんだなぁ。
だからと言って……なにもないけど。
月ノ瀬はきっと、今の有木の姿を俺に見せたかったのだろう。
どいつもこいつもお人好しが過ぎるって話だ。
「気持ちの切り替え、リセットか……」
繰り返し頭の中で流れるのは、有木が残した言葉。
過ごす環境が変われば、そこにいる人や考え方も全然違う。
それによって、己の気持ちや心持ちも変わる……ということか。
これはたしかに、環境が変わった経験がある人間にしか分からない感覚なんだろうな。
言葉では理解できても、それ以上の理解は今の俺からは得られない。
「……帰るか」
電車の走る音。
元気な子供の声。
近くのスーパーから聞こえてくる曲などなど。
それらすべてが耳に入らないくらい――
俺はただ淡々と『考え』ながら帰路へと着いた。
× × ×
――夜、自宅にて。
『息子く~ん! ママ小腹空いちゃった!』
「キッチンの近くに果物置いてるから。適当にそれ食って満たしなさい」
『へいほ~い! ありがと!』
「ったく……夕食は済ませたってのに。食べ盛りの思春期かっての」
『ふっふっふ! もしかしたらママ成長期かも!?』
「はいはい」
俺は自室で、母さんはリビング。
部屋を隔てる扉越しに会話をして、ため息をついた。
その後『おお! みかん発見!』とご機嫌な声が聞こえてきたが……無視無視。これ以上構うと、もっとうるさくなるからねあの人。
さて……と。
俺は椅子に座り、机に置いたノートパソコンを開いて電源を入れた。
元々は二年前くらいまで母さんが使っていたもののお下がりだが、今でも不具合なく快適に使えている。
パソコンを起動したのは、ゲームをするわけでも動画を見るわけでもない。
開くアプリは――メモ帳。
「特にやることないし……ダラダラ考えてみるか」
今日有木から聞いたことを忘れないうちに、とりあえず思ったことを文字に起こしてみるとしよう。
なんの話かというと――もちろん、汐里祭での演劇脚本だ。
俺が担当することはもうほぼ決定事項だろうし、こうなったらとことんやってやろうじゃねぇの。
「とりあえず、超大雑把にあらすじだけでも考えてみるか……?」
カタカタとキーボードを入力しながら、頭の中では有木の言葉がグルグルと回っていた。
――『残したいものとか、伝えたいこととか……。好きとか、嫌いとか。そういう自分のなかにある想いを形にすること、かな……?』
――『まずは身近なことで感じたこととか、思ったこととか……それに対して自分がどう伝えたいか、どう残したいかを考えて……膨らませていけば作りやすいかも……?』
万人にウケる最強の話なんて、この世に存在しない。百点を付ける者がいれば、三十点を付ける者もいる。
ましてや俺はプロでもなんでもない、ただの高校生だ。
演劇の経験もなければ、ノウハウもまったくない。
で、あるならば……。
とことん『好き勝手』にやらせてもらおう。
俺が感じたもの。
俺が残したいもの。
俺が伝えたいもの。
まだ全然形にできないけど……微かに見えるんだ。もう少しで『そこ』に辿り着くことができそうなんだ。
元々やる気なんて全然なかったのに。脚本なんて御免だったのに。
ただのド素人の人間が、どうしてこんなに謎のやる気を感じているのかは――きっと。
司、お前が『主役』だからなんだろうな。
有木と話して、モヤモヤしていたものが少しだけ晴れた。
……そうだ。
俺が作るのは、クラスメイトがみんなで楽しめる話じゃない。観客が楽しめる話でもない。そんなものはどうでもいいし、二の次だ。
俺が作るのは――たった一人のため。たった一つのため。
心はとうに決まっている。
司、俺がこれから描くのは――
お前という『最高の男』に届ける『最低な男』からの――
最後の物語だ。
新年あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします!




