第203.5話 有木恵麻は彼の変化に改めて驚く【前編】
『ぼそぼそ喋んなよ気持ちわりー! ちゃんと喋れよ!』
『あ? なんか文句あんのかよ?』
『黙ってオレの言うこと聞いておけっつの! オレが一番すげーんだからよ!』
声が大きくて、乱暴で、怖くて。
直接的な暴力こそ振るわないけど、いつも言葉でみんなを押さえつけていた。自分に逆らうことを絶対に許さなかった。
その大きな自信に見合う能力も持ち合わせていて、勉強も出来るし、運動も出来るし、とにかくなんでもそつなくこなしていた。だから周りも余計になにも言えなくて……。
そんな彼と唯一対等に話をしていたのは――
ううん。話をしようと『歩み寄っていた』のは司くんだけだった。
それが、あたしにとっての彼だった。
だった……んだけど。
「おっ、外にイケメンが歩いている……! なぁなぁ、俺とあの人どっちがかっこいいよ? もちろん、お・れ・さ・ま☆」
「……あぁ、流石に青葉のほうがかっこいいと思う。だってあんたはあそこまで角ばってないし」
「角ば……っておいそれ石じゃねぇか! 道に落ちてる石のことを言っただろお前! 俺が言ったのは人だわ!」
「大丈夫ですよ。昴さんはかっこいいですから」
「だってさ。よかったじゃん」
「ふぐぅ! これはこれでダメージが大きいぃぃぃ!」
まさかこんなに誰かと親しげに……それも女の子と話しているなんて、当時を知るあたしからすればあまりにも予想外の光景だった。
女の子相手でも男の子相手でも関係なく、昴くんは……その、暴れてたから……。
本当に、今日の昴くんの姿はあたしにとってすごく新鮮だった。
――『あ、すいません! 大丈夫すか!』
七夕のショッピングモールでぶつかったあの日、目の前の男の人が昴くんだということに気が付かなかったのは、その『変化』が大きかった。
雰囲気も。
顔つきも。
声音も。
すべてが――『別人』だったから。
× × ×
「ちょっとあてくしお手洗いに行ってきますわ! 寂しくても泣かないでくださいまし?」
「泣かないから。早く行って」
「なんだよるいるい。俺がいなくて寂し──」
「は?」
「なんでもないです失礼します」
昴くんはピシッと背を伸ばして敬礼をすると、そのまま店内のお手洗いへと向かっていく。
目の前で繰り広げられた漫才のようなやりとりを見て、今日何度目か分からない感想を改めて抱く。
昴くん、本当に変わったんだなぁ――って。
もちろん以前に会った際にそれは理解したけれど、あのときは司くんも同席していから状況が少し違う。
『今の昴くん』が、司くん以外の人……さらに言うなら女の子と話している姿は初めて見たから。
まさか女の子相手に謝罪したり、言い負かされたり、下手に出たりする姿を見られるなんて――
同級生でクラスメイトの渚留衣さん。
司くんの妹の朝陽志乃さん。
見ている感じ、親しげに見えるけれど……。
二人の存在も昴くんに影響しているのかな……?
「……」
「……」
「……」
沈黙。
これまで場を繋いでくれたり、盛り上げたりしてくれた昴くんが席を外したことで会話が無くなる。
少しは慣れたとはいえ、二人とは先ほど出会ったばかりで細かい個人情報は分からない。
共通の知人である昴くんがいなくなると、一気に空気感が変わった。
……ど、どうしよう。なにを話せばいいのかな。
二人に失礼にならないような話とか……えっと。
「ゆ、有木さんは……その……!」
頭の中で必死に話題を探していると、朝陽さんが緊張した面持ちであたしの名前を呼んだ。
司くんの妹さん――
義理だから血は繋がっていないみたいだけど、全体的な雰囲気というかなんというか……似ている部分を感じる。
まさに清楚系って見た目で、同性の私から見ても本当に綺麗な女の子だ。
話し方や立ち振る舞いも丁寧で、アニメや小説で描かれる王道ヒロインみたい。
髪も艶やかでサラサラだし……どんな手入れをしているんだろう。
……あ、いけないいけない……! 話しかけられてたんだった……!
「は、はい。どうかしました……?」
「あの……有木さんは、す……昴さんのこと……えっと……」
「昴くん?」
あたしが昴くんの名前を出すと、朝陽さんはピクッと反応を見せた。
「す、昴さんのことを、ど、どう思っているのかな……って」
「うぇっ」
予想外の質問に上ずった声が出てしまう。
朝陽さんの隣に座る渚さんも、ストローを咥えながら驚いたように「おぉ……」と声を漏らしていた。
「ど、どうっていうのは……?」
「そのままの意味です……!」
な、なるほど。
朝陽さんの桃色の瞳は揺れていて、こちらにも緊張が伝わってくる。
もしかしたら、朝陽さんにとってはそれくらい大切な質問なのかもしれない。
昴くんをどう思ってる……か。
あたしが彼に抱いている感情……。
「……昴くんとは、小学校時代の同級生って話をしましたよね」
朝陽さんが小さく頷いた。
「あたしは四年生の途中で転校しちゃったので、自分のなかの昴くんはその当時の印象のまま止まっていたんです」
「当時の……」
「……当時」
朝陽さんの表情が複雑なものへと変わり、渚さんはなにかを思うように呟いていた。
当時の彼。
地方へと転校してから、何度か小学生の頃を思い出すときはあった。
あの子はどうしてるのかな、とか。
少しだけ仲の良かったあの子は元気かな、とか、
それこそ司くんは今もみんなから頼られているのかな、とか。
そして。
すごく怖かったあの昴くんは――あのままなのかな。それとも変わったのかな、なんて。
良い意味でも。悪い意味でも。
青葉昴という男の子は、司くんと同じくらい特に印象に残っていたから。
「細かい部分は伏せますけど……今の昴くんとあたしが知ってる昴くんって、ちょっと違くて」
ちょっと、なんて言葉では生温いかもしれないけれど。
「だから、この間再会したときは本当にビックリしちゃって……」
昴くんの昔の話を、二人が知っているのかは分からない。
勝手に話すことでもないし、ここは伏せておこう。
「正直、複雑な気持ちはあります。昔の昴くんと、今の昴くん。どっちも本当の彼なんでしょうけど……それでも、ちゃんと理解が追いついたわけじゃなくて」
言葉で言い表せないくらい、本当に『違う』から。
昴くんはあんな話し方をしない。あんな態度を取らない。
昴くんはあんな笑い方をしない。振る舞いをしない。
ハッキリ別人だと疑ってしまうほどで――
それでも。
話していて、ところどころからあたしが知る『青葉昴』くんを感じた。
いじわるなところとか。ニヤニヤ笑うところとか。
そういうところを見て、ちょっと安心しちゃったり……して……。
……な、なんかこれだとあたしが変みたいになっちゃうかな。
「で、でも……。昔も今も、あたしが昴くんを見ていて……感じることは、抱くものは……同じなんです」
「同じ? そ、それって……?」
朝陽さんが不安そうにあたしの言葉を待つ。
あたしは昴くんと仲が良かったわけじゃない。たくさん話したわけじゃない。
話しかけられるときは、決まってバカにされることが多かったから苦手だった。
そんな中……小学生の頃、好き勝手に振る舞う昴くんを見てきた。
司くんと言い合うところを見てきた。
そんな彼を見て、昔から僅かに感じていたこと。
そして。
――『本当に……すまなかった。許されるとは思っていない。許してくれなんて言うつもりはない。なにを言われても……俺は受け止める』
――『そんなことは関係ねぇんだ』
――『……わーったよ。あんがとさん』
再会して、話して。
改めて、確かに感じたこと。
それは――
「憧れ、です」
そう。
憧れ。
この気持ちだけは、変わらなかった。