第193話 渚留衣はまた一つ
「――で。どうせあんたのせいなんでしょ? 最近、朝陽君があんなに恋愛相談されてる原因って。流石にわたしの耳にも入ってきてるから」
渚は視線を前を戻して問いかけてきた。
先ほどまで、くだらない話をしていたというのに……いきなりの展開だった。
まさか、下手な前振り無しでぶっ込んでくるとはな。
渚らしいっちゃらしいが……。
結論から先にスバッと言うそのスタイル、俺は結構好きだぜ。
「はて……何の話かな」
素直に答えてやるかは、また別の話だけどな。
まずは話を聞いてみることにしよう。
「その根拠はあんのかよ?」
「ない。わたしの勘」
ないんかい。
考えることなく飛んできた即答に、思わず「おぉう」と声が漏れる。
気持ちのいい即答っぷりだった。
「んだそりゃ。大層な勘じゃねぇか」
「だってあんた、朝陽君一人に任せないでいつも付き合ってるじゃん。恋愛経験とやらに」
「巻き込まれてるだけだっての。それに、俺はなんもしてねぇしな」
「わざとなにもしてないだけ――の間違いじゃないの」
「お……?」
気になる言い方に隣へと視線を向けると、渚はこちらを見上げていた。
眼鏡越しに開かれた目は……ただ俺をジッと見つめている。
気だるげではあるが、その瞳からは確信めいたものが感じられた。
どうやら勘ではあるが……適当ではないらしい。
なにもしてないだけ……ね。
「あんたがなにか触れ回ったのか、ホントに偶然なのかは知らないけど……。あんたのことだから完全に無関係……ってわけじゃないんでしょ。朝陽君に関係することだし」
「なんだその黒幕みたいな存在は」
「――ひょっとして、朝陽君を『恋愛』に触れさせようとしてる……とか?」
その呟きに、眉がピクリと反応した。
「でも、このタイミングでそんなことをする理由が分からないし……あんたなにがしたいの?」
「いや俺で確定なのかよ」
ガッツリ目的聞いてきたんだけどこの子。
それにしても……なかなか好い線をいってるじゃねぇの。
司を『恋愛』に触れさせる――
だけど、わざわざお前にすべて教えてやる理由も義務もない。
「……はぐらかすんだ」
「さぁな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どちらにしろ、恋愛相談で大変そうだなってことは確かだな」
「ふーん……。先月はらしくない姿を見せたと思ったら……吹っ切れてまた変なことを企んでるんだ。相変わらずあんたって厄介だね」
「そりゃどうも」
肩を竦めてそう言うと、渚はスッと目を細めた。
「――あんたはさ、なにか感じなかったの」
なにか、とは。
俺が聞き返すまでもなく、渚は話を続ける。
「朝陽君と一緒にいろいろ話を聞いたんでしょ。わたしが言ってるのは、恋愛に限った話じゃなくて……」
「なんだよ」
渚が聞きたいこと。
それは――
「どういう形であれ……誰かを想う人。誰かから想われる人。そんな人たちを見て、聞いて……あんた自身はなにか感じなかったの」
「……」
「すぐ言葉を返さないあたり……なにか思ったんだ」
してやったり、といった顔で渚は言った。
こういうときだけ口数が増えやがって……。
やっぱり、渚留衣という少女はどこまでも青葉昴を『見て』いる。
見ているからこそ『俺』に真っすぐ言葉をぶつけてくるのだ。
それはもう、今更否定する気は起きなかった。
「ちょっと前のあんたなら、すぐに『どうでもいい』って答えたんだろうけど……。その感じだと、あんたなりに思うことはあったんだね」
「なんも感じてねぇかもしれねぇだろ。勝手に決めつけんなっつの」
「……そ。あんたがそう言うならそれでいいんじゃない。わたしは晴香に悪い影響がなければ……それでいいから」
淡々と最後まで言い切ると、渚は前を向いた。
誰かを想う人。
誰かから想われる人。
それは、俺が司に聞いたものと同じようなことだった。
彼ら、彼女らを見てなにを思ったのか。なにを感じたのか。
――どうでもいいなかで、強いて一つ。一つだけ言うとすれば。
特別な想いを抱えるたちは……。
本当に、『真っすぐ』だった。
「青葉」
「んだよ」
チラッと、俺を見て。
目を合わせないまま渚は言った。
「誰かと関わって、なにかを思うことは……当たり前で正しいことだと思う。とりあえず、引き続き『人間』頑張って」
人間。
あの日、渚は俺に対して言った。
――『怖くていいと思う。それを感じてるってことは……やっぱりあんたはちゃんと人間やってるってことだから』
俺が感じていることは間違いではないのだと。
俺はそれでいいのだと。
あんたはあんただと――いつもそう、口にするだ。
「おーおー、コミュ障ガールちゃんの言葉とは思えないな」
「でしょ。コミュ障なのはそうだけど、あんたよりは感情豊かな自信はある」
「――などと、意味不明な供述をしており」
「は……?」
……否定はしねぇよ。
お前は俺なんかより、よっぽどちゃんとしたヤツだ。
他人と話すことが苦手で、感情を伝えることが苦手で。
弱々しくて、自分に自信がなくて。
それでもお前は――必要なときには壁を壊せる力を持ってる。
じゃなきゃ、俺に真っ向から立ち向かって来ないだろうが。
月ノ瀬や蓮見、日向や志乃ちゃん……ついでに会長さん。
彼女たちがよく目立っているが……。
俺はな、渚。
お前にだって、司を任せられると本気で思ってる。
思ってはいる……んだけどな。
ただ――
いや、これ以上考えるのは無駄だ。やめよう。
「――で、朝陽君の件はあんたが仕組んだことなの?」
「おっと渚、見てくれよあそこ! コーカサスオオカブトが飛んでるぜ!」
「話の逸らし方下手すぎるでしょ。今九月なんだけど」
「ちっ……」
日向だったら『マジですか! 捕まえないと!』とか言って簡単に騙せるのに。流石にそこまでチョロくないか。
でも……。
わざわざここまで考えて、アレコレ話してくれたのだ。
少しくらいは返してやるとしよう。
「渚」
「なに」
返事こわ。
俺は一度息を吐き……渚へと顔を向けた。
「――必要なこと、なんだよ。全部な」
「……?」
「俺は俺のやりたいようにやるだけだ。そのためなら、なんでも利用させてもらう」
「……ずいぶん言い切るじゃん」
「好きにしなよ――って誰かさんからも言われたからな。俺は俺だ。俺の『核』は揺るがない」
渚が息を呑む。
この意味は、誰よりもお前が一番理解しているはずだ。
「あんときはだいぶ揺らいじまったが……俺はもうああはならねぇよ。だから……まぁ、アレだ」
「……?」
思えば、司や志乃ちゃん、会長さんには話したけど……コイツにはちゃんと伝えてなかったよな。
一度。一度だけだ。
「――ありがとな、渚」
もう、こんなこと言わねぇけどな。初回限定ログインボーナスだ。
「ぇ……」
俺からの『ソレ』が予想外だったのか、渚は驚いたように目を見開く。
薄紫の揺れは、今日一番の動揺の証だった。
「お前が俺にハッキリと言葉をぶつけてくれなかったら、こうはなってなかったかもしれねぇ。素直に認めるのは癪だが……お前の言葉は、たしかに届いた。届かされた」
自分の胸をドンっと叩いて。
ここで嘘を言っても仕方ない。
適当な建前で目を逸らすこともしない。
俺はあの日、渚の言葉がなければ……また別の選択をしていたかもしれない。そもそも、選択まで辿りつけなかったかもしれない。
志乃ちゃんの本心。
司の想い。
会長さんの愛。
渚の友情。
すべて俺にのしかかる……重い、とてつもなく重い『感情』だった。
それに加えて、月ノ瀬や蓮見、日向の存在だってそうだ。
「おかげで俺は俺として、この道を歩き続けることができる。選ぶことができる。だから……お前には割と感謝してんだぜ? サンキューな、るいるい」
ふふんっと得意げに笑い、俺は言ってやる。
そんな俺を渚はなにも言わず、ただ黙って見ていた。
一秒。二秒。……三秒。
四秒経つと同時に、俺からふっと目を逸らし……そのまま視線を落とした。
「……うるさ」
ポツリと呟かれた言葉。
その声は、僅かに震えていた。
「あんたってホントに……そういうところ……意味不明……むり……」
俺に対して言うわけではなく、地面に向かってぶつぶつと呟き続ける。
「……ずるい」
「ずるいってなんだよ」
「全部。全部ずるい。あんたのそういうところ含めて……全部ずるくて、全部――嫌い」
「そうかい。……そういや『嫌い』って久々に言われた気がするな」
最近全然言われてなかったからな。
嫌いって言われてちょっと安心しちゃうあたり、俺も末期かもしれない。
……あ、Mじゃないよ? 違うからね!
「はぁ……志乃さんも苦労するね。これじゃ……」
「ん? 志乃ちゃん?」
「なんでもないから。というか勝手に聞かないで通報するよ」
「理不尽すぎる!!」
別に聞こうと思って聞いたわけじゃないのに! 耳に入っただけなのに!
渚は大きくため息をついて、横目で俺を見る。
「……余計たちが悪くなった気がするんだけど、あんた」
「ハッハッハ! 褒めるな褒めるな!」
「目を逸らさず、理解して、そのうえで自分の道を選ぶ……ね。少し前までのあんたは、分かってても見て見ぬふりして誤魔化してたのに」
「……そうかもな」
渚が言ったとおりだ。
司たちが俺をどう思っているかは分かっている。
俺にどうしてほしいかなんて分かっている。
分かっているからこそ、俺は変わらずにこの道を歩き続けるのだ。
それが『俺』なのだから。
「それでも考え自体は変わってないんでしょ。結局あんたは『あんた』だから」
「ああ、変わってねぇよ。なにひとつな」
「そうだろうね。やっぱり余計たちが悪くなった」
俺の俺のために、やりたいことをやるだけだ。
「――でも」
渚は思考を整理するように深く息を吐いて――再び俺を見上げた。
そして。
「これでまた一つ、あんたを理解することができた」
嬉しそうにふっと微笑んだ渚の顔は、夕日の光に照らされて――より印象に残ってしまった。
こういうときだけ……笑いやがって。
普段から笑顔なんてまったく見せないから、より鮮明に頭に残る。
「はっ、そりゃ良かったな」
「うん。良かった」
変わらない距離感。
「そういうわけで、この話はもう終わり。あのさ青葉、新作のゲームで面白いものがあって――」
「お? いいねぇ。聞かせてくれよ」
変わらないやり取り。
渚留衣は今日も――『いつも通り』青葉昴と他愛のない日常を繰り広げる。
互いの距離が縮むわけでもなく。離れるわけでもなく。
変化を要求するわけでもなく、ただ互いに自分らしさを求める。
言葉に言い表せない……不思議な距離感。不思議な空気。
こんな関係性が――
俺は、嫌いじゃなかった。