第188話 青葉昴は後輩男子の相談に乗る
――周りの目もあるため、俺たちは階段の踊り場へと移動した。
伊藤君は階段に座り、俺と司はその一段下に立っている。
状況だけ見れば、まるで伊藤君をカツアゲしている先輩の図に見えてしまう気もするが……そこは致し方なしということで。うん。
「先輩たちはその……本当に美悠から相談されたんですか?」
「そうだよ。井口美悠さんとは去年クラスが同じだったんだ。その縁もあって今回相談された感じかな」
「話には聞いてましたけど……朝陽先輩って本当にいい人なんですね」
「え、なんで?」
「だって、普通異性に恋愛相談なんてしないでしょう? よほど信頼できる人か、ある意味どうでもいい人じゃないとしないと思いますよ」
同意。それについてはマジで同意。
あくまで軽い雑談程度に『○○君に好きな人っているの?』的なことは聞かれるだろうが、そこからさらに踏み込んだ相談となると……一定の信頼値が必要だ。
男子と女子の恋愛に対する価値観って結構違うって聞くからね。そのあたりも関係もしているのかもしれない。知らんけど。
……あれ、そう考えると月ノ瀬や蓮見たちって――
やめよう。これ以上考えるとめんどくさそうだし。
「そうなの……かなぁ?」
「司のアレコレはキリがないから置いておくとして……それで後輩、相談ってなんぞや」
「あっ、はい」
なんとなく想像できるが……。
井口の名前を出した途端に『相談がある』と言われたら……まぁ。
そういうこと、だよな。
伊藤君は少し恥ずかしそうに視線を落とした。
「先輩たちが知っての通り、自分と美悠は幼馴染でして……それこそ保育園のときから一緒なんです」
はぇー、それは俺と司を超える幼馴染レベルだな。保育園から一緒だったらもうガチの幼馴染だわ。ガチ馴染みだわ。
司も「ホントに長い付き合いだね」と、少し驚いた表情で言っている。
「はい。だから自分にとっては家族みたいな存在っていうか。姉……みたいな感じでした」
「そりゃそうなるだろうな。そんだけ長ければもう家族みてぇなもんだ」
「そうですね。美悠には気を遣わなくていいっていうか、なんでも話せる相手でずっと仲が良かったんです」
井口も明るいヤツだし、なおさら距離感が近かったのだろう。
伊藤君が言っていたように姉弟のような関係性だったに違いない。
――もっとも、それは伊藤君にのみ限った話のようだが。
「でも……最近あることがあってから、ちょっと美悠と話しづらくなったっていうか……変な感じがするというか……」
話の流れが変わった。
あること、とはいったいなにがあったのだろう。
伊藤君は三秒程度なにも言わなかったが、再び口を開く。
「夏休み前くらいに、クラスの子たちと恋愛の話をしてたんです。男子とか女子とか……合わせ六人くらいかな」
「おー、いいね。青春じゃねぇの」
「――待ってくれ伊藤君」
「え?」
神妙な面持ちで司が話を止めた。
伊藤君のことをジッと見つめ――一言。
「その中に志乃はいたのか?」
…………。
「いましたけど……それがなに――」
「話に参加していた男子は志乃のことを――ぐぇっ」
「はいはいストップ。悪いね伊藤君、コイツのことは放っておいて続きを話してくれ」
俺はつい先ほどやられたように、司の首根っこを後ろから掴んで後ろに引いた。
カエルのような声が出した司が俺を「ぐぬぬ……」と睨み付けているが、そんなものは無視無視。
もうめんどくさいってこのシスコン。
……気持ちは分かるけどね! その話の流れで『僕はその、朝陽さんのことが……』みたいな話になってたら、俺たちお兄さんズが教室に乗り込むまである。
伊藤君は首をかしげながらも、「えっと……」と話を再開させた。
「自分に幼馴染がいるって話になって、その人はここの二年だよって言ったら……なんか変に盛り上がり始めちゃって」
「あー、想像できたわ」
「うーん、それはたしかに……盛り上がる感じするね」
男女限らず、そういう話大好きでしょ。
うっそお前幼馴染いんの!? しかも二年生の女子!? 的な。
俺がその場にいたら絶対冷やかす。最悪ですね青葉先輩!
「恋愛とかそういうのじゃなくて、家族みたいな関係~って説明したんですよ。それで、その場にいた川咲さんっていう女子が……」
待て待て待て。ちょっと笑いそうになっちゃったわ。
別に笑うようなことは話してないのに、なんか笑いそうになったわ。
川咲さん。
どこぞのツインテールいじられ娘の名前に、俺と司は目を合わせる。
アイツの名前出るだけで面白く感じるわ。
なに? 変なことでもしたの? したとしても別に驚きはしないけど。
「『そんなこと言って実は好きなんじゃないのー? ほら、例えばその幼馴染さんがほかの人と付き合ったらどうする!? 焦らない!?』――って、言ってきて……」
バッチリ想像できた。余裕で想像可能でした。
なるほどなぁ……ここまでで話がだいたい見えてきた。
きっと日向からそう言われて、伊藤君は実際に想像してみたのだろう。
幼馴染……井口がほかの男と付き合ってる姿を。
その結果――
「それからなんです。モヤモヤするっていうか、気まずいっていうか……美悠と顔を合わせるたびに変に意識しちゃうっていうか……。恥ずかしくて、誰にも相談できなくて……」
と、いうわけである。
なるほどねぇ……。
――しかし。それはもう、答えを言っているようなものだった。
俺は頭の後ろで腕を組み、「ふーん」と頷きながら息をつく。
教室の前で話したときに、伊藤君の反応を見て予想はついてたけど……やっぱりそういうことか。
「――なんだ。わざわざ相談なんて必要ないくらい、君のなかで『答え』が出てるじゃないか」
司はそう言うと、その場に片膝を立ててしゃがみ込んだ。
座っている伊藤君に目線を合わせるように体勢を整え、優しく微笑む。
地味な部分だけど、司の良さってこういうところなんだろうなぁ。
「俺はさ、恋愛については正直よく分からない。人として好きな人はたくさんいるけど、それが恋愛的な意味なのかって聞かれたら……多分ノーなんだと思う。少なくとも、今はね」
「は、はい……」
「そんな俺に言えることは――」
……やれやれ。ここから司のターンだな。
もう俺の茶々入れは必要無さそうだ。あとは頼んだぜ。
司は一息入れたあと、伊藤君を真っすぐ見つめてゆっくりと言葉を伝える。
悩める後輩に、届けるために。
「君にとって、井口さんがどれくらい大切な存在なのか。どれくらい必要な存在なのか。そんな井口さんと君は『どう』なりたいのか、『どう』在りたいのか……」
どれくらい大切なのか。
どれくらい必要なのか。
「そのあたりをゆっくり考えてみれば、おのずと君自身の気持ちが顔を出してくれるんじゃないかな」
どうなりたいのか。
どう在りたいのか……か。
――ったく、恋愛について分からねぇって言う割には十分過ぎる言葉じゃねぇか。
「井口さんも悩んでるよ。今まで通りの距離感で君と一緒に歩くのか、一歩先……新しい道に向かって踏み込むのか」
「……新しい道」
「別に井口さんの気持ちに応える必要はない。君が応えるのは……君自身だ」
「自分……?」
「そう。君の気持ちに、君が応えればいい。人の気持ちを理解するのは難しいからね。それよりは、自分の気持ちを理解するほうがまだちょっとだけ簡単でしょ?」
……うわ、すご。なんか普通に聞き入ってしまった。
人の気持ちを理解するのは難しい。自分の気持ちを理解するほうが、まだちょっとだけ簡単。
そう……だよなぁ。
どんなに仲が良い存在でも、どんなに距離が近い存在でも――
結局他人は他人で、相手の気持ちを完全に理解することなんて不可能だ。
だからこそ、人は会話をする。
だからこそ、人は自分の気持ちを相手に伝える。
そして初めて、その人のことを理解できるのだ。
それよりはまだ……『自分』を理解するほうが簡単だよな。
ちょっとだけ、な。
「朝陽先輩……」
「まぁ、偉そうに言ってるけど……要するに君の好きなようにするといいよって話。無責任な言葉だけど、後悔だけはしないようにね」
最後まで穏やかに言葉をかけると、司は「頑張ってね」と伊藤君の肩をポンっと軽く叩いた。
必要なことは司が全部伝えたから、俺から言うことはなにもない。
幼馴染たちの関係が上手くいこうか、いくまいが。
井口が笑う結果になるのか、悲しむ結果になるのか。
話がどう転ぶのかなんて、俺にはどうでもいいのだから。
――あとは適当にやってくれ。
『こういう話』に司を関わらせることができただけで、俺はひとまず満足だ。
「……ありがとうございます、朝陽先輩」
「ううん。むしろごめんね。先輩二人で急に押しかけちゃって」
「いえ。助かりました。青葉先輩も……ありがとうございました」
「俺はなんもしてねぇぜ」
こちらを見上げてきた伊藤君に、俺は肩をすくめる。
ホントになんもしてないし。
「朝陽さんや川咲さんが、よくお二人の名前を出して楽しそうに話してるんですけど……その理由が分かりました」
「え」
「ん?」
俺、司の順に反応をする。
二人が俺たちの話をしている……?
日向は想像できるけど、志乃ちゃんも話してるのか。ちょっと気になるな。
「朝陽先輩は話に聞いた通りすごく頼りになる人ですし、青葉先輩は変な話とか噂ばかり聞きますけど……案外いい人そうで安心しました」
「ヘイ少年。その話と噂についてじっくり話そうか。六十二時間くらい」
「どういう基準の時間ですか……!?」
おかしいって。やっぱり俺って後輩の間でそういう扱いなの?
ただでさえ二年でも同じような感じなのに?
誰よ! あたしのことをそんなヤバい先輩みたいに言いふらしてるヤツは!
イケメンな先輩とか! かっこいい先輩とか! そういうイメージがよかった!!
「……と、とりあえず。本当にありがとうございました。一回ちゃんと考えてみようと思います」
伊藤君の顔は、悩みが晴れたようにスッキリしていた。
自分のなかでいろいろ整理が付いたのかもしれない。
どのように向き合って、どのような答えを出すのかは……この子次第だ。
「うん。またなにかあったらいつでも話してよ」
「ありがとうございます!」
「暇だったら昴先輩も聞いてやるぜ。一回五百ユーロくらいでな」
「あれここ日本でしたよね……? 五百ユーロっていくら……?」
階段の踊り場で男子二人の笑い声と、一人の戸惑いの声が響き渡る。
こうして、井口美悠と伊藤智を取り巻く恋愛相談が幕を閉じた。
『本当にありがとうございました。智と付き合うことになりました』――
そう、井口から司のもとへ連絡が届いたのは翌日のことだった。
そして。
その日から男女限らず、朝陽司に対して恋愛相談を持ちかける生徒が急増したのだった。
頑張れよ、司。
今はとりあえず多く『触れろ』。
淡い想いを抱える者たちの想いに。悩みに。気持ちに。
そしていずれ……『分かる』ときがくる。