第186話 よっちゃんはヤバい系後輩らしい
──『先輩たちって『つかすば』ですか? それとも『すばつか』ですか?』
ヒソヒソ声で放たれた言葉は、俺たちの表情を固まらせるには十分過ぎた。
俺はもちろん、司もその言葉の意味なんて容易に理解できる。
……おいおい。絶対この子──いやコイツヤバい奴だって。
「パッと見は多分すばつかなんですけど、意外とつかすばじゃないかと思うんですよ」
思うんですよ、じゃないんだよ。思うな。
誰か止めて。コイツを止めて。
よっちゃんは真剣な表情のままぶつぶつと呪詛を口にする。
「昴さん先輩はイケイケで、お兄さんは優しい……でも私の目は誤魔化せません。昴さん先輩はきっと誘い受けの素質があると──」
「待て待て待て待てぃ!!!」
聞き捨てならない単語が出た瞬間、俺は慌ててよっちゃんの語りを止める。
さっきからコイツ、冷静になに言ってるの? なんでずっと真剣な顔してるの? え、正気? 誘い受けとか言ってたよな?
これ以上聞いてると本格的に具合が悪くなりそうだ。
かくなるうえは──!!
「よっちゃん!」
「あ、はいっ」
声を張って名前を呼ぶと、よっちゃんは背筋をピシッと伸ばす。
俺は隣に立つ司の肩を強引に組んだ。
突然の行動に「うぉっ」と声を上げて体勢を崩しそうになっているが、ギリギリで踏ん張った模様。
抗議の視線を感じるが無視! ここは無視! 今はお前のことを気にしてる暇はない!
俺は満面の笑顔を浮かべ、よっちゃんに向かってグッとサムズアップ!
「──すばつかに決まってんだろ☆」
ふっ、決まったぜ……。
瞬間、見る見るうちによっちゃんの表情が明るくなる。
まるでお菓子の山を前にした子供のように、瞳をキラキラとさせていた。
一方の司は──目が死んでいた。
生気を抜き取られたような顔。輝きを失った瞳。
よっちゃんとはまるで対照的である。
「……昴」
「へへっ、なんだよ親友!」
「今までありがとうこれからも頑張ってくれ金輪際志乃に近寄らないでくれ」
「真顔でそういうこと言うのやめて!? 冗談じゃん!」
否定か、便乗か。
どちらにしようか悩んだ結果……便乗を選んでしまった。
だってそっちの方が面白そうなんだもん。昴悪くないもん。
「はぁ……お前を連れてきたのは失敗だったかもしれない」
司は心底嫌そうにため息をつき、俺の腕を振り払う。
そんな俺たちをよっちゃんは興味深そうに見ていた。
「なるほど、すばつかでしたか。やはり王道……王道はいいものですね……ふへへ、へへへへ……」
「よっちゃん? なるほどしないで? あとよだれ出てるから拭いて?」
「おっと失礼しました」
しのひなだの、すばつかだの……ホントになんなんだコイツは。
俺たち初対面だよね? 明らかに初対面の会話じゃないよね?
今度、志乃ちゃんと日向にじっくり話を聞いてみないとな。
日向はともかく、志乃ちゃんに悪い影響を及ぼすようならお兄ちゃん許しませんよ!?
なんて考えていたら、よっちゃんが俺を見てニコッと可愛らしく笑った。
「求めてた答えを教えてくれるなんて、流石は昴さん先輩ですね。残念過ぎる先輩って話ばかり聞きますけど、話してみれば結構――」
「はいストーップ。一回やめようかよっちゃん」
「え?」
聞き逃しませんよあたしは!
――っておい司、笑ってんじゃねぇぞ。腹抱えて笑ってるんじゃねぇぞお前。
よっちゃんは自覚無しと言わんばかりに、パチパチと瞬きをしている。
「あのさ、今残念な先輩って言ったよね?」
「……あ」
「おぉう? さてはお主、無自覚だな? 無自覚で人のことを残念とか言ったな?」
ジト目を向けると、バツが悪そうにポリポリと頬を掻いている。
「あー……その。二年の先輩からよく話を聞いてたもので。同学年に残念な人がいるって……」
「失礼な! 俺のどこが残念っていうんだ! 頭からつま先までイケメンオーラ全開のこの俺に! 残念な要素がどこにあるっ!」
「よっちゃん、まさにこれが昴の残念なところだから。覚えておくといいよ」
「はい。勉強になりますお兄さん」
「泣いていい???」
ぐすんぐすん。
というか、そんなことを後輩に吹き込んだの誰よ。いったい誰なのよ。
……日頃の行いのせいか、思い当たるような人物しかいなくて困りましたね。どうしよう。
ひょっとしてよっちゃんだけじゃなくて、ほかの後輩からも俺ってそういう風に認識なのかな。
青葉昴=残念な先輩。
「ちなみに、そのお兄さんっていうのは? あと、こいつのことを昴さん先輩って呼んでたけど……」
「それ俺も気になってた! はい! 僕気になります!」
青葉先輩でも昴先輩でもなく、昴さん先輩。
そんな名前で呼ばれたことなんて一度もないわけで……。
お兄さん、はなんとなく想像できるけども。
「えーっと、志乃ちゃんのお兄さんなのでお兄さん。で、その志乃ちゃんが『昴さん』って呼んでたので昴さん先輩。以上です!」
「めっちゃシンプルだった。もしかしてコミュ力の鬼? よっちゃん、相当の陽キャ? 陽っちゃんってか! うまいっ!」
「……」
「……」
「おかしいな。廊下に冷房付いてたっけ? いつのまに工事したんだろう」
あー寒い寒い。
二人からの冷たい視線に周囲の温度が一気にマイナスになった気がした。
司はともかく、なんでよっちゃんまでそんな真顔なの? さっきまでよだれ垂らしてたよね?
真冬のような寒さを感じ、腕をさすっていると司が仕方なさそうにため息をついた。
「あ、もちろん先輩たちが嫌だったらやめるので言ってくださいね?」
「いや、大丈夫だよ。男子からそう呼ばれてたら全力で拒否してたけどね。ふふふ」
「お兄さんの目がちょっと怖い……!?」
「俺も大丈夫だぜ。殺虫剤っぽくてちょっとアレだけど、面白いからなんでもオッケー!」
つかすばとかそういうのはやめてほしいけど。切実に。
「ありがとうございます~! あ、そうだ。それで……先輩たちは志乃ちゃんたちに用事でも?」
あ、忘れてた。
よっちゃんの強烈なキャラクターっぷりに当初の目的を忘れてた。
「今日は違うんだ。別の子に用があって」
「別? 誰ですか? 私が呼んできますよ?」
「じゃあお願いしようかな。伊藤君っている?」
「伊藤ですか? 伊藤はー……」
よっちゃんは俺たちから視線を外し、一度教室の中を覗いた。
ぐるっと見回して……一つの箇所で目を止める。
よっちゃんの視線の先を追ってみると、そこでは男子三人が楽しそうに話していた。
お? あの三人のなかのどれかが伊藤君か? 特に見覚えない男子たちだ。
「いますねー。パパっと呼んできましょうか?」
「ごめんね。お願いしてもいい?」
「はーい。よっちゃんにお任せを! ……まさかカツアゲ?」
「もちろん違うよ?」
「ふふっ、冗談ですよ。じゃ、ちょっと待っててくださいね」
よっちゃんはひらひらっと手を振りながら、教室の中へ入って行った。
「……よっちゃんか。なんか……うん、個性的な子だったね」
「フォロー入れなくていいと思うぞ。アレは素直にやべぇ奴だ」
サイドテールを揺らして歩く後ろ姿を見て、俺たちは同じタイミングで笑みをこぼした。
間違いなくやべぇ奴ではあったけど……まぁ、結局悪い子には見えなかったし……。
彼女のような明るい子が仲良くしてくれるなら、志乃ちゃんと日向は退屈しないだろうな。
これからもあの二人をよろしく頼むぜ、よっちゃん。
『おーい伊藤~! 二年生の先輩が呼んでるよ~! 早く行かないとシめられちゃうよ』
『えっ! 誰……!?』
教室内に響くよっちゃんの声。
……。
あれ……これ、俺が特攻するのとあまり印象変わらなくね?
――あ。そういえば。
結局よっちゃんの本名、分からなかったな。ま、いっか。




