第180話 本日の星那椿はほんわかゆるふわお姉さんである
「うふふ」
作業服姿の用務員さん――いや、星那さんは頬に手を添えて綺麗に微笑んだ。
やっぱり、この人は星那さんだ。
一見ただの用務員さんにしか見えないが……俺だって普通にスルーしそうだったし。
雰囲気も立ち振る舞いも全然違う。
全然違うからこそ――気が付けたのかもしれない。
この人を事情を知る、俺だからこそ。
……とか言って、普通に人違いだったら超恥ずかしい。
「流石ね〜。まさか気付かれるなんて思わなかったわ〜」
間延びした口調でそう言うと、星那さんは帽子のつばをくいっと上げた。
優し気な輝きを宿す、金の瞳が露わになる。
この瞳は……あの人の瞳だ。
「思わなかったわ〜、じゃないんですよ。なにしてんすか」
おっとりのほほんお姉様的に姿に、星那さんの素の姿を忘れそうになる。
「お掃除よ~? 生徒の皆様のために廊下を綺麗にしてたの〜」
「いやあの、それは見れば分かるんですけど……」
俺が知っているお姉さんモードではなく、会長さんモードでもない。
初めて見た、星那椿の別の『顔』だった。
つまりこの性格も、誰かを模倣しているのだろう。
ぽわぽわとした空気感に、普通であればこっちも和んじゃうんだろうけど……。
相手が相手だからか、そんな感情は湧かなかった。
むしろ一周回って『すげぇわ』って尊敬の気持ちが先に出てくる。
相変わらず別人レベルに変化してるな……。
顔付きや声音も変化しているから、なおさら気付きにくい。
「どうして『あなた』がここにいるのかを聞いてるんです」
ため息交じりに問いかけるも、星那さんは終始ニコニコ笑っていた。
「お仕事だもの〜。あっ、別に『潜入』ではないのよ〜? 怪しくないから安心してね~?」
「……ではないってことは、ほかのなにかってことですか?」
「うふふ……それはどうかしらね~?」
「うわぁ……」
怖すぎて引いてしまった。
――『潜入、侵入、観察、監視、模倣、護衛……他にも色々ありますが……すべて私の仕事です』
こんなヤバそうなことを言ってる人の言葉だぞ? 素直に怖いだろ!
だけど、こんなに堂々と……それも職員室近くの廊下に立っているあたり、本当に怪しくはないのかもしれない。
俺の疑いのまなざしに、星那さんは「わ~あたし疑われてるわね〜」と楽しそうに言った。
……頭バグりそう。ホントになんなんだこの人は。
「ちなみにあたし、もう二年以上かしら~? この学校で、こういった活動をしているのよ~?」
「……え。てことは――」
「そういうことよ~。実は昴様とも何度か挨拶しているのだけど……分からなかったかしら~?」
「……マジ?」
「マジのマジよ~」
信じられなくてマジBOTになりそう。
え、うそ。ホントに?
二年くらい……って、割とガッツリいるじゃねぇかおい。
それに俺と何度か挨拶もしてる……って。それも驚きなんですけど?
全然気が付かなかった。
まぁ………そもそも『星那椿』という人間をつい最近まで知らなかったのだから、当然っちゃ当然だが……。
「もちろん学校から許可はもらってるので安心してね~?」
公認なのかよ。
怪しすぎて職員室に突き出してやろうと思ったけど、意味ねーじゃねぇか!
「今日は用務員だったけれど……まさかあなたに気付かれてしまうなんて本当に驚いたわ~」
……ん?
含みのある言い方に引っ掛かりを覚える。
いろいろ言いたいことはあるが、まずはそこから聞いていくとしよう。
「待ってください。『今日は』……って言いました?」
思わず眉をひそめて俺は聞き返した。
今日は用務員――って言ってたよな?
その言い方だと……まるで……。
俺の聞きたいことをすぐに察しであろう星那さんは、すぐに答えずに「ふふ」と笑った。
そのまま人差し指を頬に添え、首をかしげる。
「もしかしたら職員だったり……もしかしたら業者だったり、もしかしたら『生徒』だったり? さまざまな姿ですれ違っているかもしれませんね~?」
とんでもない発言の数々に、顔が引きつる。
じゃあ……なんだ?
俺は今まで、知らず識らずのうちに校内で星那さんと挨拶を交わしたり、すれ違ったりしてたってことか?
時には今のような用務員として。
時には職員として。
時には――生徒として。
紛れてた……ってこと? それも学校公認で?
――恐ろしい事実に冷や汗が出てきた。
この人の年齢は分からないが、仮に制服を着ていても違和感はまったくないと思う。
むしろ、そういったものをすべて打ち消せるほどこの人の『仮面』は完璧なのだ。
「ど、どうしてそんなこと……」
「あらあら、最初に言ったわよ~? お仕事……ってね~」
間延びした話し方に会話のリズムが狂ってくる。
星那さんの仕事……。
でも、潜入ではないって自分で言ってたし……。
「……うふふ、仕方ないわね~。普通に教えてもつまらないから、特別にヒントを出してあげるわ~」
「ヒント……?」
そこは普通に教えてくれよ……と言うのは野暮ってやつか。
星那さんは「まずひと~つ」と言うと、モップを持っていない右手の人差し指を立てた。
スラッと伸びた、細くて綺麗な指だった。
「あたしが仕えているのは『誰』かしら~?」
星那さんが仕えているのは――
星那さんはすかさず「ふた~つ」と二本目の指を立てた。
「先日、あたしが話したお仕事内容を覚えているかしら~?」
それはもちろん覚えている。
なんなら、ついさっきそれについて考えていたところだ。
潜入、侵入、観察、監視、模倣、護衛などなど。
改めて羅列してもやっぱり違和感がとてつもないが……。
つまり、正解はこのなかに眠っている……?
「最後にみっつ~」
――瞬間。
先ほどまでにこやかだった表情が、冷たく無機質なものへと変化した。
ほのぼのとした雰囲気も。
優し気な瞳も。
すべて、どこかへ消え去っていた。
「貴方様はもう――ソレをご存じのはずです」
ジッとこちらを見る姿は、俺が知っている星那椿だった。
……いや温度差!!!
後書き失礼いたします。
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緑里