第179話 彼女はしれっと紛れ込んでいる
実行委員決めが無事に終わり、時間は進んで――放課後。
帰りのHRが終わりを告げると同時に、今日一日分の疲れが俺を襲ってくる。
クラスメイトたちの様子はまちまちといったところで、さっそく遊んで帰ろうとしているヤツもいれば、さっさと帰ろうとしているヤツもいる。
そんなワイワイガヤガヤとした雰囲気のなか、俺はとりあえず席を立った。
パパッと帰りたいが……今日はそれが出来ないわけで……。
「昴、帰るのか?」
後ろから司に声をかけられたことで、俺は振り向く。
月ノ瀬たちも同じようにこちらを見ていた。
「だったら俺も一緒に帰るから、志乃も――」
「あーいや、今日は先に帰っててくれ」
「え、なにかあるのか?」
遮るように言うと、司は首をかしげた。
「大原先生に話があるから職員室に行かないといけなくてさぁ。どんくらい時間かかるか分からんから、待ってなくていいぞ」
職員室。
その仰々しい単語に思わず反応してしまうのが、学生の性で……。
司たちは揃って「えっ」と声を漏らした。
なんだろうね。職員室ってだけで怖くなる感じ。
「昴、アンタまたなにかしたの?」
「おい。またってなんだ月ノ瀬。まるでいつもやらかしてるみたいに言うな」
「え、やらかしてるでしょ?」
「ん??? やらかしてないですけど???」
見過ごせない風評被害にすかさずツッコミを入れる。
人を問題児みたいに言わないでほしい! ま、まぁいろいろやってるけど! 先生に怒られるレベルのことはやったことないから!
……多分。恐らく。
「青葉、あんた自首できるんだ。偉いね」
「青葉くん……無事に帰ってきてね……!」
温度差の激しい親友コンビのお言葉に、どう反応すればいいか迷う。
渚は間違いなくバカにしているだろうけど、蓮見が本気で心配してそうで怖い。
ピュアな子だから、本当に俺がなにかやらかしたって思ってそう。
てか自首ってなんだよ。なんで揃いも揃って俺がやらかした前提なの? 日頃の行い? なら納得!!
「お前らなぁ……別にたいした用じゃないっての」
ため息交じりに言いながら、俺は鞄を持って肩に担いだ。
さっさと行かないと、職員会議だのなんだのでタイミング失っちゃうし。
面倒なことはさっさと済ますに限る!
「ほんじゃの。また明日からよろよろ~っと」
「ああ、また明日な昴」
「またね青葉くん!」
「じゃあね昴」
「……おつ」
それぞれの挨拶を聞きながら、俺は教室から出ていく。
目指す場所は職員室。
新学期早々職員室のお世話になるなんて……なかなか大変な月になりそうだ。
知らんけど。適当言いました。てへ。
× × ×
――二十分後。
「青葉、お前本当にそれでいいんだな?」
「はい。むしろ手間かけさせてすんません」
「まったく……。まぁいい、とりあえず気を付けて帰れよ」
「うっす。あざっす。失礼しゃっす」
そんなこんなで先生との話が終わり、職員室から退室する。
さーてと……用事は済んだし、帰るかぁ。
凝り固まった身体をほぐすように、首と肩を回すとコキコキと音が鳴った。あ~ほぐされてる~! あたしほぐされてる~!
昇降口に向かうために一歩踏み出したところで……俺は再び立ち止まる。
別になにか見えたわけでも、呼び止められたわけでもない。
俺が立っている職員室前の廊下からは、窓越しに中庭が見えるのだが……。
今は誰もいない、その中庭を見て――
ふと、以前に見た光景を思い出してしまった。
あれはまだ、月ノ瀬が転校してきたばかりだから……五月か。
あの日、司と月ノ瀬が中庭で一緒に歩いている姿を偶然見かけてしまった。
俺たちが知らない月ノ瀬の笑顔。
俺たちが知らない月ノ瀬の雰囲気。
思えば、あの日初めて……俺はアイツの偽りのない笑顔を見たんだっけな。
当時は司だけしか知らない顔。司にしか見せなかった顔。
そして今では――俺たち全員に見せてくれる顔。
主人公とヒロイン。
二人の間で始まった『物語』が、いつしか彼ら、彼女ら全員のものへと変わっていって……。
そう思うと、なんだか感慨深いものを感じる……かもしれない。
「……ふっ、ノスタルジック昴くんもかっけぇぜ。さ、帰ろっと」
たまには感傷的な姿を見せておかないとね。
普段とのギャップに世の女の子たちはメロメロである。
いいかい全国の男子諸君。ギャップというのを常に意識しておくといい。
例えば……ほら。
普段、服を着ないで出歩いてるヤツがいるとするだろ?
ある日ソイツが服を着ていたとする。
そうなるとどうなる?
『うそ! 彼、今日は服を着てるわ! かっこいい! きゅん!』ってなるでしょ? これがギャップってやつよ?
――え、そうじゃないって? 俺もそう思う。はい。
くだらないことを考えながら昇降口を目指して廊下を歩いていると……。
視線の先に、作業服姿の女性が立っていた。
モップを持って床清掃をしているところを見るに、おそらく用務員さんだろう。
いつも思うけど、ここの校舎地味に広いから掃除が大変だろうなぁ。
帽子を目深に被っているから顔はよく見えないが、なんとなく若そうな雰囲気だ。
俺とは別の方向から女子生徒二人組が歩いてくると、用務員さんはスッと道を開けてあげていた。
「お掃除お疲れ様です~!」
「お疲れ様でーす!」
元気な挨拶。素晴らしい。
「あらあら、ありがとうございます~。優しい生徒さんね~」
なんて会話が繰り広げられていた。
二人組は笑顔で「頑張ってくださーい!」と言い残し、そのまま横を通り抜けていく。
用務員さんはその二人組の背中に向かって、「お気を付けて〜」と小さく手を振っていた。
声を聞いた感じ、やっぱり若そうな人だった。口調もおっとりとしてたし。
うーむ。用務員さんかぁ。
この高校には男女年齢問わず、数人の用務員さんが在籍しており、生徒たちからも慕われている。
視線の先にいる用務員さんも、これまで何度か見かけた記憶があるけど……あまり覚えていない。
出勤の数がほかの人と比べて少ないのかもしれないな。
俺は歩みを進めて、用務員さんとあと数歩ですれ違う距離までやってきた。
「お疲れ様っす」
ぺこりと会釈して、軽く挨拶をする。
仕事の邪魔するわけにはいかないし、雑談するつもりはない。
それに早く帰りたいもん。
用務員さんは俺の存在に気が付くと、先ほど同じようにモップを引いて道を開けてくれた。
「……うふふ、お疲れ様です~。気を付けて帰ってくださいね~」
「あざっす!」
あーなんか今の会話だけですっごい癒された。めっちゃ和んだ。
すれ違いざまにチラッと用務員さんを見てみると、口元がニコッと笑っていた。帽子のせいで目元はよく見えないけど。
いやー、大人のお姉さんっていいな~! 声的にあの人、絶対美人だって!
身長も高めだったし、ちょっと青っぽい綺麗な髪だったし、唇も艶々だったし……胸も大きかったし……あれ、俺変態かな?
……。
――おい、ちょっと待て。変態とかどうでもいいわ。
突然ひとつの嫌な予想が思い浮かんでしまい、ピタッと立ち止まった。
俺、今なんて思ってた? 用務員さん、どんな人だった?
高身長の若そうな女性。
青みがかった髪。
スタイル良い。
僅かに聞き覚えのある綺麗な声。
大人の……お姉さん。
おいおいおい。
……嘘だろ? 気のせいだよな? え、マジ?
俺はゆっくりと振り返り、もう一度用務員さんの姿を確認してみた。
「……ん? どうかしました~?」
俺が振り向いたことに疑問を抱いたのか、おっとりした声音でそう言った。
……多分、そうだ。
間違ってたら超恥ずかしいけど。
「あのー……」
俺はガシガシと頭を掻き、一度息を吐いた。
改めて、柔らかく微笑んでこちらを見ている用務員さんに視線を向ける。
まるでなにかを期待しているように。
俺の言葉をワクワクして待っているように。
用務員さんは微笑んでいた。
「なにしてんすか」
俺の予想が間違っていなければ、この人は――
「星那さん」
危うくスルーするところだった。