第173話 兄であり、想い人であり、かけがえのない存在
「私は――大好きになったんです」
それでも彼女は……想いを捨てなかった。
俺を、大好きだと言う。
真っすぐな瞳で、真っすぐな想いを。
例え拒まれても。
例え届かなくても。
自分の気持ちを、言葉に乗せて。
何度でも。
――『あなたが大好きです――っ!!』
その言葉を、口にするのだ。
「昨日……昴さんの気持ちを聞いて、本当に寂しかったです。寂しくて、悲しくて……胸がギュってなりました」
「……そっか」
「うん。でもね、昴さん」
綺麗な黒髪が、風によってさらさらとなびいた。
崩れないように片手で髪を抑え、志乃ちゃんはふわりと微笑む。
「嫌いだとは──思えなかった。嫌いになろうなんて、まったく思えなかったの。むしろ……」
敬語の抜けた、自然体の姿。
この子が心を許した人物にのみ見せる、飾らない表情。
目を逸らすことなく。
口を挟むことなく。
俺はただ、彼女の言葉を待っていた。
それが、俺にできる最大限のことだから。
「もっともっと──この気持ちを届けたくなった」
自分の想いを噛み締めるように、ハッキリと口にした。
「どんなに悲しくても、どんなに寂しくても、どんなに悩んでも……やっぱり私は、昴さんのことが好きだよ」
好き。
気が付けば、その二文字を聞いても、不快な気持ちに蝕まれることは無くなっていた。
ただひとつの事実として、俺の胸に届いた。
とはいえ……だ。
「……そんなに好き好き言って、恥ずかしくないのかい志乃ちゃん」
「だって本当のことだもん。なにも恥ずかしくないし、誇らしいくらいだよ?」
「誇らしいって……それは俺を過大評価し過ぎでは?」
「ううん、そんなことない。昴さん自身がどう思っていたとしても、昴さんは素敵な人だから。恥ずかしいことなんて……なにもないよ」
……おい、司。
お前、志乃ちゃんになにを吹き込んだ?
折れるどころか、なんならめちゃめちゃ強くなってるじゃねぇか。
あまりにも真っ直ぐ過ぎる言葉の刃に、思わず頭をかかえて「マジか……」と呟く。
志乃ちゃんはそんな俺の様子を見て楽しそうにニコニコしていた。
こりゃとんでもない子に好かれたもんだ。
「だからね、私……決めたんだ」
傷付き、悩み、そして悲しんだなかで志乃ちゃんが出した答え。
「私は──これからもずっと言い続ける。昴さんのことが好きだって。大好きだって。胸を張って、何回でもこの気持ちを届けるよ」
「志乃ちゃん……」
「そしていつか……昴さん自身にも、昴さんを好きになってほしい。私が大好きなあなたを、あなた自身に好きになってほしい」
志乃ちゃんが好きな俺を……俺も好きになる。
歪みのない、純粋な想い。
揺らぐことのない、固い決意。
一人の男を想った、一人の少女のひとつの願い。
「それでね、その次に──」
間をおき、目を閉じて深呼吸。
昨夜と似た状況ではあるが、志乃ちゃんの手は震えていなかった。不安を感じなかった。
隣に立つ男に、自分の想いを伝えたい。
ただその一心で、朝陽志乃は言葉を紡ぐ。
目を開けた志乃ちゃんの瞳は……海に負けないほど、綺麗な輝きを宿していた。
「私を──好きになってもらうから」
一瞬だけ、時が止まったような感覚に陥った。
目の前の彼女しか──視界に映らなかった。
それほどまでに、志乃ちゃんの想いは俺の心を掴んで離さなかったのだ。
きっとこのとき初めて、俺は本当の意味で朝陽志乃という女の子を『見た』のだろう。
「俺の次に、志乃ちゃん……か」
「うん。私は二番目でいい。やっぱり一番は……自分が一番好きになるべき自分だと思うから」
「一番好きになるべき……」
まずは俺が俺自身を好きになること。
その次に……志乃ちゃんを好きになること。
いったいどこを探せば、こんな独特な告白をする女の子がいるのだろうか。
自分ではなく相手のことを想い、寄り添う。
きっと、志乃ちゃんだからこそ抱けるものなんだ。
……どこまでも、優しい子で。
そして、どこまでも――強い。
「それが昨日、悩んで悩んで……私が出した答え。これからも昴さんと一緒に歩くために出した、私だけの答え」
……なぁ、司。
俺たちが思っているより、志乃ちゃんはずっと――強い子になってたんだな。
出会ったばかりの頃の志乃ちゃんとはもう、比べ物にならない。
拒むのではなく、受け入れる。
閉じこもるのではなく、手を差し伸べる。
つらい顔ではなく、笑顔。
志乃ちゃんはきっと、俺よりずっとたくましい子に成長しているんだ。
それを率直に『嬉しい』と思ってしまうこの気持ちもまた、俺にとって『本物』なのだろう。
「だから昴さん、覚悟しててね?」
無邪気に笑って、志乃ちゃんは胸の前で両手をギュッと握った。
「私はこれからもこの大切な『気持ち』を伝えていくから。何度でも、拒まれても……ね?」
あぁ……本当に。
君は紛れもなく、朝陽志乃だよ。
次々と投げかける言葉に俺は「ははっ……」と笑みをこぼした。
昨夜のような乾いたものではなく。
本心からの笑みだった。
「覚悟……か。重いなぁ。重すぎて地面に埋まっちゃうよ」
心が込められた言葉というのは、本当に重い。
俺の小さな器には収まりきらないほど大きくて……重い。
だけど、その重さこそが。
彼女たちを形作る、信念なのだろう。
ある者は一人の男の幸せを願い。
ある者は一人の男を心から想い。
ある者は一人の男の破壊を願い。
そしてある者は、一人の男の『核』を問うた。
どれもこれも、それぞれにとって大切なことで。譲れないことで。届けたいもので。
強い、強い気持ちが込められているからこそ――きっと。
どうしようもなく、『重い』のだ。
「そうだね。重いよ? 自分でも重いなぁって思う。でもね昴さん」
「うん?」
「その『重さ』こそがね――」
もう一度、ふっと微笑む志乃ちゃんの笑顔は――
間違いなく、この二日間で見たなかでもっとも魅力的な表情だった。
「誰かと『関わる』ってことなんだと思う」
――『誰かと繋がるってことなんだよ』
「……本当に兄妹だよ、君らは」
繋がることは、怖くて。
関わることは、重くて。
不自由で、不便で、どうにもならないことがたくさんあるけれど。
それがきっと……当たり前なんだ。それで当然なんだ。
俺が目を背けてきたもの。
気付かないふりをしてきたもの。
逃げ続けていたもの。
司や、志乃ちゃんも……それらを抱えて生きているのだと。
そう、実感させられた。
「……やれやれ、いつから志乃ちゃんはそんなかっこいいことが言えるようになったんだね?」
「うーん……兄さんや昴さんの影響かな?」
「そうかそうか。俺たちが志乃ちゃんをかっこよくしちゃったか」
「そうだよ? 私がこうなったのは二人のせいだからね?」
「おーおー、それは責任重大だぜ」
守らないと、とか。
見ていてやらないと、とか。
そんな気持ちは……今日でもう、卒業かもしれないな。
君は俺よりもずっとかっけぇし、強いし、立派だよ……志乃ちゃん。
「そういうわけで……昴さん、私のこと好き?」
「いや別に好きじゃないよ。嫌いでもない」
「むぅ……昴さんのいじわる。流れでいけるかなって思ったのに……」
「はっはっは! 俺様はそんなに甘くないぜ!」
「昴さんは手強いなぁ」
会話だけ聞けばとんでもなくヤバい男の台詞だが、それこそが俺という男なのだ。
不満げに唇を尖らせる志乃ちゃんは、ため息をついた。
……が、表情は明るいままだった。
「でも、特別……なんだよね」
「そうだな。それは嘘じゃなくて本当だよ」
「……ふふ。しょうがない! 今はそれで良しとするねっ!」
これから先、俺が誰かを『好き』になれるのかは分からない。
なるかもしれないし。
ならないかもしれない。
未来のことは想像できない。
それでも――分かることは。
こんなどうしようもない男に、真っすぐな想いを寄せてくれる女の子がいること。
『好きだ』と堂々と言ってくれる女の子がいること。
それだけは、事実なのだ。
「志乃ちゃん」
名前を呼ぶと、志乃ちゃんは「ん?」と首をかしげた。
「サンキューな」
意表を突かれたように、志乃ちゃんはパチパチと目を瞬きさせて……。
ふいっと、目を逸らした。
「……そういうところ、ずるいです」
ボソッとそう言った志乃ちゃんの頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
君が想いを打ち明けてくれなければ、俺はまだ揺れていただろう。
俺が俺の意思で、こうしてまた歩みを再開できたのは……。
志乃ちゃん、君の力が大きいんだ。
「おーい! 青葉くん! 志乃ちゃん!」
俺たちを呼ぶ声。
見てみると、蓮見がこちらに向かって手をブンブンと振っていた。
蓮見以外の全員も揃っていて、俺たちのほうを見ている。
志乃ちゃんは軽く手を振り返し、立ち上がった。
一歩前に進み……クルっと身体をこちらに向ける。
「ほら、昴さん」
座ったままの俺に……右手を差し伸べて。
「一緒に行きますよ」
笑みを浮かべ、青葉昴に手を差し伸べるその姿は――
――『青葉、大丈夫か?』
あの日見た、朝陽司と同じだった。
兄に、妹に。
俺は何度……この兄妹に手を差し伸べられるのだろうか。
素敵な太陽に、何度照らされるのだろうか。
あまりにもそっくりな姿に、くくっと笑ってしまう。
「……はいはい。志乃ちゃん様の仰せのままに」
手を伸ばし――俺よりも小さなその手を。
掴んだ。