第19.5話 朝陽司は手を差し伸べる【後編】
「――私のなかで……なにかが折れた音がした」
勇気を出してその子を助けて。
その子から感謝されて。
一時的とはいえ……事態は収まって。
だけど、今度は自分が標的になった。
しかも……助けた子も一緒になって自分をいじめてくる。
そんなの……耐えられる人なんているのか?
耐えられるわけが……ないじゃないか。
「私のしたことはなんだったんだろう。その子が私に告げた感謝はなんだったんだろう。私に見せた笑顔はなんだったんだろう」
それはきっと、一人の人間の心を折るには十分すぎる出来事で──。
「グルグルいろいろ考えてるうちに……学校に行けなくなって。転校することになって……」
五月という中途半端な時期での転校。
理由はいたって単純で……そして辛いものだった。
「でね……そのとき決めたの。もう余計なことに首を突っ込むのはやめよう。ただ最低限に過ごそうって。友達なんて必要ない……どうせ最後には自分が傷つくだけなんだから」
「……そっか。それであんなキャラを?」
「ええ。素を出すとまた敵を作りそうだもの」
「アレはアレで目立ってたけどな?」
「……うるさいわね」
でも確かに、敵を作ることは無さそうだ。
「そう決めてたのに……転校初日、アンタと出会っちゃった。最悪な形で……」
俺はあのときのことを思い出し、笑う。
自分で笑ってしまうほど……本当におかしな出来事だった。
昴が言っていたように、まるで恋愛漫画のようで……。
あの日、俺は月ノ瀬さんと出会ってしまった。
「俺も驚いたよ。いくら突然だったとはいえ、素を出すの早すぎないか?」
「それはっ……そうかも」
一言目が『ちょっとアンタ』だもんなぁ。
お嬢様キャラの欠片もない。
あのとき俺と出会わなければ、月ノ瀬さんは誰にもバレずにお嬢様キャラを演じられたのだろう。
「それでも俺は……あの日、君と出会えてよかったって思ってるよ」
俺の言葉に月ノ瀬さんはこちらを見る。
「あそこで君と出会えたから……こうして君と話すことができた」
「……え? アンタなに言って――」
「あのとき出会えたから……俺は君の共犯者になれた」
みんなを騙す、共犯者。
月ノ瀬さんの本当の顔を知っていながら、俺は黙っていた。
あのとき月ノ瀬さんに出会わなかったら、俺はみんなと同じように仮の姿しか知らなかった。
こうして彼女に関わろうと思う気持ちすら抱かなかっただろう。
「あんな最悪の出会いだったからこそ、俺は今……こうして君と話すことができている。君の話を聞くことができる」
俺は月ノ瀬さんを見る。
こちらを見ている月ノ瀬さんの綺麗な瞳は揺らいでいた。
心から思った言葉を……。
俺が言いたかった言葉を……。
ふっと微笑み、俺は伝える。
「だから……ありがとう。あの日、俺と出会ってくれて」
その瞳がさらに揺れる。
「…っ!」
俺の言葉に月ノ瀬さんは勢いよく顔を逸らした。
その横顔は、気のせいか……少し赤くなっているように見える。
「バカよ……なにそれ。全然……意味分からないわ」
「失礼だな。思ったこと言っただけなのに」
「……ホントにバカよ。アンタは」
女子からこんなにバカバカ言われたのは初めてかもしれない。
昴はいつも渚さんからいろいろ言われているが……。
アイツの気持ちがちょっと分かった……気がする。
俺は立ち上がり、大きく伸びをした。
「ありがとな。話、聞かせてくれて」
「別に。あんなことがあったらもう隠すわけにはいかないでしょ」
ぶっきらぼうに月ノ瀬さんは言う。
さて……と。
月ノ瀬さんは言いたいことを俺に言ってくれたし。
ここからは俺の番だな。
「なぁ月ノ瀬さん」
立ったまま話す俺を見上げる。
「この話……昴たちにも言うのか?」
「それは……」
月ノ瀬さんが悩む気持ちは分かる。
あんなに自分によくしてくれた昴に話したとして……。
自分を騙していたんだな、と見放されるのが怖いのだろう。
「月ノ瀬さんから見てさ、昴や蓮見さんたちってどんなヤツに見える?」
俺は月ノ瀬さんを見下ろす。
月ノ瀬さんは俺の質問に対して視線を下に移すと、考えながらも答え始めた。
「蓮見さんは……優しい。いつも周りのことを見てるわよね」
そうだな。
蓮見さんは本当に優しい子だ。
勉強会の一件もそうだが、蓮見さんがいたから俺たちは仲良くなることができた。
彼女の優しさには、俺もいつも救われている。
「渚さんは……口数は少ないけど、みんなのことが好きなんだなって分かる。あと……LINEだと饒舌になるのが面白い」
確かに、渚さんはそういう子だ。
不愛想に見えるが、実際はみんなのことを大切に想っている……と思う。
そして今言っていた通り、LINEになると人見知り具合が一切なくなって饒舌になる。
最初は俺も驚いたが……面白い子だなって素直に思った。
「川咲さんはとにかく元気よね。一緒にいるとこっちまで楽しくなる……気がするわ」
そう。日向は本当にいつだって元気いっぱいだ。
中学時代からずっと、日向はあんな調子だった。
どんなときも笑顔を絶やさず、みんなを笑顔にしてくれる。
それが川咲日向という女の子だ。
「志乃さんは……可愛い。可愛いし優しいし丁寧だし……あんな妹がいたらアンタみたいにシスコンになってもおかしくないわね」
そうそう、志乃は可愛い。……ん? シスコン?
義理とはいえ、俺の大切な妹だ。
家族のことを大切に想うことなんて当然だよな?
え、別にシスコンとか……そういうのじゃないよな……?
「……で、青葉か」
だからなんで昴だけ呼び捨てなんだよ。
ちょっと笑いそうになるからやめてくれよ。
「青葉は……そうね。いつもバカやってて、ヘラヘラしてて……そのたびに渚さんから怒られてる」
昴、お前って……。
悪いけど……否定できないぞ。
「なのに……たまに見せるあの真剣な顔……。……よく分からないヤツよね」
そうだなぁ……昴はそんなヤツだよなぁ。
いつもバカやって、みんなを楽しませてくれる。
それなのに、大事なところではビシッと決めてくれる。
俺の幼馴染で、一番の親友。
今だって昴が残ってくれたからこそ、俺はここに来ることができた。
「はは、なるほどなぁ」
月ノ瀬さんの答えを聞いて思わず笑いがこぼれる。
急に笑った俺を、月ノ瀬さんは不思議そうに見上げた。
ああ、やっぱり。
「なんだかんだ言いながら……よく見てるじゃん。みんなのこと」
例え上辺の付き合いだったとしても、月ノ瀬さんはみんなの印象を悩むことなく答えた。
それはつまり、彼女の中で昴たちを『理解しよう』って気持ちが……少しでもあったからなのでは?
「じゃあ次いいか?」
「いいけど……次はなによ」
「昴たちにも話してみないか? さっきの話」
月ノ瀬さんが顔をしかめる。
それとこれは話が別であることは理解している。
「月ノ瀬さんの気持ちは分かるよ。だけどさ、俺は……知って欲しいんだ。みんなにも……君のことをさ」
「だけど……」
「月ノ瀬さんはさ、みんながその話を聞いて……そしたら離れていくって思ってる?」
俺の言葉に月ノ瀬さんはなにも答えない。
「大丈夫だよ。昴たちは……君から離れていかない。騙していたことも、きっと笑って許してくれる」
「……それ、ちょっとお人好しすぎない?」
「そういうヤツなんだよ、みんな」
「……なにそれ」
呆れたように月ノ瀬さんは笑った。
肩から力が抜けたように見える。
「でもアレだな。昴はもしかしたら『あーもう傷ついた。なんか奢ってくれないと許してあげないもん』とか変なこと言い出しそうだな」
「ふふ、ちょっと想像できるかも」
「だろ?」
昴たちならきっと、月ノ瀬さんを助けてくれる。
「だから……心配しないでいいよ」
俺は月ノ瀬さんとの間を詰め、彼女に向かって手を差し伸べる。
「もし月ノ瀬さんが誰かの悪意に晒されたとしても……俺たちがきっと、君を助けるよ」
月ノ瀬さんは驚いた顔で俺を見上げる。
そして……クスっと笑った。
普段のような作り物ではなく……自然な笑いだった。
ゆっくりと手を伸ばし――
繋がった。
「そこは俺が……じゃないのね」
なにかを呟きながら、月ノ瀬さんは立ち上がる。
「ん? なにか言った?」
「……ううん。なんでもないわよ」
「そうか……?」
「……。はぁ……蓮見さんたちの気持ち、分かったかも」
ため息交じりに言う。
どうしてそこで蓮見さんたちが出てくるのだろうか……?
なんだかちょっとバカにされた気がする……。
「それで、本当でしょうね?」
「なにが?」
「私を……その助けてくれるって話……嘘じゃないわよね」
腕を組み、恥ずかしそうに目を逸らして……。
俺はその姿を見て思わず笑ってしまう。
「ちょ、ちょっとなに笑ってるのよ」
「ごめんごめん。……うん」
俺は咳払いをして思考を切り替え、強く頷く。
「助けるよ。万が一みんなが許してくれなかったら俺も一緒に頭を下げるさ」
「アンタさ……どうしてそこまで……」
「ん? 君の助けになりたいって、それだけの理由なんだけど……ダメか?」
「……っ、アンタって……もう!」
月ノ瀬さんはそのままクルっと俺に背を向けてしまう。
うーん……よく分からない。
だけど……少しは元気が出たっぽいし……。
それだけでもここに来たかいがあった。
ここから先は……月ノ瀬さんが勇気を出すだけだ。
俺ももちろん、全力で協力するけど。
昴たちなら分かってくれるだろう。
「……――とう」
背を向けたままなにかを言っている。
考えごとをしていたからよく聞き取れなかったな……。
「え?」
「だから!」
「あ、うん」
月ノ瀬さんは大きくため息をした。
今日だけで何回月ノ瀬さんのため息を聞いただろう。
そんな全然関係のないことを考えていると――
「――あ、ありがとう」
……。
照れくささを抑えて告げられた、その言葉。
ありがとう。
それを聞いて胸が暖かくなるような気がした。
まったく……。
「うん。こちらこそ、な」
俺の方こそ、ありがとうだよ。
『あ、いたいた。おーい司!』
お互いにひとまず落ち着いたところで。
遠くから聞こえてきた聞き馴染んだ声。
『まだラブコメ中だったらちょっと待ってるけど、どうするー!? 空気読んだ方がいいかー?』
相変わらずだなぁ……。
空気読もうとするヤツが言う台詞じゃないって、それ。
俺は月ノ瀬さんの背中に向かって声をかける。
「だってさ、月ノ瀬さん。どうする?」
「知らない」
未だに背を向けたままで。
プイっと突き放すように返事をした。
やれやれ……と今度は俺がため息。
俺は声の主へと身体を向ける。
そこには、こちらに手を振りながらニヤニヤしている男がいた。
俺は手を振り返すと、ソイツに向かって言ってやった。
「変なこと言ってないで早く来いよ! 昴!」