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第165話 朝陽志乃は戸惑い、そして……

 ――いつからか、志乃ちゃんの俺を見る目が少しずつ変わっていっていた。


 俺に向ける表情が、俺に向ける声が、少しずつ……変わっていっていた。


 兄である司に対する志乃ちゃん。


 その親友である俺に対する志乃ちゃん。


 元々はなにも変わらなかったはずなのに。


 どちらも同じ朝陽志乃だったはずなのに。


 『二人の兄さん』だったはずなのに。


 いつからか、変わっていた。


 薄っすらと『その可能性』を感じながらも……否定し続けた。


 それだけは絶対に……向けられてはいけなかった。


 青葉昴は、そんな綺麗な感情を向けられるべき人間ではないから。


 だが……こうなってはもう。


 遅い。


 撒かれた種は──悲しみとともに芽吹く。


 × × ×


「好きです。大好きです」


 ハッキリと告げられた、その言葉。


 波の音よりも鮮明で。


 月の光よりも明るくて。

 

 消えてしまった線香花火よりも……ずっと綺麗で。


 強い決意と、強い意志。そして覚悟。


 短いその言葉のなかに、朝陽志乃が込めた大切なものをひしひしと感じた。


 彼女はただ真っ直ぐに……青葉昴を見つめていた。


「っ……」


 ドクン――と、鼓動が跳ねる。早くなる。


 会長さんから似たようなことを言われたが、そのときとはまた異なる感覚。


 息苦しさに襲われるが、表に出さないように平然さを保つ。


 抑えろ。揺れるな。


 朝陽志乃は――お前の言葉を待っている。


 『今の言葉』を口にするのは決して容易なことではない。


 並々ならぬ覚悟を持って、言い放ったのだ。


「先に言っておくね」


 俺がなにか言おうとする前に、志乃ちゃんが釘を刺すように再び口を開いた。


「友人として、とか。兄として、とか。そういう意味じゃないよ」


 大方、俺がどのように誤魔化すのか予想ができていたのだろう。


「一人の異性として、私が昴さんのことが――好き」


 再び届いた、その言葉。


 一直線に俺の胸へと突き刺さり……痛みを感じる。


 言い訳の道は。

 

 逃げる道は。

 

 逸らす道は。


 とうに塞がれていた。


 異性として好き。


 これがすべてを物語っているから。


 朝陽志乃が抱える、青葉昴への感情。


 淡い、その感情を。


「……ごめんなさい、急にこんなことを言っちゃって。でも、今言わなかったら……昴さんの気持ちが遠くに行っちゃう気がして」


 敬語をあえて使っていないあたり、その真剣さが伺える。


 俺と本気で向き合うために、志乃ちゃんはこうしてタメ口で話しているのだろう。


「きっと昴さん、心の中ですごく困ってると思う。どうすればいいかって、その平然な顔の下で……すごく考えてるんだと思う」


 穏やかな声で、志乃ちゃんは話を続ける。


「だけど私は……ずるいから。今から、もっと困らせちゃうね」


 俺はなにも言わず、その話に耳を傾ける。


 口を開けば……なにを言ってしまうか分からないから。


 志乃ちゃんは目を閉じて、大きく深呼吸をする。


 緊張しているのは見ているだけで分かる。

 声の震えも、完全には隠せていない。


 それでも……俺にたしかな言葉を伝えようとしている。


 目を開けて――


 ふっと笑みをこぼした。

 

「最初に会ったときは『なにこのうるさい人』って印象だった。どれだけ言っても離れてくれないし、放っておいてくれないし、本当に理解できない人だった」


 ……そうだな。


 君がどんなに拒んでも、俺たちは関わろうとし続けた。


 その氷を、少しでも溶かそうとあれこれ考えてはもがいていた。


「変なことしか言わないし、からかってくるし……面倒くさくて、うんざりする人」


 散々面倒くさがられた。


 散々煙たがられた。


「……でもね。そんな昴さんだからこそ、私は救われた。私を連れ出してくれた。私を笑顔にさせてくれた」


 それは、夏祭りの日にも言われたことだった。


「前にも言ったけど……あなたは、私にとってヒーローなんです」


 ヒーロー……。


 また、胸が痛んだ。


「ふざけているように見えるけど、周りのことをすごく見ていて……変化に真っ先に気が付く。そして、それを誰にも言わないで自分だけでなんとかしようとする」


 そばで見守ってきたということは、志乃ちゃんもまた俺のすぐそばに居たということ。


 初めて出会ったあの日から、志乃ちゃんなりに青葉昴を理解しようとしていたのだろう。


 この人はなんなのか。


 この人はどうしてここにいるのか。


 この人はなぜ……兄の親友なのか。


 膨らみ続ける疑念のなかで、この子はなにを思っていたのか……。


「自分以外のことばかりを気にして、肝心の自分自身のことは顧みない。それが最善策だって決めつける」


 気にする必要はない。それが俺の役目なのだから。


「そんな昴さんに私は何回も助けてもらった。……本人は助けたなんて思ってないんだろうけど。……ね?」


 向けられた瞳に対し、反射的に目を逸らしてしまう。


 言葉にせずとも、それは答えを言っているようなものだ。


 志乃ちゃんもそれを分かっているため、呆れたように笑みをこぼした。


「――助けられてばかりは嫌なの。私だって、あなたを助けたいって。あなたの手を取りたいって。小さなその気持ちは、どんどん膨らんでいって……」


 あんなに鮮明に聞こえていたはずの波の音は、今はもう一切耳に入ってこなかった。


 目の前のこの子の言葉だけが届く。


 そして、一つ。また一つと。

 

 言葉が紡がれるたびに……蝕まれていくのを感じた。冷めていくのを感じた。


「それは……『好き』になった。あなたの一番近くで支えたい。あなたの一番近くでその手を取りたい。あなたの抱えるものを、痛みを……私も背負いたい」


 本当に良い子だと思う。


 他者に寄り添いたいと。


 他者を支えたいと。


 他者の手を取りたいと。


 そう……心の底から思えるなんて簡単なことじゃない。

 

 言うのは簡単だ。形を見せるだけなら簡単だ。


 だけど、この子は……本当にそう思っているのだ。


 俺なんかを支えたいって。俺なんかの一番近くにいたいって。

 

 本気で……そう思っているのだ。


「昴さんが私を『そういう目』で見られないことは分かってる。だってそもそも……私を『私』として見てないから。そうでしょ?」


 ……ああ。その通りだよ。


 やっぱり君は、俺をよく見ている。


「昴さんにとって、私は『朝陽司の妹』。私を大事にしてくれているのは……多分、そういうことなんだろうなって」


 考える。


 考える。


 そこまでたどり着いているこの子に、俺はなにを言う?


 なにを言うのが正解なんだ?


「子供の頃、二人の間になにがあったのかは分からないけど……兄さんのことをとても大切に思っていることだけは伝ってくるから」


 思い起こされるのは、学習強化合宿のあの夜。


 ――『()()()()()()であって、あんた自身の友達じゃない。……違う?』


 渚留衣が抱いた確信。


 あのときは誤魔化して、その場を流すことを選択したが……。


「そのうえで、私は一歩先に進みたい。『朝陽志乃』として『青葉昴(あなた)』の目に映りたい。隣に立ちたい。それだけは……譲れない」


 志乃ちゃんはそう思いながら、俺とこれまで接し続けてきたのだろうか。


「私は――昴さんが好き」


 俺を見つめるその目は。


 優しさに満ちながらも、俺という存在に立ち向かうような意思を感じるその目は――





「好きだから――あなたを理解()りたい。あなたに出会()いたい。ほかでもない……あなたに」





  ――『だからこそ――わたしは、あんたを理解りたい。あんたに出会いたい』


 アイツと同じだった。

 

 俺を襲う息苦しさが増す。こみ上げてくる感情を抑えるために、歯をグッと噛みしめた。


 揃いも揃って……どうして俺なんかに。


 アイツは……渚留衣は、俺を嫌いだと言う。


 そして朝陽志乃は、俺を好きだと言う。


 嫌いだから理解()りたくて。


 好きだから理解()りたくて。


 抱えているものは違えど、目指している場所は同じで。


 『見て』いる相手は同じで。



 あぁ――



 本当に。



 なにをやっているんだ。



 オレは。





「だから私は――!」


 


 ここまで募ってきたさまざまな感情が。


 保ち続けていた糸が。


 プツン――と切れたような気がした。








「ははっ……」








 乾いた笑い声。


 それは、俺から出たものだった。



「ねぇ」



 本当に自分の声か疑ってしまうほど、淡々とした声。


 どんな感情から出てきたのか分からない……薄っぺらな笑顔。



「す、昴さ……っ」



 そんな俺の顔を見た志乃ちゃんが、言葉を詰まらせる。


 ザっと足を引き、瞳が揺らいだ。


 不安?

 緊張?


 いや。


 これは――恐怖。


 志乃ちゃんは今、俺を見て『怖い』と思っている。


 どうして分かるのかって?


 だってあの日、渚留衣からも同じ目を向けられたから。


 全部同じなんだよ。


 あの目と。



「あのさ、志乃ちゃんってさ」



 もう……なんか。


 面倒だ。



「ペンに恋をする?」

「ぇ……?」

「消しゴムに恋をする? スマホに恋をする? 本には? テレビのリモコンには?」


 戸惑いの色が濃くなった。


 そりゃそうだろうな。


 俺の言っている意味なんて分からないだろうさ。


「答えはきっとノーだ。どうしてだと思う?」

「そ、それは……その、そういうものだから……としか……」

「そうだよね? そういうものだから、だよね? だってアレらは――」


 俺はニコッと笑って言い放つ。






()()()()()






 志乃ちゃんが息を呑んだ。



 きっと俺は、張りつめたような笑顔を浮かべているのだろう。


 それでもまぁ……いいか。


 むしろここまで、よく我慢したよ。偉いぞ俺。


 志乃ちゃんを悲しませず、真剣に答えて且つ、その場を流す方法を探したけど……無理だった。


 今の俺には無理だった。



 それに、一度開いてしまった口を……閉じることはできなかった。



 抑えることが……できなかった。




「はははっ。まったく……ダメだよ志乃ちゃん」




 


 言葉の続きを待つ志乃ちゃんに――俺は平然と告げた。







「ただの青葉昴(道具)に『そんな感情』を向けたら――ね?」


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