第163話 青葉昴は夜の海に繰り出す
『私とあなたは他人です。他人の男性が偉そうに命令しないでください。たった一年早く生まれただけのくせに』
うわキッツぅ……今どきの小学生こわ……。
第一印象は、そんな感じだった。
どんなに話しかけても冷たくて。
どんなに近づいても、その分距離を取って。
目を合わせることも、耳を傾けることもない。
俺たちを決して見ようとしない。
心を氷に閉ざした少女。
それが朝陽志乃と俺たちの――始まりだった。
× × ×
――時刻は夜九時前。
「……」
客室のベッドに寝転び、俺はボーっと天井を眺めていた。
もう一つのベッドでは、同じように司が寝転びながらスマホで動画を観ている。
別にまだ九時だし、寝ようとしているわけじゃない。
なにやら女子たちは一つの部屋に集まってなにかしているようだが……。恋バナでもしてんのかねぇ。
……。
うーむ。
ダメだ。
「……ちょっとトイレ行ってくるわ」
「おっけー」
司に声をかけ、ベッドから身体を起こす。
俺はそのまま部屋から出て行った。
「……」
× × ×
静かな夜の空間に、波の音だけが響き渡る。
人の声や車の音、そのほか騒音はなく……このときだけは、まるで世界に俺一人しかいないのではないかと錯覚してしまうほどだ。
司にはああ言ったが、トイレではなく別荘を出て一人で海までやって来ていた。
夜の海というのはなかなか素敵で、昼とはまた違った印象を覚える。
浜辺で座り、俺は流れる波をボーッと見ていた。
近くの道にぽつぽつと設置された街路灯だけが、周囲を照らしている。
「……」
こうして海にやって来た理由は簡単だ。
ただ、一人になりたかった。
星那さんから言われたこと。
会長さんから言われたこと。
司から言われたこと。
さまざまな言葉が頭のなかでぐるぐる巡り、ジッとしていられなかった。
こうして一人で過ごしていれば、気が楽になる。
「一人……か」
俺はいつから、必要のないものまで考えるようになってしまったのだろう。
俺はいつから、関係のないことまで気にしてしまうようになったのだろう。
これまで一度も自分を曲げたことはない。曲げる気もない。
自分の定めたものに向かって、常に突き進んできた。
アイツの抱えるもんを知った小学校時代から、中学時代、そして……高校に入ってからも。
それはまったく変わっていないはずだ。
はずなのに……。
蓮見晴香は言った。
――『青葉くんは大切な友達だよ。私にとっても……あの子にとっても』
月ノ瀬玲は言った。
――『もちろん、アンタも入ってるわよ。大事な友達だもの』
渚留衣は言った。
――『あんたもいるこの日常が――好きなの。誰一人、あんたが欠けることなんて望んでない』
彼女たちとの出会いを通して、司を取り巻く環境が少しずつ変わっていった。
司も。
彼女たちも。
互いを見て、互いを知り、互いを思いやり……次第に変化していった。
あぁ……そうだ。アイツらとの出会いがきっかけなんだ。
俺にとってアイツらは、司の友人であり後輩であり、妹であり、先輩だ。
俺程度の人間が決して肩を並べることなんてできないほど、魅力的なヤツらだ。
立っている場所も違えば、目指している場所も違う。
アイツらと俺は……全然違うのだ。
前しか見る必要がないのに。
真っすぐ進んでいればいいのに。
アイツらは後ろにいる俺を。
道の逸れた先にいる俺を。
大事な存在だと。
大切な友達だと。
そう――迷いもなく言い放つのだ。
ありがとう、と。
淀みのない純粋な言葉をぶつけるのだ。
それがどうしようもなく、眩しくて。
どうしようもなく、不快で。
どうしようもなく、嫌で。
なにより。
アイツらからそんな感情を向けられている自分自身が――
本当に、嫌いで。
「……まぁ、結局のところ」
何気なく呟いた言葉。
……そうだ。
どうしてこうなっているかなんて、答えは単純で。
「近付き過ぎたな……」
近付いて、近付かれて。
装置に過ぎない人間が、メインキャラクターたちと距離を縮め過ぎてしまった。
ハッピーエンドへのルートのために、俺という存在を出し過ぎてしまった。
その結果が……現状を招いているのだろう。
現に、中学時代まではこんなことは起きなかった。
俺も司も、特定のグループというものに所属はしておらず、毎日のように仲良くお喋りをする相手は大していなかった。
ゆえに司はともかく、俺個人に興味を示す存在など全然いなかったのだ。
それを望んでいたし、それで問題なかったのだ。
それが高校に入ってから変わって……。
これまでと同じようにやれば問題ないと……そんな甘さが出てしまっていた。
環境が変われば感情が変わる。
感情が変われば見方が変わる。
見方が変われば印象が変わる。
単純な話だ。
「厄介な連中だよ……どこまでもな」
頭をガシガシと掻き、ため息交じりに口にする。
一見すれば楽しい楽しいお出かけのはずなのに、時間が経てば経つほどドッと疲れが押し寄せてきている。
その大きな要因は……やっぱり。
――『愛している』
星那沙夜の一言。
いや、それ自体もかなりのレベルだが……。
それ以上に。
――『俺にとっても、志乃にとっても、青葉昴は家族のような存在だ。だからこそ、俺は聞かないといけない。お前に問わないといけない』
――『やっと――ちゃんと一緒に見ることができました』
朝陽司。朝陽志乃。
二人の想い。二つの太陽。
俺を救ってくれた司。
俺を救おうとしている志乃ちゃん。
兄妹揃って、どうしようもない男を想っている。
二人だってバカじゃない。
俺自身がその想いに対してどう思っているかなど、想像がついているはずだ。
それなのに、二人はその手を伸ばす。
多くを救えるはずの手を、俺というどうしようもない人間に伸ばす。
……たしかに、青葉昴という人間にとって朝陽兄妹は特別な存在だと言えるだろう。
たった一人の親友と……その妹。
ずっとそばに立って、ずっとそばで見守ってきた。
楽しいときも。
辛いときも。
笑っているときも。
泣いているときも。
一緒の時間を過ごしてきた。
そういう意味では、やはり特別な存在で……。
俺は――
「あ―無理だ。頭いてぇ」
柄にもなくシリアスな考えごとをし過ぎた。
「はぁ……バカか俺は」
意味もねぇことを考えてんじゃねぇよ。
例え周りがどう思っていようが、俺のやるべきことは一つしかねぇだろうが。
……ただ、ここに来たおかげで頭を冷やすことができた。
明日からまた『いつも通り』の俺でいられる。
夜の海に感謝っと。
「さて、そろそろ戻るとしますかね」
あまり遅くなると、司くんから鬼電が来るかもしれないからね。
面倒になる前に別荘に戻ろう。
そう決めて、立ち上がろうとしたときだった。
「――昴さん」
横から聞こえてきた、俺を呼ぶ声。
聞き間違えることのない、その綺麗な声。
顔を横に向けると、そこには――
「……え、志乃ちゃん?」
ビニール袋を片手に、心配そうな表情でこちらを見ている志乃ちゃんが立っていた。
その顔を見た瞬間、改めて司から言われた言葉が次々と頭を過ぎる。
あー……。
困ったな。
――今は君に会いたくなかったよ、志乃ちゃん。




