第19.5話 朝陽司は手を差し伸べる【前編】
出会いと第一印象は最悪だった。
――『いったぁ……! ちょっとアンタ、どこ見て――え、その制服……』
――『いたた……それはこっちの台詞……ん? 君は……』
――『……。……あ、ご、ごめんなさい! 私その……急いでいたもので……!』
――『……いや、そのキャラ変は無理があるんじゃ……』
――『……最悪』
乱暴そうな女子。
――『初めまして。今日から皆様と共に勉学に励むことになりました。月ノ瀬 玲と申します。何卒、よろしくお願いします』
そのはずが、次に会ったときはまるで別人のようで……。
それでも、あんなに綺麗な容姿をした女子を見間違えるわけなかった。
俺の言葉を遮るわ、思わせぶりな態度を取って周りを勘違いさせるわ……。
なんなんだコイツは……と。
本当に第一印象は最悪だった。
だけど。
――『私はもう問題を起こすわけにはいかないの』
――『問題? それに、もうっていうのは……』
――『……。とにかく、アンタは朝見た私のことは絶対に言わないでほしいの。私は私で適当にやるし、アンタは私に関わらなくていい』
――『なるほどなぁ』
――『お願い。なんならアンタの望みを聞いても……』
――『いいよ』
――『え? そんなあっさり……』
――『だってなにか事情があるんだろ? だから、いいよ。君のあの似合わないお嬢様キャラに協力するよ』
――『……そ、そう。というか似合わないは余計じゃない?』
――『そう? だって事実だしなぁ』
君が転校してきたあの日、屋上で話したとき。
そのときの君の顔が本当に真剣だったから……。
俺は、君に協力しようと思ったんだ。
そのあとも昴たちとの交流の時間、君はいつも楽しそうにしていた。
だけど……その笑顔の下には陰があることは分かっていた。
彼らを『友達』だと言いながらも、その言葉は本心ではないと分かっていた。
そんな君を……ずっと見ていたからだろうか。
君の中にいる『なにか』を取り除いてあげたいって。
心の底からの笑顔を……昴たちにも見せてあげてほしいって。
君の……助けになりたいって。
なぜかは分からないけど……そう、思ったんだ。
× × ×
あの女子二人組のことを昴に任せて、俺はスポパを出た。
蓮見さんたちもあの場に残しちゃったことは……少し心配だけど。
けど、あそこには昴がいる。
きっとアイツならなんとかしてくれるだろう。
――『お前が行かなきゃダメなんだよ。アイツの事情を知ってんのはお前だけなんだよ。だから……さっさと行け』
あんなことを言われたんだ。
俺には俺のできることをやろう。
「あの様子だと静かなところに行きたいはずだよな……」
このあたりでそんな場所は……。
いや、とにかく心当たりを探そう。
「行こう」
俺は足を止めることなく走り続ける。
ここで彼女を……月ノ瀬さんを放っておいたらきっと後悔するだろうから。
絶対に今見つけないとダメなんだ。
× × ×
どれだけ走っただろうか。
学校近くをはじめ、月ノ瀬さんが行きそうな場所をいくつか探してみたが見つからなかった。
もしかして家に帰ったのか?
だとしたら俺には……。
グルグルと考えながら、次の場所にたどり着いた。
立ち止まると同時に、膝に手をつく。
はぁはぁ、と息切れを起こしながら周囲を見回した。
俺がやってきたのは河川敷。
大きな川が流れるここには、釣り人や遊びに来ている子供たちが何人かいた。
そして。
視界の端に映った、日の光に反射して輝く金色の髪。
高架下で体育座りをして俯いている一人の少女。
ハッキリと顔が見えていないため、あれが目的の人物なのかは分からない。
しかし、服装や雰囲気などから考えて人違いではないだろう。
走っていた疲れで震える足を叩く。
もう少し付き合ってくれな。
息が整わないまま歩き出し、俺は歩き出す。
高架下に行くまでの斜面で転びそうになったが……ギリギリ耐える。
危ない危ない……いきなりカッコ悪い姿を見せるところだった……。
目的地へと到着した俺は、ソイツに声をかけた。
「まったく……探したよ、月ノ瀬さん」
俺はよろよろと歩き、一人分の間をおいて隣に座った。
いやー疲れた疲れた……。
あれだけいろいろ運動したあとにこの人探しマラソン……明日は筋肉痛だなぁ。今日が土曜日でよかった。
「……うそ、なんでアンタが」
顔を上げ、俺を見る。
元気のないその声音には驚きの感情が含まれていた。
――アンタ、ね。
本当に普段の月ノ瀬さんとは全然違うなぁ。
言葉遣いも表情も雰囲気も……まるで別人だ。
まぁ……俺からすると、こっちの月ノ瀬さんのほうが慣れてるからありがたいんだけど。
「なんでもなにも……君が急にどっか行くから探してたんだよ」
「そんなの……別に頼んでないじゃない」
「はは、そうだな。頼まれてないな」
月ノ瀬さんはバツが悪そうに目を逸らす。
「俺がそうしたいって思ったから、勝手に来た」
昴に背中を押されて。
俺は君を探してたくて、君と話したくて……ここまで来た。
「……バカなの」
「酷いなぁ。こんなに走ってきたのに。スポパと合わせて俺もう一ヶ月分運動したぞ」
「そんなの私のせいじゃ――ううん、私のせいよね……はぁ」
月ノ瀬さんが大きなため息をついた。
「……やっちゃったなぁ」
ポツリと呟かれた声。
俺に言ったのか自然とこぼれた声なのかは分からない。
「なにが?」
「全部よ全部。せっかく上手くいってたのに……一気に崩れちゃった」
「そうだな。君、頑張ってお嬢様キャラ演じてたのにね」
ククッと笑いながら言うと隣から鋭い視線を感じた。
控えめで心優しい。そして誰に対しても丁寧で……。
まるで女神さまのような美少女転校生。
それがみんなの知っている月ノ瀬玲で、その月ノ瀬さんが必死に演じてきた仮の姿だった。
「青葉や蓮見さん、みんなにもこんな形でバレるなんて……」
……。
昴は呼び捨てなの、ちょっと笑いそうになった。
はぁ……と、月ノ瀬さんは二度目の大きなため息。
「……」
俺があれこれ言うより、今は彼女の言葉を待とう。
きっとさまざまなものを抱えているはずだ。
吐き出したいものを全部聞こう。
俺からの話は……それからだ。
少しの間、俺たちの間に沈黙が流れる。
川の音だけが高架下に響いていた。
「……あの、さ」
その口が再び開かれる。
「……なんで私があんなキャラ演じてたのか、ちゃんと話してなかったわよね」
「……聞いていいのか?」
「……。……うん。でも聞いてて全然楽しい話じゃないわよ」
「それでも……聞くよ。いや、聞きたい」
それで君の重荷が少しでも減るのなら。
話を聞くくらい、俺にもできるだろう。
「いじめが原因で転校したって……あの二人、言ってたでしょ」
「そうだな」
俺もどうして月ノ瀬さんが転校してきたのかは聞かされていなかった。
もちろん、仮面を被ってまで学校生活を送る相応の『なにか』があるとは分かっていた。
分かっていたけど……そんな生々しいものだとは思わなかった。
「そのこと自体はね、嘘じゃないの。だけど……ずっといじめられていたわけじゃない。……クラスからは浮いてたけどね」
ふっと自嘲するように笑って。
「ほら、私って美人じゃない? 勉強もできるし、それにこんな性格だからいろいろ敵を作りやすくて」
「それを堂々と言えるのが君のいいところだよ……。否定できないのが悔しい」
「でしょ? ありがと」
あれだけなんでもできていたら、嫉妬されてしまってもなにもおかしくはない。
人間は自分より優れた存在に嫉妬してしまう生き物だから。
「それにね……私が通っていた高校、女子高なの」
あー……。
それは……なかなかキツそうだな。
確かに月ノ瀬さんの性格は敵を作りやすいだろう。
自分でもさっき周囲から浮いていると言っていた。
そこに、女子高という材料を加えると……。
――うん、環境的になかなか辛そうだな……。
「別にそれはいいのよ。私だって、無理して誰かと付き合う気なんてなかったし」
それはこれまでの月ノ瀬さんを見ていてなんとなく理解できる。
無理をして周囲に溶け込むようなタイプではなさそうだ。
私は私。
それが俺の思う月ノ瀬玲だった。
「で、あるとき……私のクラスでいじめが起きた」
いじめ。
その言葉に俺は思わず背筋が伸びた。
スポパで出会ったあの二人組を思い出し、不快さに顔をしかめる。
「いじめられてたのは私じゃなくてね。いつもオドオドしてる……静かな子だったの。アイツらからすれば、それはあくまでも遊びの延長戦上だったんでしょうね」
よく聞く話だ。
いじめている本人たちからすればただの遊び。別にいじめているとは思っていなかった。
傷つくのはいじめられた側で、彼らの心の傷は一生残る。
「いじめが続いても、周りはなにも言わなくて。気付いたら私は……その子を庇って、アイツらに文句を言っていた」
「……それは誰にでもできることじゃない。すごいよ」
「……一時的にいじめは止まったの。いじめられてた子にも結構感謝されちゃって……。人助けも悪くないな……って初めて思った」
いじめは終わって。
いじめられていた子は救われて。
いじめを身をもって止めた月ノ瀬さんは感謝をされて。
めでたしめでたし。
――なんて、簡単な話じゃないんだろう。
じゃなかったら……月ノ瀬さんが今、ここにいるわけがない。
俺は続く言葉を待つ。
恐らくここからが、月ノ瀬さんにとって大事な話なのだろうから。
「……っ」
息を呑む小さな音が聞こえてた。
「……無理しなくていい。急いで話す必要はないぞ」
「……ううん。聞いて」
「分かった」
そしてまた少し間を置いて。
「それで、少し経ったあと……今度は私に対してのいじめが始まった」
思わず手に力が入る。
「よくあるでしょ? いじめに関わると次は自分がいじめられるってやつ。まさにそれよね」
話の流れ的に……なんとなくそうじゃないかと思った。
だけど実際にそう聞いたら、なんだか……腹が立った。
自分のことじゃないのに……すごく腹が立った。
「いじめ自体は耐えられたの。あぁ、またバカなことしてるなって。――だけどね」
「……うん」
「あることがあって……心が折れちゃったの。その、私をいじめてきたヤツらの中にね」
「うん」
月ノ瀬さんは言葉を止め、深呼吸。
そして、絞り出すように……『それ』を告げた。
「元々いじめられてた子が……私が助けた子が……いたの」
――あぁ。どうりで。
だから月ノ瀬さんは。
俺を、昴たちを……みんなを。
誰一人信用していなかったのか。
「――私のなかで……なにかが折れた音がした」