第161話 朝陽司は問いかける
時刻は午後八時頃。
「……なぁ、親友」
「ダメだぞ昴」
「……なんも言ってねぇぞ」
リビングの椅子に腰かけ、俺はサイダーが注がれたコップを手に取って一口飲む。
バーベキューのために用意していたボトルが余っていたため、休憩がてらそれを飲んでいるわけである。
炭酸のシュワシュワとした感覚が爽快で気持ちがいい。
「言わなくても分かるから言ってるんだよ」
目の前に座る司が、麦茶が注がれたコップを片手にため息をついた。
俺がなにを言おうとしたのか。
なぜ司がそれすぐに察したのか。
それは……。
それは……!!
「分かってくれよ司!!! 俺のこの熱い思いを! 男のお前なら分かんだろ!?」
ガタッ! と音を立てて勢いよく椅子から立ち上がり、俺は右手を力強く握りしめた。
湧き上がる衝動をグッと堪えて、ただただ虚しく声をあげることしかできないのが歯がゆい。
ぐぬぬぬ……。
「分からん」
一方の司は塩対応。
話の通じない親友に訴えるために、俺は目をカッと見開き――
お風呂場がある方向を指さした。
「今! この同じ屋根の下で! 美少女たちが風呂に入ってんだよ! そんなん行くしかねぇ――」
「月ノ瀬さんどころか、志乃すらも一生口きいてくれなくなるぞ」
「……いやー、今日もいい天気だなぁ。雲一つない青空だ!」
「心変わり早すぎるだろ。それに今は夜だぞ」
俺は何事もなかったかのように椅子に座り直して、一息ついた。
はい――そんなわけで。
現在、星那さん含めて女子メンバーたちが絶賛入浴中というわけである。
内に秘めたる思春期魂を解放したいところではあるが、得るものと引き換えに失うものがあまりにも大きそうなので我慢します。
志乃ちゃんにすら塩対応されたら俺もう号泣しちゃうもん。
「はぁぁぁぁいいなぁぁぁぁぁ……キャッキャウフフのバスタイムなんだろうなぁぁぁぁ!!」
「お前なぁ……お風呂に行く前に月ノ瀬さんから言われたこと忘れたのか?」
女子たちがお風呂場に行く前、月ノ瀬から笑顔で言われた一言。
――『もし変なことをしたら……分かってるわよね?』
……。
思い出したら恐怖で鳥肌が立ってきた。
アレ、絶対俺たちじゃなくて俺に対して言ってたよね。間違いなく俺に向けた言葉だよね。
失礼な! べ、別にただちょっと覗こうとか、曇りガラス越しでもいいから堪能しようとか、そういうのは思ってないんだからね!
蓮見とか! 会長さんとか! 星那さんとか! ……こう、ね。素敵なものをお持ちですからね。うへへへへ。
……あ、月ノ瀬と日向は大丈夫っす。全然お構いなく。
「あーあ、しゃあないなぁ……俺たちもムフフでウフフな話をして盛り上がろうぜ」
背もたれに寄りかかり、頭の後ろで手を組む。
ここでダラダラ駄弁ってんのも悪くはないが、せっかくならば面白い話がしたい。
「嫌な予感しかしないぞ……」
「はっはっは! そんなことないって! 普通だって! 高校生の男子が話すことと言えば――」
最近はあまり『こういう話』をしてなかったからな。
いい機会だし、改めて聞いてみるのもいいかもしれない。
俺はニヤリと笑い、さっそく司に問いかける。
「なぁ、お前好きな人できた? いいなぁって思う子できたかよ?」
これしかないよなぁ!
俺の質問に、司はやれやれと肩をすくめる。
「やっぱりそういう系の話か……好きだなぁお前も」
「あったりめぇよ! こういう話しか頭にないぞ俺は」
「好きな人、か……」
司はしっかり鈍感系主人公ではあるが、その原因はこれまで育ってきた環境がかなり大きい。
感情が特に成長しやすいであろう幼少期に、心底どうしようもない母親の下で育って。
自分が我慢すればなにも起きない。
傷つくのは自分だけでいい。
自分のような思いをさせないためにも、困っている人は絶対助けなきゃ。
――なんて。
母親の愛もしらず、そんなどす黒いものを抱えて生きてきたせいで、女性と距離を縮めることを無意識のうちに避けている。
そんな司が、今では少しずつ良い方向に変わってきていて……。
それもきっと……月ノ瀬たちとの出会いのおかげだろう。
表に出さなかった弱さを受け入れてくれる。
寄り添って、支えてくれる。
本当に良い出会いをしたもんだな、司くんよ。
「……正直さ、そういうのまだ分からなくて」
「ま、それも仕方ねぇな。でも興味はあるんだろ? 恋愛自体にはさ」
「そりゃ……人並みには。俺だって男だぞ?」
「うーむ……」
司自身が言った通り、興味がないわけではないのだろう。
いかんせん、そういう感情に触れる機会が全然なかっただけで……。
「例えば……一緒にいると安心するとか、この先も守ってあげたいとか……そういう相手は?」
人差し指をピンと立てて、悩める司少年に続けて質問をした。
まずは単純に考えていくとしよう。
俺の質問に対して司は数秒程度考え込んだ後、「あっ」と声を上げた。
おぉ……? これはいい感じ……?
「志乃にならいつも思ってるぞ!」
あー……たしかに司ならそう答えてくるか。
「それ、家族愛じゃね……?」
「そう言われれば……そうだな。うん」
いや、それ自体は良いことなんだけどさ。
今はそういうやつじゃねぇのよ。
……でも、司が『家族愛』を持っていることが地味に嬉しかった。
昔のコイツは、そんな感情を持てる環境ですらなかったからな。
「質問を変えるわ」
言い方を変えて……と。
「そんじゃあ……もっとその先を見ていたいとか、一番近くで支えになりたいとか、逆に自分の支えになってるとか、そういうヤツはいるか?」
「その先……支え……」
月ノ瀬に蓮見。
日向に志乃ちゃん。
渚と、あとは一応……会長さん。
恋愛云々を一旦抜きにしても、司の周りには素敵なヒロインズが存在する。
きっと誰の手を取ったとしても、共に歩むパートナーとして相応しい相手になるだろう。
あとは司が……『その気持ち』さえ抱けば――
「……」
……おん?
俯いていた司の表情が、僅かに変化した。
まるでその『誰か』が頭に浮かんできたかのように、パチパチと目を瞬きさせている。
そして、ゆっくりと顔を上げて俺を見ると――
分かったような、分からないような、どこかハッキリしない様子で首をかしげた。
「いる……とは、思う……?」
……。
え、マジ? マジでいんの?
おいおいおい、ちょっと楽しくなってきたな。
コイツがこういうこと言うの初めてだぞ!
「だけど、それが恋なのかは……うーん……」
「なるほどな。とりあえず今はそれでいいんじゃねぇの? 恋かどうかは置いておいて、そういう相手がいるってだけでな」
「……恥ずかしくなってきたから、この話終わりでいいか?」
「え~! やだやだ! で、そいつって誰よ! あたしに教えなさいよ! ……はっ! まさかあたし!?」
「俺だってまだ微妙なんだから教えるわけないだろ? あとお前は誰だよ」
微妙とはいえ、いったい誰が思い浮かんだのかはめちゃめちゃ気になるが……まだ深く追求しないほうがいいだろう。
答えを急かせるようなものじゃないし、今後変わってくる可能性もある。
こればかりは他人ではなく、自分のなかで育まれていく感情だ。
月ノ瀬か、蓮見、日向か。
それとも……。
いずれにせよ、やはり司が少しずつ変わってきている証拠だろう。
これからも頑張ってくれたまえ。司も、月ノ瀬たちもな。
満足げにうんうんと一人で頷いていると、司がジト目を向けてきた。
「それで? そういうお前はどうなんだよ、昴」
「はぇ? 俺?」
自分を指差すと、司は「お前しかいないだろ」と頷いた。
おぉぉっと……ここでまさかの俺のターン?
「好きな人はいないのか? 女子だのラブコメだのいつも騒いでるだろ?」
「騒いでるって……。えー、好きな人ねぇ……」
視線を上に向け、考える素振りを見せる。
さーて、ここはどう答えるのが正解なのか。
そのまま答えるのは簡単だが、それでいいのかがまた悩ましい。
思考を巡らせたとき――
「渚さんはどうなんだ?」
司が一人の名前を口にした。
その名前に、思わず視線を戻す。
「は? 渚?」
「うん、渚さん。いろいろな意味で二人は仲良いだろ?」
「お前それ本人に言ったら埋められるぞ」
身体だけじゃなくて今度は頭まで埋められるぞ、お前。
しかし、からかって言っているようには見えない。
本気で俺に問いかけていた。
「それに彼女は……昴を見ようとしてくれている。昴を知ろうとしてくれている。……お前が一番よく分かってるだろ?」
「……」
コイツ、そこまで……。
頭を過ぎるのは、渚のあの真剣な表情。
こちらを見る、真っすぐな瞳。
理解りたいと。
出会いたいと。
そう、口にする……あの声。
「はっ、アイツはそういう相手じゃねぇよ。……面白いヤツではあるけどな」
「そうかそうか……となると、別に嫌いではないんだよな?」
「ノーコメントで」
「うわずるいなぁ」
文句はすべてスルー。
アイツはただ、自分の目的のために俺を理解しようとしているだけだ。
あくまでも、勝手にやっているだけ。
それにこっちが付き合ってやる理由はない。
とはいえ、そこだけ見れば……俺と似ている部分はあるのかもしれないな。
そんでもって、渚に限らず……アイツらに好きとか嫌いとか、そういった特別な感情を抱いたことはない。
抱くはずも、ない。
「昴」
「んだよ」
司はお風呂場のほうをチラッと見たあと、ふっと笑みをこぼした。
「好き嫌いはこの際どうでもいい。せめて、目を逸らす選択だけはしないでくれ」
「……。んな大げさな……」
「いいか、昴。お前はここにいるんだぞ」
――『第三者でも、部外者でもない。あんたは──ここにいる』
アイツにも言われた言葉。
青葉昴を真っすぐに見つめる、その目。
あぁ……クソ。
本当に苦手だよ、お前らのその目は。
「はいよ。ご忠告どーも」
ははっと笑い、さらりと流す。
俺関連の話題をこれ以上続けていたら、余計なことを言いそうだ。司相手だから……なおさら。
司はなにも言わずに俺を見つめたあと、呆れたように息をついた。
「そもそも司の話だったよな? なんで俺の話に――」
「じゃあさ、昴」
遮るように、司が再び口を開く。
「志乃はどうなんだ?」
……え?
「志乃のことは――どう思ってるんだ?」
そう言った司の表情は。
今日、一番真剣だった。




