第151.5話 渚留衣は彼女の気持ちを知る【後編】
「え……」
また、なにも言えなかった。
でもこれは許してほしい。
わたしに対する嫉妬だけが収まらなかった――って。
え、なんで……? どうして……?
あれ。ひょっとしてわたし……志乃さんに嫌われてる?
え、え、え……。
特殊状態異常『超動揺』にかかったわたしは、あちこちへ目を泳がせまくっていた。
「あっ、その! 渚先輩が嫌いとかそういう話じゃないですからね!? 私の言い方が良くなかったです……」
「ア、ウン。ダイジョウブ……ダイジョウブ……」
「絶対大丈夫じゃないですよね!?」
志乃さんに冷たくされて、ガチ凹みしている男子二人の気持ちがすごく分かった気がした。
普段が『聖人』な分、余計に心にくるというか……なんというか……。
いや、本人がそうじゃないって言ってるからわたしの勘違いなんだけど……。
なんか……うん。
不意の一撃で被ダメージ二倍って感じ。
「ご、ごめんなさい……」
「うそうそ。大丈夫。それで……えっと、聞かせてくれるの、かな。その理由って」
無くなったはずなのに、わたしにだけは向けていた嫉妬の意味。
志乃さんは安心したようにホッと息を吐き、胸に手を置いた。
気持ちを落ち着かせるように。
あるいは……気持ちを整理するかのように。
「『この気持ち』に気付いたのは……つい、最近なんです」
この気持ち……。
「改めて……聞いていいですか、渚先輩」
「えっと、いいけど」
「……ふぅ」
志乃さんが目を閉じて深呼吸をしたことで、わたしのなかに緊張が走る。
改めての……質問。
それも、質問することに対して神経を使いそうな内容。
でなければ、わざわざ深呼吸なんてしないだろう。
目を開けた志乃さんは……わたしに『質問』をぶつけた。
「昴さんのこと――どう思っていますか」
え――
それは、まったく同じ質問だった。
「……? だからわたしは――」
なにか意味があってのことだと思うし……また同じように答えようとしたとき。
「――一人の異性として」
わたしの言葉を遮るように、志乃さんはハッキリとそう言った。
『強い想い』を感じる――真っ直ぐな瞳。
意思の光を宿す――桃色の瞳。
状況についていけず戸惑ってばかりのわたしに畳み掛けるように、志乃さんはもう一度口を開ける。
「一人の異性として――昴さんのことをどう思っていますか? 渚留衣、先輩」
先ほどと同じようで……まったく違う質問の意味。
流石にわたしでも『その意味』は理解できる。
一人の異性として……青葉昴をどう思っているか。
ざっくり言ってしまえば――
恋愛感情を抱いているか。
わたしが――?
あいつに――?
考える。
考える。
いや。
いやいや……。
たしかにあいつは、わたしにとって特別な友達だ。
晴香や朝陽君とはまた別で、特別な意味を持つ友達だ。
そう――友達。
そこに『その感情』はある……?
「……そういうのじゃ、ない」
ポツリと呟いた言葉。
うん。
ない。
特別だけど――違う。
付き合いたいとか。
ずっと一緒にいたいとか。
顔が見たいとか、声が聞きたいとか。
よく聞くそういった『恋愛的なアレコレ』は……ない。
――うん。ない。
「『そういう意味』で言えば……どうとも思ってない、よ」
わたしは志乃さんを見て、答える。
「わたしがあいつに抱える感情は、さっき言った通りだから」
そうだ。
わたしにとっては……アレがすべて。
理解って。
出会って。
それがわたしの目的だから。
それ以上に思うことはない。
――はずなんだ。
「……分かりました。答えてくれてありがとうございます」
「志乃さんは」
「なんでしょう?」
別になにか理由があって聞きたかったわけじゃない。
なんとなく。
本当になんとなく。
「志乃さんはあいつを……どう思ってるの」
――聞いてしまった。
志乃さんは驚いたように僅かに目を見開いたあと、すぐに穏やかに笑った。
「もちろん、私もお話するつもりでした。こっちから聞いてばかりなのは不公平ですから」
「うん……」
例えば、川咲さんが朝陽君のことを好きなのは一目瞭然。
でも……志乃さんは?
兄とはいえ、血は繋がっていない。いわゆる義理の兄妹。
だけど……朝陽君にそういう感情を向けているようには見えない。
あくまでも妹として兄を大切に思っている……そんな感じがするのだ。
じゃあ――朝陽君でなければ。
「――好きですよ」
濁さず、誤魔化さず、真っすぐに。
穢れを帯びない、ただ純粋で無垢なその声《真実》が――わたしの胸にスッと届いた。
好き。
「私は……昴さんのことが好きです。一人の異性として……わたしは、あの人に恋をしています」
真剣に、だけど少し恥ずかしそうにはにかむその顔は――
わたしがよく知る……『恋する乙女』の顔だった。
ほかでもない、わたしが一番知っている晴香と――同じ表情をしていた。
あぁ……。
本当に志乃さんは……あいつを――
「そ、そうなんだ……」
たったそれしか言えなくて。
どう言葉を返せばいいのかが分からなかった。
「そうなんです。だから……私は渚先輩にだけは特に嫉妬していたんですよ?」
「どうして……?」
なぜ、そこでそうなるの? どう繋がるの?
「昴さんと渚先輩の間には――二人だけの特別な空気感があるので。それが本当に……羨ましかったんです」
「空気感……?」
「はい。友達でも、恋人でもない。だけど特別な……『なにか』。それをお二人から感じていました」
「ごめん、全然分からない……」
正直、なにを言っているのか分からなかった。
わたしとあいつだけの空気感?
友達でも、恋人でもないなにか?
志乃さんはなにを感じたの――?
「ふふ、いいんです。それに今は……渚先輩に対して、もっと別の気持ちを抱いていますから」
「え。なんだろ」
「それは――まだ秘密ですっ」
「えぇ……」
そう言うと、志乃さんは小悪魔っぽさを感じる笑みを浮かべた。
こういうところは……青葉に少し似ている。
なんか……アレだね。
朝陽君と青葉と一緒に過ごす時間が多かったからか……。少なからず二人の影響を受けているのかもしれない。
別の気持ちっていうのはすごく……すごく気になるけど。
志乃さんの表情や雰囲気からは、ネガティブな印象は感じない。
……どちらかと言えば、ポジティブ寄りな気がする。
嫌われていないってことだけは分かるから……今はそれでいいのかな。
「でも……そっか。志乃さん、あいつのことが好きなんだ」
「はい。いつからは……分かりませんけど」
「それはなんとも……壁が高いというか、なんというか……」
「本当ですよね……いろいろ高そうです」
志乃さんは青葉のことをどれだけ知っているのだろう。
あいつが歩んできた道を。
あいつが抱えるものを。
あいつがわたしたちに向ける感情を。
どれくらい……知っているのだろう。
場合によっては――志乃さんは傷つくことになるかもしれない。
だったらわたしが……話すべき? 聞くべき?
――分からない。
どうすればいいのか、分からない。
「ねぇ、志乃さん」
ん? と首をかしげる志乃さんに問いかける。
「どうして、わたしにそこまで話したの……? 結構大事なことだと思うけど……」
「……そうですね。私もついさっきまで迷っていました。私の気持ちを伝えるべきなのか、どうか」
「さっきって……え、そんなギリギリまで?」
「ギリギリまで、です」
「だったら……なおさらどうして?」
なにか志乃さんのなかできっかけが……?
「先輩の答えですよ」
「え?」
「どう思っていますかって質問に対する……先輩の答えです」
「アレが……?」
わたしはただ、わたしなりに答えただけで……。
志乃さんは嬉しそうに目を細め、こくりと頷いた。
「先輩が――昴さんのことを『見て』くれているからです」
「見て……?」
「あのどうしようもない人と、先輩は全力で向かい合おうとしてくれています。理解ろうとしてくれています」
それはいつか……朝陽君にも言われた言葉で。
「そんな先輩だから……偽らないで正面からぶつかろうって」
「……なるほど」
「私もあの人を理解りたい。本当のあの人と出会いたいって思っています。――好きだから」
好きだから理解りたい。
好きだから出会いたい。
それはまるで――
まるで……。
「私は渚先輩に――ううん、ここから先はまだ言いません。もしもそのときが来たら……お伝えしたいと思います」
「……気になって夜も眠れないんだけど」
「そ、それはちょっと困りますね……」
そのとき、とはなにを指しているのだろう。
志乃さんはわたしのなかのなにを見ているのだろう。
分からないことばかり、だけど。
「……ま、志乃さんなりの事情があるんだろうし。気持ちを話してくれただけで……わたしは満足かな」
志乃さんが青葉を慕っていることはもちろん分かっていた。
あいつのことを兄のように思っているからだと勝手に思っていたけど……。
そっか。
花火大会で志乃さんが追いかけてきた理由も……。
今思えば、そういうことだったのかな。
「先輩」
「あ、はい」
慌てて返事をすると、志乃さんはわたしに向かってぺこりと頭を下げた。
「え、ちょっと――?」
「ありがとうございます。昴さんを『見て』くれて。昴さんと一緒に居てくれて。先輩の存在は……きっと、あの人にとって『良い物』なっていると思います」
「志乃さん……」
大切な人を思い、頭を下げて感謝して。
それは本当に妹のようで。
家族のようで。
けど……全然違う感情が、そこにはあるんだ。
「……そうなの?」
「勘、です! こう見えて私の勘、結構当たるんですよ?」
「なにそれ。初めて聞いたよ?」
顔を見合わせ、ふふっと笑い合う。
今の短い会話だけで、志乃さんが青葉のことをどれだけ想っているのかが伝わってきた。
「好きってことは……さ」
「はい?」
「付き合いたいとか、そういう気持ち……あるの?」
「うーん……そうですね。確実に言えることは――」
頬を赤く染める志乃さんは、恥ずかしいというよりは嬉しそうに見えた。
「この先もずっと一緒にいたいです。一番……近くで」
それは――今日一番の『笑顔』だった。
「一番……」
――よかったじゃん、青葉。
まさか、あんたをここまで想ってくれる女の子がいるなんてね。
それも志乃さんみたいな、とんでもなく良い子に。
……うん。そうだ。
やっぱり――わたしじゃない。
いつかあんたを『変える』としたら。
いつかあんたを『助ける』としたら。
きっと……志乃さんみたいな人が適任だ。
わたしは専門外だし、そういうのは無理。
――『大きな独り言、聞かせてくれてありがとう。あんたをまた一つ理解ることができた』
――『はいよ。満足したか?』
―― 『さぁ。それはどうだろう。とりあえず……うん、これからもよろしくってことで』
そうだ。
わたしたちの距離感は……あれでいい。
……そういえば、この話って朝陽君は知ってるのかな。
青葉の残機が三つくらい減りそうだけど……大丈夫かな。まぁそれはいいか。青葉だし。
「志乃さん」
わたしは志乃さんに向かって、グッと親指を立てた。
「がんばって。応援してる」
偽りのない、わたしの気持ちだ。
志乃さんの言葉なら――あのバカに届くかもしれないから。
「……ありがとうございます」
「うん」
「少なくとも……今は、その応援をありがたく頂戴しますね!」
「うん……?」
ちょっと引っかかったような……うーん、いっか。
「あ、渚先輩。最後に一つだけいいですか?」
「いいよ。なに?」
「あの……変に気を遣わないでくださいね。渚先輩はいつも通りでいてください」
「いつも通り……?」
「私に気を遣って昴さんになにかするとか、逆に昴さんとの接し方を変えるとか……そういうのはちょっと違うと思うので」
あー……ちょうど今そのあたりどうしようかなって考えてた。
なにか協力したほうがいいのかな? みたいな。
「渚先輩は『いつも通り』でお願いします。むしろ、そうじゃないと……意味がないですから」
「意味……?」
「それも秘密ですっ」
「志乃さん秘密多くない……?」
「秘密が多いミステリアス女子のほうが魅力的だぜ! って昴さんが言ってました」
「うわ言ってそう……というか言ってたような……覚えてないや」
よく分からないけど……志乃さんがそういうのなら、あまり余計なことは考えなくていいか。
志乃さんをないがしろにするわけじゃないけど……わたしはやっぱり晴香の恋を優先的に応援してあげたい。
それに……わたしにも成し遂げたいことがあるから。
「なんだか気持ちが軽くなったような気がします」
「……よかった。志乃さんに嫌われてなくて」
「だ、だからそういう気持ちはないですから……! むしろ先輩とは仲良くなりたいですし……!」
「……うわ眩しっ」
「急にですか……!?」
仲良くなりたいとか言われたら、耐性のないわたしは一気に浄化される。
危ない危ない……。
「じゃあ……せっかくだし、話そっか。ただしトーク力は期待しないで」
「ふふ、よろしくお願いします! 先輩っ!」
一人の異性。
志乃さんの想い。
嫉妬。
わたしの感情。
恋。
恋――
恋って……なんだろう。
自分のなかに芽吹く、小さな『ソレ』に気が付くことなどなく。
わたしは志乃さんとの雑談に花を咲かせたのだった。
同時に、わたしは甘く見ていた。
――『え、入ってるわけないだろ?』
あの『青葉昴』という男に特別な感情を向けるというのが……どういうことなのかを。




