第151話 星那椿は意外と冗談好きである
「――正解でございます。志乃様は理解が早いですね」
「どーですか星那さん! ウチの志乃ちゃんなかなかやるでしょう!」
「はい。志乃様はとても優秀ですね」
「でしょー!?」
いやー鼻が高い!
「フフ、先ほどの私みたいだな?」
「恥ずかしい……」
思い切り胸を張り、俺はドヤ顔を見せる。
隣の志乃ちゃんが顔を赤くしているが、そんなこと知ったこっちゃない!
妹が褒められたら、兄としてドヤらないといけないに決まってるでしょ! これ義務教育!
「では、これにて志乃様の宿題は完了でございます。お疲れ様でした」
「おー、星那さんが付いてからあっという間だったね。やったじゃん」
「あ、は、はい……そうですね……!」
宿題が終わって解放! のはずなのに、志乃ちゃんはどこか浮かない様子だった。
ひょっとして実はまだ残っているものがあるとか……?
それともなにかほかに懸念点があるのだろうか?
……。
――志乃ちゃんが嘘をついてまでここに残った理由。
――兄妹の話で志乃ちゃんが感じていたもの。
それらが辿り着く場所が『答え』だとしたら……。
「ご苦労だった、椿。そして志乃もお疲れ様だ」
会長の労いの声が耳に入ったことで、俺はハッと思考の沼から抜け出した。
これ以上は考えてはいけない。
これ以上考える必要はない。
まるで、俺のなかのなにかがそう警告しているような気がして……。
「恐縮です」
「ありがとうございます……」
「お疲れさん、志乃ちゃん」
さて……と。
宿題が終わった以上、志乃ちゃんがここにいる意味はないだろう。
とっとと愛しのお兄ちゃんのところへ行かせてやるとするかね。
「ほんじゃま、司たちのところへ行ってこいよ。遊べるうちに遊んでおかないとな」
頭の後ろで手を組み、ニッと笑顔を浮かべる。
――実際のところ、あまり志乃ちゃんと会長さんを同じ空間にいさせたくない。
会長さん、明らかに含みのある言葉を何度か口にしているし……この場に限って志乃ちゃんはアウェーだ。
俺のフォローにも限界があるから、正直一刻も早く退散してほしいところではある。
「あ……」
志乃ちゃんはなにか言いたげに目を伏せた。
「司たちは海にいるだろう。キミも合流して宿題のストレスを発散してくるといい」
「ついでに月ノ瀬たちが水着だったら写真よろしくぅ!」
「フフ、それは気持ち悪いな」
「いい笑顔で言わないでくれます?」
ニコッと微笑んで『気持ち悪い』と言い放つ会長さんに俺はカッと目を見開く。
なにが気持ち悪いだ! 俺にとっては最重要事項なんだよ!
……あ、月ノ瀬たちって言ったけど司はもちろん入ってないからね? 野郎の水着姿なんて興味ねぇ!
「……昴さんは」
「おん?」
控えめに視線を上げ、志乃ちゃんは俺の名前を呼んだ。
「昴さんはまだかかりそうなんですか?」
かかりそう、というのは宿題のことだろう。
「あー、そうだなぁ……」
本当のことを言えば、真面目にやったらすぐに終わると思う。
残っている部分は簡単で、特に詰まる要素はない。
終わらせることだけに集中すれば、早くて三十分程度で終わる見込みだ。
――真面目にやれば、の話だが。
「まだ結構かかるかも。終わったら俺も合流するから先に行って――」
「本当に来ますか?」
「え」
「昴さん、本当に来ますか?」
控えめな視線は、いつの間にか真っ直ぐなものになっていた。
こちらを見つめる桃色の瞳には、呆けて口を開けている俺が映っている。
本当に来ますか……か。
「おや昴、どうやら疑われているようだぞ?」
俺たちのやり取りを、会長さんは頬杖をついて楽しそうに見ていた。
自分は無関係だからって……!
……とはいえ。
夏祭りのときに志乃ちゃんはあれだけ怒ってたんだ。
こうなるのも無理ない、か。
俺は小さく息を吐いて笑顔を作った。
ひとまずここは――
「もちろん。あ、なんなら終わったら連絡しようか? 終わったぜぇ! って」
「……」
嘘を言っていないかを確かめるように、志乃ちゃんはジッと俺を見つめる。可愛い。
――あ、いいことを考えた。
ただ見られるのもアレだから、ちょっと俺も見つめ返してやろうっと。
俺も真剣な表情で志乃ちゃんを見つめた。
「……っ」
恥ずかしさがこみ上げてきたのか、志乃ちゃんは頬を赤くして俺からふいっと顔を背けた。お可愛い。
「わ、分かりました。それなら連絡待ってますね」
「うむうむ。ぱぱぱ~っと終わらせるわ」
「はいっ。頑張ってくださいね!」
純粋無垢な笑顔というのは……本当に眩しい。
――悪いな、志乃ちゃん。いつも嘘ばかりの先輩で。
志乃ちゃんは立ち上がり、テーブルに置いてある宿題類をまとめ始めた。
「生徒会長さん、星那さんも……ありがとうございました。すごく勉強になりました!」
「私もなにもしていないぞ。椿とキミの力だ」
「それはそうだな」
「――なにか言ったか昴?」
「いえなにも」
だからいい笑顔で圧をかけてくんなっての。怖いわ。
事実を言っただけなのに……。
ニコ、じゃなくてニコォ……なんだよなぁ。
「私はただ少しだけお助けしたに過ぎません。志乃様のお力があってこそ、でございます」
「そ、そんなことないです! ……私一人では、もう少し……時間がかかっていたと思うので」
それについても同意だ。
志乃ちゃん一人だったら、宿題はまだ終わっていなかったかもしれない。
そういう意味では、椿先生のファインプレーだと言える。
一見すれば、ね。
俺が会長さんに目を向けると、ちょうどいいタイミングで目が合った。
……が、言葉を交わすことなく会長さんはただ笑みを浮かべて俺から視線を外す。
「じゃ、じゃあ……私はこれで失礼します。本当にありがとうございました」
ぺこりと頭を下げたあと、志乃ちゃんは二階へと上がって行く。
客室に宿題を置きに行ったのだろう。
部屋で準備を整えたら、またリビングに顔を出してそのまま外に出て行くはずだ。
目的地であろう海は、ここから徒歩五分圏内だからすぐに向かえる。
……あれ。ひょっとして、司たちって別荘から出て行った時点でもう水着だったのかな。
えぇぇぇだとしたら見られるチャンスあったってことじゃん!
あのとき客室でゴロゴロしてたんだよなぁ俺……。無念。超無念。
「にしても星那さん、ホントに教えるの上手だったっすね」
リビングに残されたのは俺たち三人。
志乃ちゃんがまたあとで顔を出すことを考えると……適当な話題のほうがいいな。
うっかり聞かれたら面倒だ。
「そうだろう? 椿は本当に凄いのだ」
「だからなんで会長さんが答えるんですか。俺は星那さんに言ってるんですけど?」
「む。私も星那さんだが?」
「椿さん、に言ってるんです」
「むぅ……私はいつまで経っても『会長さん』のままなのに……」
あら拗ねちゃった。さっきも似たようなことを言ってきたし。
何度も言うけど、この人を名前呼びするのはハードルが高いんだって。
それになんか恐れ多いし。
「まぁいい。よかったな椿、褒められたぞ」
「ありがとうございます」
自分の席へと戻った星那さんは淡々と返事をする。
絶対ありがとうって思ってないぞこれ。
事務的な返答に対し、俺はニヤッと笑った。
「なんなら俺にも教えてくださいよ」
「お断りします」
「拒否はやっ!?」
考える素振りを一切見せない即答スタイル。
そのスピード感に俺が動揺していると、星那さんは感情を感じさせない瞳を俺に向けた。
「理解に困っていたらお助けしますが……昴様はそうではないでしょう」
「……おっ、と」
「理解しているのに進みを大幅に遅らせている。……そんな方に私はなにをすればよいのですか?」
……おーおー、バッチリ見透かされておる。
これはちょっと分が悪いな……話題変えよっと。
「えー、じゃあ勉強がダメなら……そうだなぁ。例えば恋愛相談とか乗ってくださいよ!」
「昴様のお相手に相応しいのは……ヒト科かと」
「待って待って待って。ヒトじゃなくてヒト科?」
「はい」
「それだとオランウータン的なアレも入ってません!?」
はい、じゃないわ! せめて人間にしてほしかったっ!!
俺のツッコミに星那さんは相変わらずのノーリアクション。
そのままノートパソコンへと視線を戻した。
「フ、フフ……! やはりキミたちは相性がいいのかもしれないな……っ。フフフ……!」
一人だけ楽しそうに笑っているヤツに俺はジト目を向けた。
他人事だからってホントこの人は……!
一しきり笑い終えたあと、その人……会長さんは瞳に浮かんだ涙を指先で拭った。
「やれやれ……椿がこんなに冗談を言うのは珍しいな」
「……そうでしょうか」
「ああ。それほどまでに……昴を気に入ったということか?」
「えっ! ドキィ――!」
なんだか知らないうちに年上の無表情巨乳美人に気に入られてたんだが?
……あ、またラノベのタイトルみたいになっちゃった。サブタイトルも付けたほうがいい?
俺はまるで乙女のように『はわわわ』と口元を抑えてリアクションを取っているが、当然の如く無視される。ぐすん。
一方、会長さんは星那さんへと顔を向けると、挑発するかのように不敵な笑みを浮かべた。
「すまないが……椿。昴は私の大事な後輩……かもしれないから、な。うん。いくらキミでも渡すわけにはいかない」
「せめて言い切ってほしかった! かっこよく言い切って欲しかった!」
かもしれないってなんだよ!
そこはかっこよく決めてくれよ!
「だが、どうしてもというのなら考えてやらなくても――」
「遠慮いたします」
「……だ、そうだ昴。遠慮されたぞ」
「遠慮されたぞ、じゃないんですよ! 結果的に俺がただ悲しくなるだけじゃないですか!」
星那さんも返事早すぎるわ! 全部ノータイムこの人!
せっかく、ラブコメ主人公を巡って二人の美人が対立……みたいな流れだったのに!
「それは……すまない」
「申し訳ございません」
「二人して謝るのやめてぇ!? ただただ不憫な気持ちになるだけだから!」
なんなんだこの星那シスターズは。シスターじゃないけど。
怒涛のツッコミの反動により、身体にドッと疲れが押し寄せてきた。
俺はため息をついて「ったく……」と頭をガシガシ掻く。
「おっと……昴、一つ言っておくが」
「なんすもう。冗談は勘弁してくださいよ」
これ以上のツッコミは寿命を削る。
というか俺は本来ボケ要員だから!
このままだとツッコミ担当みたくなるから!
俺はダラーっと脱力モードで話の続きを待った。
会長さんは内緒話するかのように、人差し指を唇に当ててフッと穏やかに笑みをこぼす。
「……椿の冗談が多いというのは事実だ。つまり、キミを気に入っているという話も――」
「沙夜様。作業の手が止まっております」
「おっと……すまない」
「え、ちょ、そんないいところで終わ――」
「昴様も。今は宿題の時間です。それをお忘れなきよう」
「……はいすんませんした」
騒がしい生徒を静かにさせるかのように、星那さんはピシャリと場の雰囲気を締めた。
普段は従者のような感じだが、やっぱり大人のお姉様なんだよなぁ……と実感しました。はい。怖い。
「……」
ふと、会長さんと目が合う。
すると、声に出さず口をパクパクと動かし……俺になにかを伝えたあと小さく笑った。
――『怒られてしまったな』
まったく……。
星那さんの前では、この人もただの年相応の少女なのかもしれないな。
珍しく見られた無邪気な姿にそんなことを思いながら……俺は宿題へと戻っていく。
志乃ちゃんがリビングに降りてきて、そのまま外に出て行ったのは……それから三分後くらいの出来事だった。
× × ×
――十分後。
「沙夜様、コーヒーでも淹れてきます」
「ああ、助かる」
「昴様もコーヒーでよろしいですか?」
「あ、はい。あざっす!」
「では失礼いたします」
星那さんはそう言うと立ち上がり、キッチンのほうへと歩いていく。
そして残ったのは……向かい合うように座る俺と会長さん。
「……さて」
会長さんは図ったように作業の手を止めて、こちらに目を向けた。
「――私に聞きたいことがあるのだろう?」
ピタッと俺の手も止まった。
視線を上げると――
「……フフ」
会長さんは、俺の言葉を楽しみに待つかのように微笑んでした。
……あぁ、そうだな。
やっと本題に入れそうだ。