第145話 星那椿は見事な変化っぷりを見せる
「そして私はようやく理解できました。私の――存在する意味を。私という……意味を」
星那椿は星那沙夜と出会い――そして救われた。
だからこの人は、会長さんを主人のように敬っているのか。
それにしても……。
怪異のように恐れられていた人間に平然と手を差し伸べるなんて……。
星那さんに価値を感じて利用するためなのか。
その境遇に同情したのか。
それともほかに……感じるものがあったのか。
なんにせよ、幼い子供が簡単にやってのける行動とは思えない。
どうして会長さんはそこまで……。
「ふふふ……」
他者から見れば歪んで見えるようなソレも……きっと星那椿という存在にとっては、生きる意味そのものなのだろう。
意味を与えてくれた。
意義を与えてくれた。
散らばっていた『星那椿』を拾い上げてくれた。
恐ろしいと言われるかもしれない。
不可解だと言われるかもしれない。
だけど俺には……なんとなく。
本当になんとなく……理解できてしまったのだ。
『光』を見出す――その感覚を。
無表情ながらも嬉しそうに笑う星那さんは、少し経ったあと「……失礼しました」と口を閉じた。
「少々話し過ぎましたね。私の話は以上になります」
会釈して、話を切り上げる。
「なんで……そこまで話してくれたんですか」
「先ほど申し上げた通りです。私への理解が、沙夜様への理解に繋がることを願ったまで…です」
「理解……ね」
意味を見失った者。
それに手を差し伸べた者。
彷徨う者。
それらを導く者。
まるでどこかの誰かのようで――他人事とは思えなかった。
現実味の無い話だと――言い切れなかった。
「じゃあアレですか? 母さんじゃなくて、別の人の模倣もできるってことですよね?」
「ええ。それが特技であり……仕事の一つでございますから」
仕事の一つ。
いったいどのような形で活かされているのかは……考えない方がいいのかもしれない。
だって怖いもん。怖いじゃん!
「それこそ――」
そう言うと、星那さんは目を閉じた。
一秒。
二秒。
そして――次に目を開けたとき。
『彼女』の雰囲気が――ガラッと変わっていた。
「フフ、どうした? 幽霊でも見たような顔をして」
右手を腰に当て、背筋をピシっと伸ばして。
歪んだ金の輝きを瞳に宿して。
表情には自信が満ちていて。
知的で穏やかながらも、どこかミステリアスに包まれたその姿は――
まさに『星那沙夜』そのものだった。
「いやあの……擬態レベル高すぎません?」
「そんなに褒められても……床枕くらいしか出せないぞ?」
「それは枕って言わねぇ!」
「フフ、冗談だ。段ボールくらいは用意しよう」
「床には変わりない!」
ただ口調だけを真似ているわけではない。
その程度は誰にだってできるのだから。
身に纏う雰囲気。
声音。
表情。
目の動き。
仕草。
呼吸の仕方。
そのすべてが――俺の知っている会長さんなのだ。
あの人が鏡から抜け出してきたかのような光景に、俺はただ呆れることしかできなかった。
元々この人たちは顔も似ている。
身長やスタイルも近い。
だから尚更……会長さんらしさが凄まじかった。
髪を切った星那沙夜――と言われれば、そのまま信じかねないほどに。
それこそ、会長さんのふりをしてなにかに参加したり、代わりに対応したりしても……バレないんじゃないか?
混乱しそうになる感情を抑えて、俺は一度床に視線を落とす。
小さく息を吐いて……気持ちを落ち着かせた。
再び顔を上げると。
「おろ? お兄さんお兄さん! 疲れた顔してますね! なにか嫌なことでもあったんですかー?」
――『別の人物』が、そこに立っていた。
楽しそうにニコニコと笑い、お気楽オーラを漂わせ……首をかしげている。
重なる……母親の姿。
「うわー……」
「ちょっとちょっと! なんか引いてません!? お姉さんショック!」
声も違うし、顔も違うけど……。
やっぱり似てんだよなぁ……。
見事なまでの変化っぷりに、俺はガシガシと頭を掻いた。
真剣に付き合っていたら頭おかしくなるぞこれ。
「どの程度の人間まで、そんな完成度で模倣できるんですか?」
「んー、もちろんそれなりに理解はしないとダメですね~! 人柄とか! 好きな食べ物とか! あとあと、趣味とか! そういったものを理解すればするほど近づけられますっ!」
「はぇー……じゃあ一日二日話したくらいじゃ……難しい?」
「いや? できないことはないですよ?」
「マジかよやば……」
「ふっふっふ、お兄さんに褒められちゃったぜ~!」
俺が話している相手はずっと同じ人間なのに、一人一人別人と話しているかのような感覚だ。
ここまで来ると……一周回って楽しくなってくる。
「演劇とかめっちゃ向いてそうですけどね、星那さん。超一流の役者になれそう」
「……演劇ですか。経験はありませんね」
「ちょっと急に素に戻るのやめてください。温度差で風邪引きます」
気が付けば、星那さんはすっかり無表情に戻り、瞳に宿っていた光も消えていた。
温度差えぐいてぇ……。
「失礼しました。これ以上は不要だと判断させていただきました」
本当にすげぇ能力だ……。
会長さんも感覚でなんでもこなす天才タイプだし、ひょっとして星那家ってそういう人間の集まり……?
星那さんがたまたま尖り過ぎた能力を持っていただけであって、みんなやべえ能力持ってるとかある?
――あれ、俺現実の話してるよね?
急に異能力もののラノベみたいな話になってきたんだけど?
だって、ほら……この人たちが手から炎とか出し始めても驚かない自信あるぞ俺。
あ、まぁ……この人だしね。みたいな。
そんな感じで受け入れちゃうかもしれない。
「……私を恐ろしく思うのは想定の範囲内でございます。そういった感情を向けられるのは慣れておりますから」
慣れている。
平然とそう言ってしまえるほど、周囲からそのような目を向けられていたのだろう。
それが星那さんにとって当たり前だったのだから。
「や、まぁ……怖いっすよ。なに考えてるのか分からないですもん」
星那さんの表情に変化はない。
ただ俺の話を黙って聞いていた。
「でも、それ以上に面白いって思いました」
「面白い……?」
「だってほら、怪盗みたいじゃないですか? 時には美術館の館員として、時には捜査員の一人として……様々な仮面を使いこなす! みたいな」
この人は自分の能力を特技と言っていたし、現に仕事としても活用しているのだ。
それはもう星那椿にとって一種の武器であり、一つの個性なのだろう。
『自分』の形なんて人それぞれだ。
俺は俺。
アイツはアイツ。
自分とはいったいなんなんだ? ――という質問に、パーフェクトな回答ができる人間なんていないと思う。
だとすれば……。
星那椿という人間の姿もまた。
立派な『自分』だって言えるのでは?
――知らんけど。うん。
とはいえ結局のところ、怖いことに違いはない。
今こうしている瞬間も、俺はこの人を警戒している。
迂闊なことを言えば……そのまま引きずり込まれていきそうだから。
それでも、そういった細かい部分を抜きにして……ただ星那椿という一人の人間に注目したとき。
面白い人だな、と思った。
それ以上の興味関心は全然ないけど。
俺はこの人たちのやろうとしていることが気掛かりであって、個人に興味はない。
どんな辛い道を歩んでいようが。
強い信念があろうが。
俺の障害にならなければどうでもいい……と言いたいが、きっとそう上手くはいかないんだろうなぁ……。
――でもマジで怖いけどね。怖い怖い。もっかい言っとくわ。
「……なるほど。昴様らしい答えですね」
……ん?
気のせいかもしれないが、星那さんの雰囲気が……僅かに柔らかくなった気がした。
気がしただけで、ぱっと見まったく変わってないけど。
うーむ……やっぱり気のせいかもしれない。
「では私は怪盗として、昴様のハートというお宝を狙えばいいと」
「おぉ! 予告状をお待ちしております!!!」
「……申し訳ございません。流石に未成年の方は恋愛対象として……ちょっと」
「なんでまたフラれた? そっちから振ってきたのに?」
星那さんの無表情ジョーク分かりづれぇ……。
「フラれた、と振った……を掛けたわけですね。これが昴様の仰る崇高なギャグ…で、ございますか。非常に勉強になります」
「恥ずかしいからやめてくださる!?」
ここから逃げ出したくなってきたんだが?
別にそんなつもりなかったのにギャグっぽくなって……しかもそれを淡々と解説されるってなに? 一種の公開処刑かな?
この人、意外と冗談言うんだよな……。
冗談なのか本当なのかの判断があまりにも高難易度過ぎるけど。
「……。面白い……ですか」
ポツリと呟き、星那さんは視線を落とす。
「あの方と同じことを……」
同じこと……?
怪訝に思い、眉をひそめるも……それ以上星那さんは深く語ることはなかった。
同じってどういう意味だ……?
「昴様」
「あ、はい」
急に名前を呼ばれたことで、思わず背筋が伸びる。
「貴方様は……私のようになるべきではありません」
「え……?」
「貴方様の心の奥底で……揺らいでいる小さな炎。自己という名の……微かな灯」
星那さんは俺の胸元に視線を向けた。
炎。灯。
いきなりなんの話をしだしたんだ……?
「それを決して……消さぬように」
「あの、なにを言ってるのか分からないっていうか……え……? なんなんですか……? それに星那さんのようにって……」
「まだ引き返せます。貴方様を照らす光を……見失ってはなりません」
「いやあの、星那さん?」
「以上、年長者からの助言でございました。では作業に戻りましょう」
一方的に話し終えると、星那さんは俺に背を向けた。
私のように?
消さぬように?
見失ってはならない?
ったく……なんなんだよ。なにが言いたいんだよ。
中身が見えない言葉の羅列に、舌打ちしそうになるが……寸でのところで堪える。
なぜ星那さんが俺に自分のことを話したのか。
なぜ最後に助言を残したのか。
俺にはなに一つ――分からなかった。
多分、俺は。
分かろうとすら――していなかったんだ。