第143話 青葉昴は聞きたいことがある
「いやもう……キッチンというか厨房やん……ちょっとした飲食店開けますやん……」
掃除のため、一階のリビングから続くキッチンへと足を踏み入れた俺は……驚きを通り越して呆れていた。
視界に広がるのは……五、六人いても余裕で動ける広さのスペースに、業務用の冷蔵庫や、本格的な調理器具たち。
なんというか……うん。
あれここお店だったっけ? と思ってしまうほどガチのキッチンだった。
この空間だけでも俺の部屋よりずっと広いし……一室くらい分けてくれないかな。ダメかな。
「では昴様、早速掃除をしていきましょうか」
ガスや水道周りのチェックをしながら、星那さんが淡々と言った。
「ほいー。たしかに器具とかに汚れ溜まってますね」
「しばらく放置されていましたからね。では、器具や食器類をお願いしても?」
「おけーっす! なんか適当にやっておきます!」
「承知いたしました。なにかあればいつでもお声がけください」
そう言うと、星那さんは俺に背を向けた。
さーてさて……。
のんびりやっていくとしますかね。
× × ×
「……」
「……」
掃除を始めて、十分ほどが経っただろうか。
俺と星那さんは一度も会話をすることなく、黙々と作業に励んでいた。
響くのは蛇口から水が出る音や、お皿のカチャカチャとした音のみ。
あまりにも会話がないため、途中鼻歌や独り言で場を盛り上げようとしたのだが……反応はまったくなかった。
星那さんのタイプ的に、こちらから話しかけようとしない限り、ずっと口を閉じてるだろうからなぁ……。
静かなのは嫌いじゃないけど……流石に気まずくなってくる。
これは……仕方がない。そろそろ質問をするとしよう。
無駄話は無しだ。
「母さんから聞きましたよ」
一通り洗った食器類を布巾で拭きながら、俺は口を開いた。
背後にいる星那さんがどんな反応をしているのかは分からないが、それでも話を進める。
「会長さんの親御さんって、母さんの会社の社長だったんですね」
「はい、そうですよ」
間を置くことなく、すぐに返事が来る。
変に誤魔化したり、引き延ばしたりしないのは好感が持てる。
おかげで話がスムーズに進むからな。
「会長さんやあなたとも話す仲だーって言ってました」
「ええ、お母様……花様の仰る通りです」
当然、名前も把握済み……か。
星那さんは俺の言葉に相槌を打つだけで、それ以上話を広げようとはしてこない。
どこまで踏み込んでいいのか判断はできないが……変に躊躇ったところで話は進まないだろう。
答えてくれる限り、俺も質問を続けるとしよう。
「俺が体調を崩した日、家まで送ってくれましたよね」
「はい」
「あのとき、会長さんが自分ではなく渚に家まで付き添わせたのは……どうしてですか?」
あの時点でもう、会長さんは母さんと何度も面識があったはずだ。
それなのに……自分は車から降りようとしなかった。
知り合いであるならば、一言二言くらい挨拶をしてもいいだろうに……。
もちろん、絶対にそうしないといけない理由はないけど……。
会社の外でわざわざ話すこともない、と判断したのかもしれないし。
だけど。
気になったことがあるのだ。
「――俺に知られたくなかった……とか?」
「……なぜ、そのように?」
「さぁ? なんとなく思っただけなので。なんか都合の悪いことでもあったのかなーって」
「私は沙夜様ではございません。質問にはお答えできかねます」
「まぁそうっすよね。さーせん」
別にこの話自体、さほど重要ではない。
あのときは知らなかっただけで、母さんとこの人たちの関係性は理解できている。
俺に知られるとマズいこと……か。
自分で言ったものの、正直なにも思いつかない。
――次だ。
「じゃあ、星那さん自身に関連することなら答えてくれますか?」
「お答えできる範囲であれば」
「うす。これは全然、雑談的なノリなんですけどー」
手に持っていた食器と布巾を台の上に置いて、後ろを振り向く。
俺の視線に気が付いたのか、作業をしていた星那さんもこちらへと身体を向ける。
感情を感じないくすんだ瞳には……飄々と笑う俺の姿が映っていた。
「いやー、この間ゲーセンで会ったじゃないですか?」
「そうですね。驚きました」
というわりには、表情は一切変わらない。
驚きました……か。
それは本当なんですかねぇ……。
「で、あのときの『お姉さんモード』が妙に似ていたんですよねぇ」
「……似ていた、とは」
「母さんに、ですよ」
「……」
未だに表情は変わらない。
「会長さんとあなたは、母さんと関わりがある。そんでもって……星那さんのお仕事はなんて言ってましたっけ?」
「潜入、侵入、観察、監視、模倣、護衛……他にも色々ありますが、と」
「ですよね」
ゲーセンで話したときと、一言一句すべて同じことを星那さんは言った。
改めて聞いても、現実味が無さすぎる単語ばかりだが……。
この人たちを目の前にしていると、そういったものもしっかり現実なのだと思い知らされる。
「模倣」
星那さんの眉がピクリと動いた……気がした。
数多くの『お仕事』の中で、俺が最も気になったこと。
それが――模倣。
模倣とは即ち、他人の動作や言動を真似ること。
俺の考えが正しければ――
『彼女』は――
「青葉花ですか? 『お姉さん』の基になったものは」
「……」
「本当に母さんと話しているような感覚でしたよ。言葉遣いも、雰囲気も、表情も」
自身に関係する会社に勤める青葉花という人間。
彼女と話し、彼女と関わり……そこで手に入れて、完成したもの。
それこそが――あの『お姉さん』の姿なのではないだろうか?
なぜその姿で、スタッフとして振る舞っていたのかも。
なぜその姿で、俺と接しようとしたのかも。
結局は分からんけど。
『お姉さん』であることに――意味があったのか?
「……」
星那さんは返事をすることなく、ただ俺をじっと見つめる。
会長さんの目が『恐怖』ならば。
この人の目は……『不安』。
まるで得体のしれないナニカからずっと見られているような……不安。
感情を感じさせない瞳の奥には、なにが映っているのだろうか。
この人は……なにを思っているのだろうか。
「――ふふ」
笑った……声。
その主は、間違いなく目の前に立つ星那さんなのだが……。
声がしただけで、表情はまったく笑っていなかった。
「流石は息子様。よくお気付きで」
俺を見つめたまま、星那さんは言った。
「否定しないってことは……そうなんですね」
「正解でございます。完成度はいかがでしたでしょうか」
頷く星那さんに、俺はため息をついた。
「そりゃもうとんでもなかったっすよ。あんなのが二人いたら、堪ったもんじゃないですって」
母さんと『お姉さん』。
仮にあの二人と対面したときのことを考えてみろ?
――『お兄さんお兄さん!』
――『ねね、息子くん~!』
うん。地獄。
「なんつーか。あれって模倣の度を越えてるっていうか……」
俺は目を細めて、星那さんに言い放つ。
「人格――ですよね、もはや」
いくら上手に模倣できたとしても、隠しきれない『自分』が……どこかに存在しているはずなのだ。
息遣い。
一瞬の表情。
細かい動作。
微々たる部分で……どうしても自分が出てきてしまう瞬間は絶対にあるはずなのだ。
でもこの人からは……『星那椿』という存在を一切感じなかった。
まるで……別人が乗り移ったかのように。
それはもう――模倣と呼べるものではない。
本物。
それはつまり――一つの人格。
「『お姉さん』の中に……あなたという人間を感じなかったんですよ」
星那沙夜といい、椿といい……。
あまりにも未知数が過ぎる。
だから俺は、あんたたちを知っておかないといけない。
なにか取り返しがつかないことになる前に。
障害になりうる前に。
「……なるほど」
「失礼な言い方をしてすみません。どうしても気になっ――」
「おかしなことを言いますね、昴様は」
「おかしい……?」
遮るように言われた言葉に、俺は首をかしげる。
なにかおかしなことを言っただろうか?
「はい。昴様は今『あなたという人間』……と仰いましたが」
――俺は知らない。
星那椿という人間がどのような人物なのかを。
――俺は知らない。
星那椿という人間が何者なのかを。
知らないことばかりだ。
他人事のように……星那さんは『その事実』を淡々と俺に告げた。
「もとより、私のなかに『私』という明確な人間は……存在しないのです」