第139話 夏休みに海というのはなかなかリア充である
夢を見た。
幼い頃の夢を。
ずっと忘れていた……たった数分の出来事を。
ずっと忘れていた……名も知らぬ彼女の夢を。
――『ね、ねぇ……! あなたは誰なの……?』
――『あ? なんでオマエに言わないといけねーんだようぜーな』
彼女のことでたった一つ、覚えていることは。
風が吹けば飛んでいってしまいそうなほど……弱そうな姿。
小柄で、声も小さくて、おどおどしていて。
嫌いなタイプの人間だった。
――『あ、あなたって……! いつもそうなの……?』
――『うるせーな。今ゲームしてんだから話しかけんなよ』
――『じゃ、じゃあいっこ! いっこだけ……お、教えて……くれる?』
ゲームに夢中だったから、まともにその子と顔を合わせていなくて。
その子が知りたかったこと。
それは。
――『どうすればあなたみたいに……堂々とできるの?』
クソガキがなんて答えたのかは覚えていない。
そして。
それ以降、彼女がどうなったのかも――俺は知らない。
知らなかった。
興味も、なかった。
× × ×
「なんか、みんなでこうやって車乗るの楽しいですねー! 遠足みたいで!」
「分かる! 分かるよ日向ちゃん! 私も楽しくなってきた!」
「ちょっと日向? それに晴香も……テンションが上がるのはいいけど、うっかり車から飛び出すのはやめてよね?」
「あたしをなんだと思ってるんですか!?」
「私そんな破天荒じゃないよ!?」
待ちに待った、お出かけの日。
現在星那椿さんの運転のもと、合計九人を乗せた高級そうな青のワゴン車が高速道路を走っていた。
車の内装としては前部から二人、二人、二人、そして後部に三人といったシート構成になっており、各々適当な場所に座っていた。
いや、厳密には適当な場所ではなく……会長主導のもとで座らされたのだが。
まず当たり前だが運転席に星那さん、助手席には俺。
俺の後ろには志乃ちゃん、その隣に渚。
その後ろには月ノ瀬、蓮見。
最後部に会長さん、日向、司……というように座っている。
どういった意図があって、このような席順にしたのかは分からないが……。
俺なんてアレだぞ?
――『キミは……助手席でいいだろう。以上だ』
これだけ終わったからね?
まぁいいけどさ!!
司くんだけ女子に囲まれて羨ましいとか全然思ってないんだから!
……。
会長さんが一番後ろなのは当然として。
日向が隣に居てくれてるのは……安心かもしれないな。
なんて考えている一方で。
「そういえば渚先輩、クラスの女の子たちがハマっているゲーム? があるみたいなんですけど」
「え、なんだろう気になる」
「えっと、今画像を調べてお見せしますね――」
とか。
「ねね、玲ちゃんは休み中なにしてたの?」
「うーん、特にこれといったことはしてないわよ? 勉強したり、遊んだり、漫画読んだり……晴香は?」
「私はねー―─」
とかとか。
「そういえば司、学校の近くにオシャレなカフェが開店したのは知っているか? 今度一緒に行くとしよう」
「お、いいですよ。オシャレって聞くとちょっと緊張してきますけど……」
「フフ、問題ない。私がエスコートしようじゃないか」
「だーっ! あたしを挟んでイチャイチャしないでください! あたしも混ぜてくださいよ~!」
とかとかとか。
それぞれのペア、あるいはトリオで思い思いの話をしていた。
志乃ちゃんと渚は随分打ち解けたなぁ。
月ノ瀬と蓮見は相変わらず華になるなぁ。
日向は相変わらず不憫可愛いなぁ。
会長さんが二人で行きたがってるなんて気付いていないんだろうなぁ。
などなど、後ろから聞こえてくる女子たちとおまけに男一人のキラキラした会話に耳を傾けていた。
う~ん、いいねぇ……青春だねぇ。
――で、俺はというと。
「……」
チラッと隣を見てみると、無表情で車の運転をしている美人が一人。
スーツをビシッと着用し、髪は後頭部でお団子。
身体を纏うクールな雰囲気に、輝きが薄い金色の瞳。
俺が知っている……星那椿さんの姿だった。
八月ももうすぐ終わりとはいえ、まだまだ暑いのに……。
よくスーツ姿で涼しい顔をしていられるなぁこの人……。
「なにか?」
俺の視線に気が付いたのか、星那さんが前を見たまま淡々と反応をした。
ふと頭に過ぎるのは、先日遭遇したアステイルの『お姉さん』。
まるで、俺の母親である青葉花をそのまま模倣したような言動をとる女性。
やっぱり……この格差には慣れそうにない。
「あーいえ、今日も星那さんは美人だなぁと。隣に座っていてドキドキですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
まったく感情の籠っていない『ありがとうございます』だった。
渚がよく口にするような棒読みではなく、本当に感情を一切感じない声音だった。
こういうタイプは苦手なんだよなぁ……話が続かないから。
お姉さんモードのときはあんなに話が弾んだのに……。
「私も」
おっと?
「私も昴様のようなかっこいい男性が助手席にいて、非常にドキドキでございます」
「……何割くらいホントですかそれ」
「零割かと」
ふんふん。
零割ね……。
零割零割……。
「――ってただの嘘じゃん!」
「一般的に言えば……嘘になりますね」
「一般的に言わなくても嘘ですからそれ!」
「なるほど。勉強になります」
「どういたしまして!?」
うん、話弾んじゃったわ。弾んだと言っていいのか知らんけど。
やっぱりこの人からは、しっかり会長さんと同じ血を感じる。
ノリがちょっとあの人っぽいもん。
だけど、表情と声音が一切変化しないから余計にタチが悪い。
「ふむ……昴」
後ろのほうから会長さんの声が聞こえてきた。
「椿が美人なのは全面的に同意だが、ナンパするのはいささか手が早すぎるのではないか?」
冗談めいたその言葉で、車内の視線が一斉にこちらに向いた。
うん、なんかグサグサ刺さってる。
痛い痛い。
主に女性陣からの視線が痛い。
「仮に椿を恋人にしたい場合は、私とじっくり話し合うところから始まるぞ」
「ちょっと会長さん? 勝手に話進めないでくれますかね?」
「む? それは椿に魅力が無いと言っているのか?」
「どうなのですか昴様」
「いやそんなわけな――って星那さんも乗ってきてるのおかしいですよね? 車だけに、乗って――って! なんちて! ガハハ!」
シーン――
あー寒い。車の冷房ってこんなに強かったっけ。
もしかしてこの数分の間に秋が来た?
季節の変わり目だから体調には気をつけようね。昴お兄さんとの約束だぞ。
「フフ――!」
しかし、笑い声。
「フフ……! 車だけに……! 乗っ……!! フフフ……!」
ワンテンポ遅れて、約一名だけが大爆笑していた。
あぶねぇあぶねぇ……。
そうだよな。
会長さんは笑ってくれるよな。
正直めっちゃ心配だったけど。
「ハハッ……! 相変わらず昴はセンスがあるなぁ……! フフフ……!」
俺が後ろを向いて確認すると……それはもうお腹を抱えて楽しそうに笑っていた。
――よしっ!
思わずガッツポーズ。
会長さんがいる限り俺はスベることはない! 勝利確定!
「さ、沙夜先輩……? 急にどうしたんですか? 昴先輩のしょうもないギャグをそんなに笑ってる人初めて見ましたけど……!?」
「おいコラ」
初めてってなんだ。しょうもないってなんだ。
もっと笑ってるヤツいっぱいいるでしょ!
……え、いるよね?
……あれ、いたっけ?
「あー……えっとね」
事情を知っている人間はともかく、知らない人間……月ノ瀬たちからすれば『なんでこの人こんな爆笑してるの?』という疑問状態だろう。
見かねた司が気まずそうに笑みをこぼし、口を開いた。
「星那先輩って、こういう……まぁ、くだらなければくだらないギャグほど……よく笑うんだよね」
「くだらないってなんだコラ。崇高なギャグだろ」
失礼な!
「崇高……?」
「志乃ちゃん首かしげないで。可愛いけどそこで首かしげないで!」
俺の崇高なるツッコミに対し、すぐ後ろに座る志乃ちゃんがこてんと首をかしげていた。
可愛い。志乃ちゃんは言動がいちいち可愛い。へへへ。
「つまり星那先輩は、笑いのツボが浅いってことかしら?」
「そうだね。そういう認識でいいよ」
「フフ……! 車だけに……っ!」
どうやら完全にツボに入ってしまったようだ。
相変わらず笑いのレベルが赤ちゃんだなぁこの人……。
ベビー沙夜ちゃん爆誕。
「ま、まだ言ってる…よ、よかったね青葉くん!」
「おめ(笑)」
「思ってねぇだろ!」
蓮見は気を遣ったように笑い、渚は薄ら笑い。
俺が言い返すと両者はスッと目を逸らした。
「おめでとう昴。なんだか俺嬉しいよ」
「お前は黙っとれ!」
揃いも揃って馬鹿にしやがって……!
まったく!
俺の崇高で高等で上級なギャグを理解できないなんて……まだまだだな。
うん。俺は面白い。俺は面白い。
面白いよね!?
現実逃避のために、俺は勢いよく前へと向き直った。
「ちょっと話は変わるんですけど……星那さん……あー、椿さんって呼んだほうがいいですか?」
司が星那さんへと声をかけていた。
どうしたのだろう。
「ご自由にお呼びください」
「では星那さんと」
「待て司、私も星那さんなのだが? その流れだと私を沙夜さんと呼ぶべきではないのか?」
あ、復活してる。
「先輩は星那先輩ですから」
「むぅ……いつぞやも似たようなことを言われた気がするぞ……」
似たようなこと言った気がするなぁ。
「それで……ちょっと思ったことがあったんですけど」
「なんでしょうか」
「どうして私は名前じゃないのだ……」と不満そうに呟く会長さんを放っておいたまま、司は話を続ける。
拗ねてる会長さんちょっと可愛いな。怖いけど。
「――星那さんって、昴とすでに知り合いだったんですか?」
……あー。
面倒な質問しやがったなぁコイツ。
「あっ、それあたしも思いました!」
「あーうん。たしかに青葉くんと椿さん、すでにちょっと仲が良いっていうか……初対面には見えないかも?」
「言われてみればそうね……」
椿さんと面識があるのは事実だし、それは俺だけではない。
右後ろに座る渚の様子を見てみると、なにも言わず視線を下に向けていた。
大方、どのような反応をすればいいのか困っているのだろう。
ここで急に『わたしも面識あります~』と言いだしたら、いらん誤解を生みそうだし……。
――どうしたものか。
司たちのデートを尾行してたら~とか言えるわけないしなぁ。
ここは適当な嘘で流すか?
それとも完全に星那さんに任せるか?
偏見だけど、こういう対応めっちゃ得意そうだし。
星那さんの横顔は……眉一つ動かない。
「わ、私も……!」
その声とともに、俺が座るシートの背もたれに華奢な手が乗った。
視界の端に映るその手は……考えるまでもなく、後ろに座る志乃ちゃんのもので。
「私もずっと気になってました……!」
少し身を乗り出すようにしながら、志乃ちゃんも会話に加わった。
「はぇ、志乃ちゃんも気になるの?」
「それは……も、もちろんです」
「えーなに? 嫉妬? 志乃ちゃん嫉妬しちゃったの? かわうぃねぇ!」
「し、嫉妬って……! も、もう……! そうやってすぐからかわないでくださいっ!」
俺がニヤニヤしながら聞くと、志乃ちゃんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
つまり可愛い。
「――おい昴」
「なんでもないですお兄さん」
猛烈な寒気がして俺はピシッと背筋を伸ばす。
まぁ……でも。そりゃ気になるか……。
それなりに付き合いの長いヤツが、知らない美人と知り合いになっているのかもしれないのだから。
それにしても……うーむ。
志乃ちゃんの清純派ワンピース姿可愛いなぁ……へへへ。
女子たちの私服姿に、昴くんは眼福です。
ちなみに、先日トンデモチェンジをしてきたるいるいは……いつも通りモサモサ陰キャ眼鏡スタイルで安心しました。
――っと、服は置いておいて。司の質問への答えか。
……やっぱりここは俺が答えるとしよう。
星那さんを信用するより、俺が適当に返答したほうが確実だ。
俺が口を開いた、そのとき。
「――ああ」
その声は隣ではなく……後ろからだった。
「彼と椿はすでに知り合いだ」
おいそっちが答えんのかよ――!
俺のシートに乗せている手に、ギュッと力が入ったような……気がした。
とはいえ、知り合いだと知られるくらいは問題ない。
伝え方さえ……間違われなければ。
「もっとも、椿と知り合いなのは……この中で昴だけではないが」
「え、そうなんですか?」
「え……?」
朝陽兄妹の『え?』が重なる。
俺は思わず後ろを見て、会長さんへと顔を向ける。
――目が合う。
そして。
「フ……」
会長さんは……意味深に笑っていた。
明らかに、俺を見て……笑っていたのだ。
まるで俺を挑発するかのようなその表情に……眉がピクリと反応する。
「そうだろう?」
会長さんは俺から視線を外すと、前方に座る……一人の少女へと向けた。
「――留衣」
嘘は言っていない。
百パーセントの事実で、否定しようがない。
しかし――何故だろうか。
妙な胸騒ぎがする。
今回のお出掛けが……ワイワイと楽しいものになるとは――思えなかった。




