第138.5話 星那椿は報告する
──マンションの一室、リビングにて。
「紗夜様、服を脱ぎ散らかさないようにと何度言ったら分かるのですか?」
「む? おぉ、すまない。次から気をつけよう」
「次から……ですか。これに限らず、そう仰って直ったことは一度もありませんが?」
「フフ、それもまたご愛嬌というやつだ」
「まったく……それは自分で言う言葉ではありません」
室内に散乱している洋服類を拾いながら言いますが、肝心の紗夜様の反応は薄い。
私に視線を向けることはなく、紗夜様はソファーに座りながらノートパソコンを広げていました。
なにやら作業をしているようですが……角度の都合で画面は見えません。
会社関係か、別のことなのか……どうなのでしょう。
私は沙夜様の姿を見て、やれやれと首を振る。
肩紐が垂れ下がった薄手のタンクトップ一枚に、シワになったズボン。
日常生活では絶対に下ろしている長い髪を、頭の後ろで雑に結っていて……。
率直に言ってしまえば――限りなくだらしない。
普段はあんなにもキッチリした方なのにもかかわらず、目の前に映る彼女はその欠片もありません。
服は脱いだらそのまま放り投げて。
お風呂から上がっても髪はちゃんと乾かさない。
私が作らなければ、食事すら適当に済ませようとする。
プライベートでは本当に手間のかかる人。
それが、私が仕える星那沙夜という少女なのです。
「昨日片付けたばかりなのに、また散らかして……」
「そうか?」
「そうです」
『仕事』から帰って来て、まず真っ先にやることが掃除とは……。
何年もずっとこの様ですし、今更変わるとは思っていません。
しかし、少しくらいは女性としての恥じらいを持ってほしいものです。
――そういうところが、この方の魅力なのかもしれませんが。
さて……掃除、の前に。
必要なことを思い出したので、そちらを先に済ませましょう。
「沙夜様」
「どうした? 夕飯はしょっぱいものが食べたいぞ」
「かしこまりました」
リクエストなんて珍しい。
「いえ、そうではなく――本日の仕事についてご報告が」
「む……」
拾い上げた洋服類を持ったまま話しかけると、沙夜様はタイピングの手を止めました。
私の話を聞く気になったのでしょう。
その瞳が、ようやくノートパソコンからこちらへと向きます。
あぁ……今日も沙夜様の『赤』は美しい……。
思わず吸い込まれてしまいそうです。ふふ……。
――こほん。失礼しました。
「聞こうか」
「では夕飯の準備もあるので手短に。まずアステイルにて……青葉昴様、渚留衣様への接触に成功しました」
「ほう……」
「ちなみに以前見た留衣様とは違い、まるで別人かと思うほど大変素敵な格好をされていました」
「フフ、それはぜひ見てみたいものだな」
私が本日、アステイルでスタッフとして働いていたのは……とある仕事――
ゲーム大会に合わせて訪れるであろう、青葉昴と渚留衣に接触するためだった。
もちろんそれは――沙夜様のご指示。
本当に受付に来たときは少しばかり驚きましたが……同時に彼らを見て思ったことがありました。
「二人の雰囲気はどうだった?」
ちょうど……それについての質問で。
「微々たるものではありますが……変化を感じました」
「……そうか」
私が『星那椿』として二人と接したのは……ショッピングセンターでのあの日だけ。
まだあまり日は経っていませんが、彼らの間にある空気が……少しだけ変化しているような気がしたのです。
それが良いことなのか。
あるいは悪いことなのかは私には判断できませんが。
そもそも……私が考える部分でもありません。
「主に昴様と多くお話をさせていただいたのですが……一つだけアクシデントが」
「アクシデント……?」
「事故により、スタッフの正体が私だということがバレてしまいました。申し訳ございません」
あれは完全に私のミスでした。
最後まで正体不明の『お姉さん』として、昴様を困惑させようかと思っていたのですが……失敗。
最も、彼は私を怪しんでいる節がありましたし……バレても、バレていなくても……あまり変わらなかったかもしれません。
「なに問題ない。どちらでも結局は同じことだ。それに、昴なら遅かれ早かれ気付いていただろう」
どうやら同じ考えのようです。
……嬉しい。ふふふ。
「昴はいつも通りだったか?」
「はい。それはもう……しっかりと」
――『じゃーお友達ってことですね! それもそれで素敵です〜!』
――『違いますけど』
あんなことを即答してしまえるなんて……。
彼の中で自分以外の存在はどのように映っているのでしょう。
「……ですが」
「なんだ?」
「彼の中に……捨てきれていない『なにか』が見えたような気がしました」
「なにかとは?」
「相応しい言葉が見つからないので……『自己』とでも言いましょうか」
なんて空虚な目をしているのでしょう――
彼に抱いた第一印象でした。
自分が求める『先』だけを見据えた瞳。
それは、私が愛する……『あの瞳』と似ているもの。
「フフ、自己……か」
沙夜様は笑みをこぼすと……私を見る目をスッと細めました。
他者の内側を覗き込む瞳――
あぁ……いつ見てもドキドキしてきます。ふふ。
「椿だからこそ、出てくる言葉なのかもしれないな」
なにも言葉を返さず……会釈だけ。
「最後になりますが」
私が今日、彼と話して……感じたこと。
「彼はまだ成りきれていません」
青葉昴という人間については、沙夜様からある程度聞かされています。
実際に言葉を交わした数はとても少ないとはいえ……。
彼に関する情報は、御友人の方々より知っているかもしれません。
そのうえで、やはり彼はまだ――
「なら――壊せるな」
自信と信念を宿した言葉。
それは――沙夜様の目的。
それは――沙夜様の、願い。
「沙夜様次第かと」
「フッ、それはそうだな。そのための『海』だ」
「海……」
夏休みの終わり頃に予定している、星那家別荘への旅行。
そこに沙夜様は彼らも招待していました。
きっと好意だけではない。なにかお考えがあっての行動のはず。
「本来であればもう少し時間をかけたかったのだが……そうはいかなくなった」
考え込むように視線を落とす沙夜様。
自信に溢れる表情も素敵ですが、今のように憂いのある表情も素敵です。
どのようなお顔でも沙夜様は素敵ですから。
ふふふ……。
「悠長にはしている時間はない」
「時間……? 沙夜様のですか?」
「……いや。それだけではない」
たしかに沙夜様は高校三年生。
『卒業』が徐々に迫っている現状で言えば、時間が無くなってきたと言えるでしょう。
しかし、それだけではない――と。
沙夜様以外のことだと……。
――あぁ。
「例の件ですか」
私の問いかけに、こくりと沙夜様は頷きました。
なるほど。その件でしたか。
そういう意味ではたしかに……時間はないですね。
「この件ばかりは、私一人の意見でどうすることもできないからな……」
「そうですね」
「彼女にはもうじき話がいくと思う」
「……仕方ないのことです」
最近の沙夜様は、以前にも増して『動く』ことが多くなった気がしました。
その理由は……そういうことなのでしょう。
「私はただ……私の成すべきことを成すだけだ」
沙夜様の成すべきこと。
「椿、当日についてなのだが……少し話を聞いてほしい」
「もちろんでございます。なんなりとお申し付けください」
「ああ……いつも助かる」
「恐縮です」
――『あなた、面白いね。私は……あなたのことが欲しい。一緒に歩いてくれない? 私の道を』
あの日、幼き貴方様にかけていただいたお言葉を……椿は絶対に忘れません。
生きる意味が理解できなかった私を。
『星那』から否定された私を。
『私』が存在しない……私を。
沙夜様。
貴方様が……救ってくださったのですから。
自分よりずっと小さかった手を取った……あの瞬間から決めているのです。
貴方様がどんな道を歩もうとも。
どんなに……悲しき道を歩もうとも。
私はただ……共に歩み続けるだけです。
私は貴方様の道具。
貴方様という舞台《物語》の装置。
「司様については……」
「彼のほうはあと一押しだろう」
「連絡は取り合っているのですよね?」
「ああ、司と話していると心が暖まる」
朝陽司。
青葉昴。
沙夜様を『構成』する……重要なお二方。
彼らなくして――現在の『星那沙夜』は存在しない。
「二人を――あのままではいさせない。私は絶対に……」
私はただ……貴方様に寄り添うのみ。
「すべては――」
すべては――
「再会のために」
貴方様のために。




