第138話 青葉花はさらっと重要な事実を告げる
「たでーまーっと」
アステイルに行ってきたその日の夕方、無事帰宅した俺はそのままリビングへと歩を進める。
部屋にはすでに明かりが点いており、それは母さんも帰ってきている証拠だった。
今日の夕飯はなににするかな……。
そう思いながらリビングへと足を踏み入れる。
クーラーの効いた涼しい空間。
そして――
「んー? おー息子くんの帰還だ! お帰り~!」
ソファーに座ってテレビを見ながら、スティック状のスナック菓子をポリポリと食べている青葉花の姿があった。
それを見て俺は……まずため息。
「母さんさ……夕飯の前にお菓子食べるなって言ってるだろ? そのせいでいつも『お腹いっぱい!』って騒いでるのに。子供か!」
「えー、仕方ないでしょー? 腹が減ってはいい感じにできぬって言うじゃん!」
「なんだよいい感じって。戦をしろ戦を」
ニコニコと笑って楽しそうな母親の姿を見て、良くも悪くもおうちに帰ってきた感に包まれる。
それにしても……。
やっぱり椿『お姉さん』と似てるなぁ……雰囲気とか口調とか、テンション感とか。
こういうタイプは一人でいいんだけどなぁ……二人以上は疲れるって。
などと思い、俺は荷物を適当な場所に置いてキッチンへと向かう。
まだ料理を始めるわけではないけど、なにを作るかくらいは決めておきたい。
「ねね、息子くん」
「なんだねママさん」
母さんが座るソファーの後ろを通り過ぎる……ちょうどそのとき。
「るいるいちゃんとのデートは楽しかったかね?」
「あー、いや別に。そもそもデートじゃ――って、おい待て」
思わず足を止めて、母さんを見てみると……。
「にやにや」
うざいくらいにニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。
腹立つわぁその顔……。
親近感湧くから余計に腹立つ。
それはともかく、俺が足を止めたのはデートが云々という部分ではない。
「……なんで相手知ってんだよ」
俺は今日、遊びに行ってくるとは伝えたが……誰と行くかまでは伝えていないのだ。
「おろ? ひょっとして私正解!? 適当に言っただけなのに当たっちゃったぜ~! 母親の勘は偉大だね!」
スマック菓子が入った袋をソファーの上に置き、母さんはテンションが上がったように立ち上がる。
『どうだったの!? どうだったの!?』とキラキラした目を向けてくる母親に対し、俺はジトジトした目で返した。
あまりにも自然な質問だったから素で返答してしまった……。
うわ面倒くせぇ……。
「母さんが期待してるような話はねぇよ。ただゲーセンに行って帰ってきただけだし」
「それでもしっかりデートじゃ~ん! あのさあのさ!」
「なんだよ」
「るいるいちゃんと志乃ちゃん、どっちが本命なの!? 私はどっちからお母さんって呼ばれることになるのぉ!?」
「本命とかないしお母さんとも呼ばれないしあとテンション上がり過ぎだし年齢考えろ!」
なんでその二択なんだよ。
俺の言葉に母さんはカッと目を見開く。
「失礼なっ! いくつになっても心は乙女のままなの! 乙女花ちゃんなの! ……ちょっときついね」
「うん、きつい」
うむ、と顔を見合わせて同時に頷いた。
親子息ピッタリ。
「とにかく、俺にそういうキラキラリア充イベントは期待しないでくださーい」
「イヤでーす期待しまーす」
「拒否します」
「それも拒否します!」
うわ超面倒くせぇ。
父さんもずっとこういうノリで母さんに絡まれては、適当にあしらってたよなぁ……。
とりあえずこのままでは話が終わらないため、別の話題を提供して逃げるとしよう。
ちょうど母さんに話すこともあったし、それでいいや。
「あ、そうだ母さん」
「なんだい」
俺は壁に掛けられたカレンダーに顔を向ける。
「夏休みの終わりくらいに、泊まりで海行ってくる」
そういえばまだ話してなかったからな。
タイミングもいいし、伝えておくとしよう。
俺の報告に対して、母さんはガタッと物音を立てた。
「海!? えーさっそくキラキラリア充イベントじゃん! 誰と行くの!? 志乃ちゃん!? それとも――」
「だからなんで真っ先に志乃ちゃんの名前が出てくるんだよ」
志乃ちゃん好き過ぎるでしょこの人。
間違ってはないから否定はできないけども。
「司とか……志乃ちゃんとか。そのあたりの連中」
「おぉう……息子くんがそんな青春イベントに参加するなんて……ママビックリだぜ……あ、るいるいちゃんは?」
「いる。……っていちいちニヤニヤすな!」
「にやにや。でも海なんてすごいね~!」
「まぁ……うちの生徒会長に誘われてさ。その人の……保護者? お付き? みたいな人も一緒に来てくれるから、そのあたりも大丈夫」
このあたりは事前に言っておいたほうがいいだろう。
まさか子供たちだけで……? と勘違いされてしまったら大変だ。
母さんは適当そうに見えて、意外にそういう部分はちゃんとしているから尚更。
とはいっても……アレか。
生徒会長って言われても、母さんからしたら『誰?』って感じだろうし……。
その保護者って言われても、余計に『誰??』って思うだろうし……。
あまり安心できる材料として適切じゃない気がしていた。
軽くあの人たちについて話しておいたほうがいいか――?
「あー、沙夜ちゃんと椿ちゃん?」
え――?
「ちょ、え……? 母さん今、なんて……?」
今度は俺がガタッと音を鳴らしてしまう。
さらっと出てきた、二人の名前。
沙夜ちゃん。
椿ちゃん。
待て待て待て。
俺はあの人たちの話を、母さんにしたことなんて一回もないぞ?
なのにどうして知っているんだ?
しかもちゃん付けって何事……?
こっちが戸惑っているのに、母さんは「はぇ?」とアホっぽい面で返事をした。
「だから沙夜ちゃんと椿ちゃんでしょ? 生徒会長と、そのお付きの人っていうと」
聞き間違いではなかった。
本当に母さんは、二人のことを認識しているのだ。
「……俺、その二人の話をしたことあったっけ?」
「ん~? 昴からは聞いたことない……かも?」
「だよな? じゃあなんで会長さんたちのことを知ってるんだよ?」
「そりゃ知ってるよ~! だってさ~」
だってさ。
俺は唾を飲み込み、それに続く言葉を待っていた。
なぜか、冷や汗が出てくる。
どうしてあの人らは……いつも予想外のところで出てくるんだよ。
母さんは顎に指を当て、ニコッと笑った。
「私が勤めてる会社の社長さんの娘が……沙夜ちゃんだから」
「え」
「その関係でよく会社に来るんだよねー。もちろん、椿ちゃんも一緒にいるから知ってるってわけ」
「え」
「え? なにどうしたの?」
会長さんが俺たちとは違う世界の人間だということは、流石に予想できていた。
椿さんというお付きの人。
別荘。
纏っているあらゆる雰囲気。
その他立ち振る舞い。
いわゆる『お金持ち』的なアレなんじゃないかと思っていたけど……。
――マジかよ。
ここでそう来るのかよ。
「あの……俺、初めて聞いたんだが?」
「話したことあるよ? 昴がうーんとちっちゃいときに! すごく可愛い娘さんがいてね~って!」
「覚えてるわけあるかぁ!!!」
「おぉうごめんなさい!? なんで怒るの!?」
母さんの会社のご令嬢が……会長さん……?
「え、じゃあ星那さん……椿さんは? 会長さんのお付きってだけ?」
「あーうーん……詳しい事情はママにも分からないんだけどー」
会長さんと星那さんは似ているが姉妹ではなく、従姉同士だ。
星那沙夜が母さんの会社の令嬢。
ということは……星那椿も……同じような立場なのでは……?
「まず簡単に説明すると……私が勤めている会社って、グループ会社なの」
「ほう……?」
「一番上に『株式会社SteLLa』っていう大きい会社があってね? 私たちはその子会社に所属しているの。それらをまとめて『SteLLaグループ』って呼ばれてるってわけ」
「ふんふん」
株式会社SteLLa……。
また星に関連する名前……。
――星?
「子会社の一つ『株式会社ステラエンターテインメント』……主にイベントごとの企画とか、運営とか! そんな仕事をしているのが私の会社であり――」
「星那沙夜の……親の会社……」
「そそ! そゆこと~!」
株式会社ステラエンターテインメント……母さんが勤めている会社。
イベントの運営とかの仕事をしてるんだよ~! っていうのは何度か聞いたことがあるが……それ以上の情報を聞いたことが無かった。
そもそも、俺自身そんな深く興味を抱いていなかったから。
まさか……会長さんと母さんの間に、そんな接点があったなんて。
「で、グループのなかにゲーム事業を専門としている会社があって……そこが椿ちゃんの会社ってわけ!」
「ゲーム事業? これまた楽しそうな……」
「んーとね、ほら! 駅前にアステイルってゲームセンターがあるでしょ?」
まさか。
「あそこの会社! あとは数年前からプロゲーミングチームも作ってて……私はあまり詳しくないから分からないけど、そういう感じ!」
繋がった。
どうして今日、星那さんがあそこのゲームセンターにいたのか。
どうしてほかのスタッフが、星那さんに対して緊張したように接していたのか。
アステイル。
Star Rord Gaming。
――思いっきり関係者じゃねぇか。それもかなりのレベルで。
「マジかよ」
「マジマジ。でも、椿ちゃんは直接経営に関わっていないというか……基本的には沙夜ちゃんのお世話をしているようで、だから事情はよく分からないんだよねー」
えっと……まとめると?
株式会社SteLLaっていうでっかい会社があって、母さんはそこの子会社の一つに勤めている。
その会社の社長が、星那沙夜の親で……。
別の子会社の社長が、星那椿の親。
だけど、椿さんは自分の会社ではなく、従妹である沙夜さんのもとで仕事をしている。
これはこれは……。
なかなか意味深な『ワケ』がありそうだな……。
「ていうか母さん、そんなご立派なグループの会社に勤めてたのかよ……」
「ふふーん! どうよママのこと見直した? どやぁ!」
ドヤ顔を見せつけてくる母さんはスルーで。
「つまり、話したことも……ある?」
「あるよ? 椿ちゃんもね。今も月に何度か会社に来るから、そのときに話す感じ。毎回話せるわけじゃないけど……相手は社長の娘さんだし」
「……マジかよ」
マジかよしか言えないわもう。
――え、ちょっと待って。椿ちゃんもって言った?
俺の頭の中に思い浮かんできたのは……星那さんが今日演じていた『お姉さん』の姿。
陽気で、ノリがうるさくて、笑顔を絶やさなくて。
まるで『母さん』みたいで……。
――『はい、仕事でございます。潜入、侵入、観察、監視、模倣、護衛……他にも色々ありますが……すべて私の仕事です』
模倣。
もしかして……。
もしも、俺が考えていることが正解だとしたら――
星那椿という人間は……とんでもないスキルを持っている。
特技なんてものじゃない。
仮面なんてものじゃない。
それはもう……一種の人格なのでは――?
「どうかした昴?」
「あ、いや……とりあえず、その二人も一緒だよってこと」
「おけー! 沙夜ちゃんと椿ちゃんが一緒ならママも安心だぜ~! それより息子くん、話してたらママお腹空きました!」
ピシッと挙手をして声をあげる母さんに、俺は呆れた視線を向けた。
それより……って。俺にとってはめっちゃ重要な話なんだが……。
まぁ母さんに言っても仕方ないけどさ。
「あなたお菓子食ってましたやん……」
「それはそれ! これは……どれ?」
「いや俺に聞かないで? ホントにどれ?」
急にボケるのやめて。
……とりあえず考えたいことは色々あるが、それはまたあとだ。
俺は改めてキッチンへと向かい、冷蔵庫を開けた。
冷気が俺の頬を撫でると同時に……また、一つの疑問が思い浮かぶ。
「……なぁ、母さん」
「なになに~?」
テレビへと向き直った母さんの陽気な返事。
会長さんは、現在でも月に何度か母さんの会社に足を運んでいる。
そして、二人は顔を合わせれば話せる仲。
俺の記憶が正しければ、母さんは転職していないから……ずっと同じ会社のはずだ。
――と、なると。
「実は幼い頃、俺は会長さんと会ってた……なんてこと、ある?」
――『そのキミに救われた者もいるのだと……知っておくといい』
夏祭りのあの日、会長さんに言われたことがずっと引っかかっていた。
俺の過去を知っているような口ぶりで。
俺の過去を肯定するかのような口ぶりで。
俺はあの人に、自分のことを話した覚えはない。
――それは、つまり。
いや……まさか。
「ん? あぁ、あるよー?」
……。
「あれは……小学一年生とか、二年生とか? 多分そのくらいのときじゃないかなー?」
絡まった思考の糸は。
依然として、解かれないままだった。




