第136話 青葉昴は盛大に目立つ
ステージの近くにできている人だかり。
その中心には渚と……そしてマキさんが立っていた。
マキさんは朗らかな笑みを浮かべていて、それに対して渚は……困ったような、諦めたような……とにかく『誰か助けてください』オーラを全身に纏っていた。
表情はなんとか繕っているが……今にも限界を迎えそうだ。
憧れのマキさんとワクワクドキドキトーク――という光景には見えないな。
さっきの一件が最後の仕事だと思っていたけど……まだやるべきことがあったようだ。
仕方ねぇ――! いくぜ!
俺は輪に向かって走り出して、威勢よく声を上げた。
なるべく俺に注目を引かせるように。
「そこから先は、このわてくしを通してからにしてもらいましょうか! どどん!」
目が合った渚は呆れたように――
そして、小さく笑っていた。
× × ×
人だかりには、男性客や女性客。そして実際に大会に参加していた選手たち。
極めつきには――マキさん。
さまざまな人たちに渚留衣は囲まれていた。
疲弊した渚を見て……俺は苦労を察する。
恐らく閉会式が終わるなり、抵抗する間もなく人が集まってきてしまったのだろう。
渚の性格的に……『うるせぇわたしは帰るんだどけぇ!』と言えるとは思えない。
俺が星那さんに翻弄されている間にこんなことになっているなんて……。
というか、なんでマキさんもいるんだよ。
さっきから疑問ばかりが尽きないが……まずは行動をせねば。
さーて、一仕事といきますか。
「いやー困りますよー。nagi選手に話をするならまずはこの俺を通してもらわないと!」
なんだこいつ――
そんな視線がグサグサと突き刺さってくる。
痛い痛い痛い。
っておい誰が痛い男だ。
とはいえ、意図してやっていることだから恥ずかしさは微塵も感じない。
そうだ。あんたたちは俺を見ていればいいのだ。
俺はマキさんに近付いて、ヘラヘラと笑いながら話しかけた。
この人が渚に向ける視線が……ずっと気になっていた。
もしも下心を持って、今こうしてここに立っているのなら……。
俺は大会中、あんたに抱いていた感心をすべて捨て去ることになる。
「いやーマキ選手、いくらこの子が美少女だからってナンパは困――」
「あっ君! ひょっとしてnagi選手のお友達だったりする?」
「うぇ?」
俺の予想に反し、マキさんは好意的な反応を見せると俺の肩にガシっと手を乗せてきた。
間近にイケメンフェイスがきたことで、乙女昴くんの心臓が高鳴る。
ドキィ――! イ、イケメンよ! 今時の爽やかイケメンよ!
「え、まぁ……あー」
『友達みたいなもんです』。
その一言……がすんなり出てこなかった。
どうして。
なぜ俺は言えない?
濁すような言葉を口にした俺に、マキさんはニヤッと笑った。
「……あっ! もしかして彼――」
「違います」
――答えたのは俺ではなくて。
「そうそう違う違う……ってお前反応早すぎだろ。ビックリしたわ」
「……」
無視。
質問されたのは俺のはずなのに、なぜか渚が答えていた。
こちらが入る隙を与えない超スピードでの返事。
俺が非難の目を向けると、渚はスッと目を逸らした。
「なーんだ! じゃあやっぱり友達なんだね!」
「……だったらなんなんですか?」
低い声が出た。
仮に俺と渚が友達だとしたら……いったいこの人にとって、なんの意味があるのだろう。
彼氏ではなく、友達なら都合がいいのか?
俺は目を細めて、マキさんが答える前に言葉を続けた。
「もしナンパみたいな目的でそいつに近付いたんなら――」
渚留衣を傷つけるようなことになったら、物語に多大な影響を及ぼしてしまう。
蓮見や……その先に続くアイツに。
そんな役はお呼びじゃねぇ。
とっとと降りてもらうに限る。
俺が警戒心を抱く一方で、マキさんは意味が分からなそうにパチパチと目を瞬きさせて……首をかしげた。
流れが――変わった。
「え? ナンパ?」
……え?
まったく心当たりがないと言わんばかりに、マキさんはポカーンとしていた。
……あれ? ナンパなんじゃないの?
すっごいキラキラ笑顔を浮かべていたし、遠くで見えた感じ渚に頭を下げていたし、嫌がっているのになにかを言っているように見えたし……。
……あれれ?
自覚が無いのか、本当にそうじゃないのか。
――ちょ、ちょっとるいるい?
俺は詳しい話を求めるように、ゆっくりと渚へと顔を向ける。
こちらを向いていた渚は――
「はぁ……」
ため息だった。
アレは呆れ百パーセントの……ため息だった。
やばい。
俺、もしかして今……とんでもない勘違いしてる?
俺の言いたいことを察したのか、マキさんは「ははっ!」と笑い声をあげた。
笑った顔もしっかりイケメン――いやいやいや。そんなことはどうでもいいの!
「ごめんごめん! 勘違いさせちゃったな」
「お、おぅ……?」
「僕がnagi選手に声をかけたのはね――」
マキさんは渚が手に持っている一枚の紙を指差した。
あれは……名刺? そんなの渡されていたのか……。
それに、なにか付箋のようなものも張ってあるけど……。
付箋に連絡先とか、浮ついた言葉とか、そういうのが書かれてんじゃないのぉ!?
陽キャならやる。絶対そんなチャラいことをする。偏見。
「もっと深い世界……それこそプロに興味ないか――って話を聞きたかったからだよ」
……。
「プロ……?」
「そう、プロ」
「プロ……レスラー?」
「いやいや違う違う違う! こんな小柄な子をプロレスにスカウトするとか、僕もう頭おかしすぎでしょ!」
「プロ……パンガス?」
「いやだから違うって! 女の子にいきなり『プロパンガスに興味ある?』って聞く人見たことある!?」
おぉ、いいツッコミだ……! 親近感が湧く!
となると……だ。
え。じゃあプロって……。
「プロ……ゲーマー?」
恐る恐る尋ねると……マキさんは笑顔で頷いた。
「そう! プロゲーマー! 僕が今日ここに来た理由のなかにそういうのもあってね」
ほ、ほーん……?
プ、プロゲーマーね。
ふふ、ふ、ふーん……。
なるほど。
なるほど。
……。
え?
マジ?
「それにね――」
それに。
マキさんは申し訳なそうに笑うと、俺に左手の甲を見せてきた。
「あ」
思わず声が出る。
スラっと長く伸びた手……その薬指には――
輝きを帯びた……指輪が嵌まっていた。
ということは……つまり。
「僕、結婚してるから」
既婚イケメンをナンパ男だと勘違いして、盛大に生意気なことを言った男がここに立っていた。
――あ、俺だったわ。えへえへ。
うーん……。
うん。
「ほんっっっっとうに申し訳ございませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
情けない声が会場に響き渡った。
× × ×
「いやもうホントにすみませんでした。怒りのままに殴ってください。チョキで」
「うん、それだと僕の指が大変なことになっちゃうね。商売道具なのに」
場所を少しだけ変えて、会場端のスペースにて。
これ以上は本当に迷惑になるからと、囲っていた人々を解散させたのち、俺と渚……そしてマキさんの三人は引き続き話をしていた。
改めて頭を深々と下げる俺に、マキさんは「大丈夫大丈夫」と優しく声をかけてくれている。
えぇなにこのイケメン……そりゃ結婚できるわ……。
「それに、僕のせいで騒ぎを大きくさせたのも事実だし。nagi選手を困らせちゃったしね。申し訳ない……テンション上がり過ぎてたよ」
「い、いえ……! わ、わたしも……その、ちゃんと話せなくて……ごめんなさい……」
「そうだぞnagiちゃん!」
「は?」
「ごめんなさい」
怖い。
俺にもその謙虚さ出してきてこいよ。
さっきまでのオドオドどこいったんだよ。
「ははっ、君たち仲がいいんだね!」
「そうなんですよー!」
「そんなことないです」
「うん、正反対のこと言ってるね君たち」
おかしいね。
しかも、そこだけ詰まらないで返事するのやめろ。
マキさんも微笑ましい顔してるし……。
まぁいいやもう。とりあえず話したいことは……。
「それで……マキさん、さっき言ってた話なんですけど……」
「あー、スカウトの話?」
「ですです。それって本気なんですか?」
「もちろん本気だけど?」
そりゃそうだろうなぁ。
冗談でスカウトなんてしないだろうし……。
けろっとした様子で言った言葉に、渚はピクっと肩が反応していた。
「僕はまだチームに加入して一年少しの新人だけど、気になった子にはとことん声をかけていいって許可を貰ってるんだ」
「で、今回こいつが気になったと……?」
「そういうこと。その子からはね、勝負に対する強い気持ち……つまり熱いハートを感じたんだ」
勝負に対する強い気持ち。熱いハート。
マキさんの言うことに、渚はハテナマーク状態だった。
なんとなく言いたいことは分かるけど……完全に理解できたわけじゃない。
俺たちのそんな気持ちを汲み取ったのか、マキさんは話を続けてくれた。
「僕が一番大事にしてることはね、気持ちなんだ」
「ほうほう」
「絶対に負けたくない。負けたらすごく悔しい。勝つためにはどうすればいいか、次負けないようにどうすればいいか……ざっくり言うとそんな感じの『気持ち』」
「そ、それを……わたしから……?」
「そうだよ。プレーの技術……まぁゲームの上手さなんて、あとからいくらでも身に着けることができる。でもね」
でも。
マキさんは渚へと顔を向け、穏やかに言った。
「気持ちに関しては、その人が元々持っているハートに依存する。ゲームと違って、練習すればするほど強い気持ちが手に入る……なんてことはないんだ」
たしかに――そう、素直に思った。
スキルは練習すれば磨くことができる。強くなることができる。
だけど、気持ちの部分は……そういうわけではないのだろう。
見えないものの話ではあるため、どこか抽象的な話ではあるが……言いたいことは理解できる。
「僕はnagi選手の『そこ』に……可能性を見出したんだ。スキルが高いことも事実だけどね。だから一度ちゃんと話をしたくて」
パチン、とイケメンウインクで話を締めた。
おいなんだこのイケメンマシーンは。
改めて、話を持ち掛けられた渚は……考えるように俯いた。
プロからのスカウトなんて、滅多にある話ではない。
ゲーマーにとっては一種の憧れであり、場合によって目標でもあるのだろう。
しかし、こと渚留衣にとっては……分からない。
自分の中で考えを纏めた渚は、そのまま頭を深く下げて。
「気持ちはとても嬉しいです。……けど、ごめんなさい」
――しっかりと、断った。
「わ、わたしはただのプレイヤーとして遊ぶのが好きで……もしそっちの世界を目指しちゃったら……自分のなかにある『ゲーム』って存在が変わっちゃう気がして……」
「うーん……そっか。無理強いはしたくないからなぁ……そっちの男の子はどう思う? せっかくだから君の意見も聞かせてくれないかな?」
あぇ、お、俺?
渚とマキさん、二人の視線が向けられる。
まさかこっちにも来るとはな……。
俺の意見……か。
「……そいつ、人前に出るのが超苦手なんですよ。人と話すことが苦手で、目立つことが苦手で、今日だってカメラに映ることを拒否するくらいで……」
俺自身、渚がどんな選択をしようが関係ないが、今日一日選手としての『nagi』を見ていて。
思ったことは……ある。
「緊張してるくせに見栄張ってなんでもないふりをするわ、ステージの上から逃げ出したいはずなのに平気なふりをするわ……困ったヤツなんすよ」
「……」
おっとマズい。なんか恐ろしいオーラが……!
怖いから渚のほう向かないでおこ。
「仮にそういう『嫌なもの』を全部我慢して、抑え込んで、見ないふりをして……勝つためだけに打ち込んだとして」
「ふむふむ」
「それでもなぎ……が、ゲームというものを心から好きでい続けられるのなら、俺はなにも言いません」
「……」
渚の視線を感じる。
俺がなにを言いたいのか、気になっているのだろう。
変なことを言いださないか警戒しているのかもしれない。
「でも」
結局……俺が言いたいことは――
「ゲームが嫌いになるようなら……心の底から大好きなゲームに対して、嫌な感情を抱くことになるのなら……俺はその道を選んでほしくないっす」
「あんた……」
「へぇ……」
「普段ボーっとしてるのに、ゲームになると口数が多くなって、熱くなって。全力で楽しんでいる姿が……見られなくなるのは嫌ですね、俺は」
――少し、話し過ぎたかもしれない。
教室でゲームを遊んでいる姿。
ゲーセンで遊んでいる姿。
ゲームのことを嬉々として話す姿。
その姿が……別のものに変わってしまうんじゃないかと思うと……。
スカウトを受けろ……とは言いたくなかった。
なぜか――そう思ってしまった。
別に『どっちでもいいんじゃないっすか?』で済ますことはできたはず。
けれど、そんな適当で済ましたくない気持ちが……あったのかもしれない。
俺は……なにがしたいんだ?
俺は……なにを思ったんだ?
どうして……個人の事情にここまで首を突っ込んだんだ?
「なるほどね」
マキさんはうんうんと頷いて、表情を明るくさせる。
この人はいつも笑顔だ。
「分かった! じゃあ……ひとまずこの話は保留で!」
「ほ、保留ですか……?」
「そそ、保留。もしnagi選手がこっちの世界に興味を持つ日が来たら、連絡をちょうだい。そういう意味の……保留!」
「わ、わたし……でも……」
「大丈夫。ずっと興味がないのなら連絡しなくていいから。……あ、でも配信は来てね! それは何卒!」
営業トークは欠かさない!
「……わ、分かりました。配信はその……楽しいので……また観に行きます……」
「よっし! その言葉を聞けただけで十分! 困らせちゃってホントにごめんね!」
うーむ。
話が分かるとは……こういうことを言うのかもしれないな。
てっきり、もっとしつこく食い下がってくるかと思っていたけど、全然そんなことないし。
「俺も観に行きます! あることないことコメントしまくります! マキさんが初出場の女の子をナンパしてたとか!」
「いやだからしてないよ!? 妻が見たらとんでもないことになるからやめて!?」
ははは、と楽しげな雰囲気が俺たちを包む。
どうなることかと思っていたけど……マキさんが良い人でよかった。
勝手に変な印象を抱いてしまって申し訳ない。
渚にとっても……きっと、今日はいい経験になっただろう。
「いやー……それにしてもnagi選手」
「な、なんですか……?」
マキさんは俺をチラッと見たあと、渚に視線を戻す。
「こんな理解のある友達を持ってるなんて……すごくいいことだと思うよ」
「「え」」
突然の話に、俺たちの声が重なる。
「その人のことを考えて、その人の道を案じてくれる……。そういう人がいる限り、道を踏み外すことはない。だから、今の関係を大切にするといいよ」
「「え」」
再び、声が重なる。
「以上! 年上のお兄さんからのアドバイスでした! それじゃ僕はこのへんで」
「ちょ、ちょっとマキお兄さん!? 爆弾を残して行くのやめてくれません!?」
俺が呼び止めるも、マキさんは聞く耳を持たず……。
「今日は会えてよかったよ! それじゃまたどこかで!」
手を振りながらマキさんは立ち去っていく。
謎に言葉を残すだけ残して……満足そうな背中だった。
俺はふと渚へと視線を向ける。
すると。
「……なに」
気まずそうに……目を逸らされた。
――『その人のことを考えて、その人の道を案じてくれる』。
俺は……案じていたのだろうか。
コイツの道を。
俺は……そこまで考えていたのだろうか。
コイツのこと。
俺が言ったことは正しかったのだろうか。
たかが俺ごときが……干渉するなんて……正しかったのだろうか。
今日は本当に……『どうして』ばかりだ。
「んじゃま……帰るか」
「そうだね」
なんとも言えない空気のまま、お互いに頷き合って歩き出す。
――こうして、渚留衣の波乱? の初大会は幕を閉じた。