第135話 お姉さんはニコニコを絶やさない
星那さんは無機質な表情を俺に向ける。
感情を宿さないくすんだ金の瞳に……俺は思わずたじろいだ。
「……」
目が合うが……星那さんは一言も発さない。
あれ……合ってるよな? この人、星那椿さんだよな?
会ったのは、ショッピングセンターから自宅まで送ってもらったときの一度だけ。
星那さんはずっと車の運転をしていたから、ちゃんと顔を見たわけではないが……。
星那椿さんで……合ってると思う。
髪型はお団子のイメージだったけど、今はストレート。
多少印象が違うけど……それでも本人のはずだ。
だとしたら――どうして。
どうしてここにいるんだ?
どうして……俺に絡んできたんだ?
俺のことも渚のことも知っていたはずなのに、初対面のようなふりをしてまで……どうして声をかけてきたんだ?
どこまでが意味のある言動なのだろうか。
『どうして』だけが湧き上がるが、一つも答えは出てこない。
先ほどまであんなにニコニコしていたはずなのに、星那さんからは表情の一切が消えていた。
たしかに、先月出会ったときの星那さんはこんな雰囲気だったけど……。
凄まじすぎるギャップのせいで、余計に戸惑いを感じた。
「……さて、仕方ありませんね。穏便に済ませようと思っていたのですが」
ようやく言葉を発した星那さんは、俺から青年へと視線を移す。
冷たさを感じるその目に、青年はビクッと肩を震わせた。
低く淡々とした声音には明るさなど微塵もなく、あの『お姉さん』と目の前にいる星那さんは別人なのではないかと疑ってしまうほどだ。
「なっ、なんなんだよ! 俺がなにをしたっていうんだよ!」
未だに自分の行為を否定する姿に、一周回って感心してきた。
なんか中学生っぽいなぁ……。あの幼い感じ。どうなんだろう。
星那さんは青年に向けていた目をスッと細める。
「……」
「なんだよこっち見んなよ!」
……そういえばコイツ、星那さんに向かってババアとか言ってたよな?
……えー、大丈夫かな。
あとから会長さんがやってきてボコボコに痛めつけたり、社会的に抹殺しようとしたりしないかな。
だってほら……会長さんと星那さんって、結構深い関係みたいだし……。
逆に心配に思ってしまっていると、星那さんは青年の耳元に顔を近付けた。
小さく口を動かし……なにかを伝えている。
「秦野――十――母――京――市――五――」
断片的に聞こえてはくるが、具体的になにを言っているのかは分からない。
しかし、星那さんの言葉が続けば続くほど……青年の顔色がみるみるうちに悪くなっていく。
激昂して赤くなっていた顔が、真っ青へと。
まるで恐怖心に支配されたかのように……カタカタと身体を震わせていた。
「え、あ……あ……」
あんなにイキっていた姿が嘘のようだった。
星那さんはひとしきり言い終えると、青年から二歩ほど距離を取る。
俺はただ、目の前で起こっている光景を見ていることしかできなかった。
なんだ……?
なにを言われたんだ……? あの怖がりよう、明らかに普通じゃないぞ?
「……その胸ポケットのカメラと、所持しているスマホを渡していただけますか?」
無表情のまま、星那さんは抑揚のない声でそう言った。
俺が言ったときまったく聞こうとしなかったのに……。
青年はもう反抗することなく、ビクビクと怖がった様子のまま言うことに従った。
差し出された――ボールペンとスマホ。
星那さんはそれらを受け取ると、今度は胸元につけていたインカムに向かってボソッとなにかを喋った。
ゲーセンのスタッフはそれぞれインカムを身につけているため、恐らくほかのスタッフに連絡を取ったのだろう。
その証拠として、一人の男性スタッフが急いだ様子で俺たちのもとにやって来た。
「こちらの男の子が隠しカメラで大会の様子を撮影していました。鞄の中身の確認と、その他諸々の対応をお願いします」
星那さんが事情を説明すると、男性スタッフは緊張した面持ちで「しょ、承知しました」と返事をした。
「さぁ君、行こう」
「……はい」
スタッフに声をかけられた青年は、文句を言うことなく大人しくスタッフのあとを付いて行った。
えぇ……こわ……。
マジでなにをやったんだ星那さん……こっわ……。
とんでもない脅しでもしたのか……?
俺も俺で怖くなっていると、星那さんは周囲のお客さんたちに向かって深々と頭を下げた。
「……お騒がせして大変申し訳ございませんでした。引き続き、楽しい時間をお過ごしくださいませ」
青年が騒いでいたせいで野次馬が何人か集まっていたのだが、星那さんの言葉を受けてぞろぞろと退散していく。
最初からなにもなかったかのように、平穏な時間が戻ってきた。
「さて……そういうわけで」
残されたのは、俺と……星那さんの二人。
星那さんは改めてこちらに向き直り、再び頭を下げた。
「お久しぶりでございます、昴様」
あのとき、車の中で聞いたクールな声。
やっぱりこの人は星那椿さんなのだと――俺は確信を得た。
「あー……お久しぶりです」
「はい」
「えっと、聞きたいことが山ほどあるんですけど……」
「なるほど」
「……どうして、ただのスタッフのふりをしてたんですか?」
まず知りたいことはこれだった。
素顔を見せず、ただの一スタッフとして働いていた理由。
星那さんは俯いて少し考え込んだあと、その瞳を俺に向けた。
俺が映っているのか疑ってしまうほど……空虚な瞳を。
「仕事なので」
返事はたった一言で。
「仕事……?」
俺が聞き返すと、こくりと頷く。
本当に……ここの従業員というだけなのだろうか?
だとしても、星那さんと話していた男性スタッフの様子を見るに……ただの一般スタッフとは考えにくい。
「はい、仕事でございます。潜入、侵入、観察、監視、模倣、護衛……他にも色々ありますが……すべて私の仕事です」
「え」
待って待って待って――
さらっととんでもないこと言ってなかった?
およそ日常的なお仕事とはかけ離れた内容ばかりじゃなかった? あれ気のせい?
星名さんは表情を変えることなく、ただ口だけを動かしている。
嘘なのか、本当なのか……判断がとても難しい。
渚の無表情とは違い、この人からは……感情を感じないのだ。
「……現実の話してます?」
「もちろん。……いえ冗談です」
「冗談かよ!」
「それも冗談です。恐らく」
「んぇ? え、つまり?」
「……どう捉えるかは昴様次第でございます」
ダメだ頭がおかしくなってくる。結局どっちなんだよ!
会長さんみたいな言い方しやがって……!
潜入だのなんだの言っていたけど、実際のところ現実味がまったくない。
だけど、今こうしてここに立っていることが、その証明なのかもしれない。
えー……でも、スタッフさんは星那さんのこと知ってる風だったし……だったら潜入とかじゃないよなぁ……。
――無理だ。全然分からん。
先の見えない霧が頭の中に広がり、晴れる気配はない。
すると、星那さんが突然胸の前に両手を持っていき……忍者ポーズを取った。
そして――
「にんにん」
まったく感情のこもっていない顔で。
まったく感情のこもっていない声で。
観客席で話した『お姉さん』と同じようなことを言いだした。
状況について行けず、俺は頭を押さえた。
「ど、どうしたんすかいきなり……え……?」
「少し前に昴様から『忍者かよ』と言われたので。せっかくだからもう一度やってみようかな、と」
「……あ、それはどうもありがとうございます……」
「恐縮です」
恐縮ですじゃねぇ……。こっちは混乱しまくりなのに……。
この人って、こんなコミカル無表情お姉さんだったっけ? なんか、ちょっと面白くなってきたんだけど?
……あ。お姉さんといえば、だ。
「というか、あの陽気なお姉さんキャラはどうしたんですか? 今と全然別人じゃないですか」
「あぁ……アレもまた、私の仕事に必要なスキルでございます」
「仕事に……?」
「一種の特技、と思っていただいて差し支えないかと」
さっきからなに言ってるんだこの人。
ますます意味が分からなくなってきた。
別人レベルで人格が違っていたんだぞ?
あんなに明るい笑顔も。
あんなにキャピキャピしていた振る舞いも。
声音も……なにかも。
全然違うんだぞ――?
あれが特技? 仕事に必要なスキル?
「……」
思えば。
受付で俺と渚を見たとき、この人は一瞬驚いた表情をしていた。お姉さんモードだったけど。
あれはもしかして、大会に女性が来たことに対してではなく……。
――俺と渚が来たから……驚いていたのではないか?
それに加えて、俺に絡んできたこと。
俺に妙な質問をしてきたこと。
そして、星那さんの……仕事。
この人は会長さんの関係者だ。
恐らく、あの人に付き従っているような存在のはず。
――まさか。
新たな疑問が思い浮かぶ。
「今日……俺たちが来ることを知っていたんですか?」
星那さんの表情は変わらない。
「会長さんの指示なんですか。今日、あなたがここにいること。そして……俺に絡んできたこと。全部……会長さんの指示なんですか? 全部……仕事なんですか?」
根拠や確証はなに一つない。
仮に指示だとしても、どうして星那さんがスタッフとして店にいられるのかは分からない。
この日のための臨時バイト……とかならまだしも、明らかにそんな感じはしない。
それに……どうして会長さんがそんなことをする必要がある?
星那さんをここに送って……なにをさせたい?
仮に俺と渚が来ることを事前に知っていたとしたら……尚更どうしてそんなことをする?
――そもそも、大前提として。
渚は今日の大会のことを……どこで知ったんだ?
いや、流石にそれは考え過ぎか。
「……ふふ」
笑った声。
それは……星那さんの声だった。
声は笑っていたが、表情はやはり変わらない。
星那さんは俺の質問に答えることなく、ずっと床に落ちたままだったキャップを拾い上げた。
パッパッと素早く汚れを払い、髪の毛を中にしまうように被る。
今度は目元を隠すことなく……つばを正面に向けて。
それは……今日何度も言葉を交わした『お姉さん』の姿だった。
お姉さん……いや、星那さんは顔をこちらに向けると――
「ノーコメントでっ! お姉さんは秘密主義なので! ミステリアスお姉さんなのです!」
――ゾクッとした。
帽子を被った瞬間、まるで別人が乗り移ったかのように……雰囲気が変わったのだ。
にこやかに笑った口。
光を宿した綺麗な瞳。
明るく元気な声。
すべてが――あまりにも『自然』で。
数秒前まで存在していた無機質な星那椿は、どこかへ消え去っていた。
なんだこの――
完璧なまでの『仮面』は。
こんなの……同一人物だって分かるわけないだろ。
月ノ瀬玲の仮面とは桁違いなほどに完成されているソレは、もはや仮面ではなく素顔と言っても違和感がないくらいだった。
「ねぇ、お兄さん」
お兄さん。
なにもおかしい言葉ではないのに、どうしようもないくらい気味の悪さを感じた。
俺の目の前に立っているのは、本当にあの星那椿さんなのか?
あの――とは言ったものの。
……俺はこの人のことを全然知らない。
もしかしたら……こっちが本当の星那さんなのかもしれない。
本当の彼女は……いったいどちらなのだろうか。
その答えは……分からない。
「あるがままを受け止めたほうがいいですよ? いちいち細かく考えたら疲れちゃいますから! ねっ!」
「……ねって言われても。絶賛ハテナマーク増殖中なんですが?」
「う~ん、それならもうちょっとだけそのハテナマークを増やしちゃおうかな~!」
星那さんはニヤッと笑う。
表情管理が完璧過ぎて、言葉の内容よりそっちが気になってしまう。
「お兄さんはどこまでいっても……お兄さんであることを――忘れないようにね」
「は……?」
俺はどこまでいっても、俺……?
具体的なことはなにも言わず、星那さんはただ満足げに大きく伸びをしていた。
「よ~し! 要注意人物だった子も捕まえられたし、これで仕事に戻れます! ありがとうございました~!」
「待ってください。要注意ってことは……気付いてたんですか? アイツの動きに……」
その言い方だと、最初からあの青年が撮影していたって分かっていたようだ。
俺の質問に、星那さんは表情をポカーンとさせてると……「はぇ?」と可愛らしく首をかしげた。
可愛らしく……って言葉は今となっては違和感しかないけど。
未だに別人なんじゃないかって疑いたくなる。
「当然じゃないですか。呼吸、動作、表情、あらゆる機微を見れば一発ですよ? お姉さん、こう見ても人を見抜く力に自信があるんです!」
いやだから……この人さらっとすげぇこと言ってんな……。
「じゃあなんでギリギリまで放置してたんですか。さっさと声をかければよかったのに……」
「え? だってお兄さんが捕まえてくれるだろうからいいかなって」
「え?」
「え?」
互いに『え?』と目を丸くさせる。
「どういうことですかそれ……俺が捕まえるからって……」
「つまり~! 『お兄さんが捕まえる』ことに意味があったってことです!」
「意味?」
「はい! だってお兄さんが追いかけた理由って――おぉっと、これ以上は秘密です! お姉さんミステリアス~!」
どこまでも人を置き去りにするトークに、俺はいい加減うんざりとしていた。
肝心の中身を言わず、それっぽい言葉をつらつらと並べる。
疑問だけを膨らませ、最後の答えを本人に気付かせるように。
あぁ……くそ。
間違いなく――この人は会長さんと同じ血が流れている。
少なくとも今は、分からないことを考えている余裕はない。
「だったら……俺から最後に一個だけいいですか」
「彼氏はいませんよ? 募集中です!」
「どうでもいいっす」
「酷い!」
「――あなたは、このゲーセンのなんなんですか?」
どうでもいいノリは全部突っぱねる。じゃないと話が進まない。
星那さんは考える素振りをみせず、微笑みを作ったまま答えた。
「アステイル。Star Rord Gaming」
意味深に……二つの単語のみで。
前者はここの店名。
後者はマキさんが所属しているプロチーム。
それだけ言うと、星那さんは俺に背中を向けた。
「では! 最後まで大会をお楽しみくださ~い!」
「ちょっ、まだ話は――!」
「あぁそうだ。お兄さん」
俺の言葉を遮り、半身でこちらに振り向いて。
「そろそろ戻ったほうがいいかもしれませんよ~?」
俺はハッと目を見開く。
「授賞式、そして閉会式も……もう終わっちゃったかもしれませんね?」
マズい、色々あったせいで時間を使い過ぎた――!
俺は星那さんに返事をすることなく、足早で会場に向かった。
結論。
『星那』はやっぱりやべぇ。